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近藤譲個展(2023)チラシ宣伝文覚書

「線の上の迷宮」 近藤譲の室内楽作品を聴く

「線の上の迷宮」。近藤譲の音楽を一言で表現するなら、このような言葉が相応しかろう。1973年以来、近藤譲は自らが「線の音楽」と呼ぶ方法論によって作曲を行ってきた。その説明はこのようなものだ。まず一音を置く。その一音目との関係を考慮し二音目を置き、この一・二音目との関係で三音目が、一・二・三音目との関係で四音目が置かれる。だが、話はそう単純ではないのではないか?線的に置かれた音/音響を、聴き手は順に辿っていくが、その配列には、聴き手の認知に対する深い洞察を踏まえた、より大きな仕掛けが隠されている。厳格に構築される曖昧さ。反復の中のズレ。平明さの中の複雑。これゆえに、近藤の作品には、一本道を往く中で迷うような、不可思議な瞬間が現出する。演奏される7作品。それぞれ異なるコンセプトで建てられた迷宮での、豊かな彷徨体験へようこそ。

「線の音楽」の先にあるもの 近藤譲の合唱作品を聴く

近藤譲の合唱作品について特筆すべきことが一つある。近藤は、1973年以来一貫して、「線の音楽」という方法論に基づき作曲を行ってきた。しかしながら、合唱作品については少々事情が違っている。2010年代に入り、近藤の合唱曲には「極めて複雑な対位法による作品」が登場しはじめた。対位法とはすなわちポリフォニーの構成法。ならば、「線の音楽」という、音/音響を一つ一つ数珠つなぎにする方法論とは根本的に異なったものとなるはずだ。なぜ、合唱に限ってこのような作品が生まれるのか?合唱作品には歌詞がある。歌詞が各声部をマーキングするなら、それらが相当複雑に絡み合っても、聴き手は各々の声部をどうにか弁別することが出来るはずだ。複雑さが弁別可能な領域に留め置かれるなら、迷い込んでみるに足る魅力も見いだせよう。そう、近藤譲は「線の音楽」の方法論から離れてもなお、音による迷宮の建設をあきらめてはいないのだ。

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