#番外編 音楽をしていた頃の話
「#あの選択をしたから」
人生において何度大きな選択をしただろうか?
途中までは一般的に言われる『普通』という道を歩いてきました。
小学校低学年は元気なサッカー少年、高学年は明るい野球少年。
中学に入ると当時まだ一般に復旧していなかったPC室があった技術部に入り、ベーシック言語や、MS-DOSを使って簡単なゲームを作ったりして文化祭でみんなに触ってもらったり、ソーラー自動車を部のみんなで作成したり、小学校の時とは別の方向に行きましたが、いわゆる『普通』の道の中で生活していました。
高校時代は陸上部に入るも、途中で辞め、競馬仲間と文化祭当日に天皇賞秋を見に行ったり、掛けのUNOや大貧民をやったり、ギャンブルっぽいことをしていましたが、まだこれもいわゆる『普通』の道を歩いていました。
大学に入ると携帯電話が世に復旧し、ある程度の人が今の携帯電話の原型を手にし、電話とメールなどでやりとりが始まりましたが、携帯でのネットという概念が登場するのはもう少し先で、2年生の19歳の夏までは普通の大学生活を送り、合唱部で歌を歌っていました。
その当時はこのまま3年になったら就職して、会社で働き、30歳手前で結婚してとか、世間で言われている成功の道=『普通』であることが正しいと表面では常にそう思っていました。
が、1度目の転機が来たのは19歳の夏の部活の合宿時に、1年生の男の子と仲良くなり、その子が乗ってきた車でもう一人の1年生の男の子と3人でドライブしながら帰りました。
その時に車を運転していない1年生の子が
『今度ライブをやるから見に来てくださいよ!』
と言って来て、まあ付き合いもあるし見に行ってみようかと、9月末、夏の終わりにライブハウスまでライブを見に行きました。
アコースティックユニットの2人組で、ライブが始まった瞬間、僕の中にある何かが大きく目が覚める音を聞きました。
心から感動したのと同時にこれだ!って思い、10月の自分の誕生日の日にアコースティックギターを自分にプレゼントし、そこから2週間は大学のある日は部室に1日籠り、ない日は家に籠り、バイトの日はバイト後に近くの公園で指が擦り切れるまで練習しました。
そして来る2週間後に1人で路上ライブを駅前で初めて決行しました。
これが自分が人生で選択した最初の大きな選択だったと思います。
当時弾いて歌える曲はSpitzの空も飛べるはずと、ゆずのサヨナラバスの2曲だけで、しかもストロークもまだ慣れていないし、Fコードに至っては簡単コードで代用して臨んだギリギリの感じでした。
20時頃、駅から商店街に繋がる1番人通りのある場所にギターのハードケースを置き、ギターを構えていざスタート!!
って訳にもいかず、ここで大きな恐怖に覆われました。
下手くそとか、煩いとか、騒音とか言われないだろうか?とか
頭おかしなヤツだと思われないだろうか?とか
常識的にこんなところでギター弾くのはまずいんじゃないか?とか
なるべく人の目を見ないようにギターのチューニングをするふりをし、人の流れが少なくなるまで2時間ちょっとの間、ただそこでチューニングしている人になっていました。
今思えばそっちの方が恥ずかしいのですが、、、笑
人通りがなくなった10時過ぎにようやく前奏を弾き、Aメロで歌声を出し、サビを気持ちよく歌いました。
はたから見ると下手くそな歌とギターの演奏だと思いますが、自分の中では感動と歓喜の渦に包まれて、なんとも言えない高揚感を感じていました。
初めて人前と解放された空間で、自分で奏でた音に声を乗せれるなんて、それだけで涙が出るほど嬉しかったし、これが生きているってことなんだなと当時は本当に思っていました。
なんやかんやで24時過ぎまで歌いこんで、さすがにそろそろ帰ろうかとギターをケースにしまおうとすると、
髪の毛レインボーのV系っぽい兄ちゃんが
『お疲れーす!良かったらカラオケでも行きませんか?』
と陽気な声で声をかけてきました。
この兄ちゃん、実はさっきまで駅前の方でアンプを使ってマイクでXjapanを歌っていたツワモノでした。
カラオケに入りお互いの話をしながら盛り上がりました。
彼は僕の一個下で19歳で函館から音楽をやりたいために、ついこの前東京に出てきたマリアと名乗る男の子で、美容師の女性に恋をしていました。
その人に歌を作りたいんだけど、作詞はできるけど、作曲できないから曲作れない?と言われ、僕も音楽始めてまだ2週間程だったのですが、作るよ!と啖呵を切りその日から、毎日のように街で路上ライブをし、彼と会い交流を深めていきました。
初めて作曲した曲が、彼の作詞した『桜が散るころまでには』という曲で、実際、彼の恋は桜のようにすぐ散ったのですが笑
その後、本格的に2人で曲を作るようになり、当時は斬新だったヴィジュアルアコースティックのユニット『クロス』を結成し、東京の中心地を路上ライブで巡って活動を始めました。
そこから今までの所謂『普通』の人生とは違うところにいき、
2つの大きな夢『TVに出ること』『CDを出すこと』
を目標に日々進化をしていきました。
路上ライブをやる度にファンもついてきて、そのうち定期的にライブハウスでライブもするようになり、路上ライブの時にある音楽プロジェクトに参加して、月一でそのプロジェクトが主催するライブにも出て、少しづつ知名度を上げていきました。
活動を始めて2年が経ち、僕は大学を卒業して、フリーターをやりながら2つの大きな夢を追いかけて、日々ライブ活動をしていました。
ある日、TVのオーディションがあり、それに申し込むと、プロデューサーの前でマリアと一緒に歌を歌いました。おそらく見た目のギャップが引っ掛かったのでしょうが、当時人気があった夕方17:25~のぶちぬきっていう番組にまさかの出演が決まりました。
ぶちぬき↓
https://www.tv-tokyo.co.jp/buchi_050830/
初めてのTVだったので緊張も凄かったですが、当時プロのアーティストのカバーのアレンジを作り歌うという企画でデビューしました。
僕たちクロスがアレンジした曲が小田和正の名曲『さよなら』
会場からは笑顔と歓喜が起こり、対戦相手にも勝利し、
あー!本当にこれで夢が一個叶ったと、まだ22年と短い人生の中でかけがえのない大きな経験になりました。
その後も準レギュラー的な立ち位置で何度も番組に出演させてもらい、勢いに乗った僕らはそのままCD作成を始めました。
当時はまだ最近のようにPVをCDに入れるということは新しかったのですが、それに挑戦しCD作成と共にPV作成もし、勢いが沈まない内にレコ初のワンマンライブをしました。
これも凄い熱気で当時一番盛り上がっていた中でできたので、今でも自分人生の何本かの指に入る出来事だと思います。
しかしその後、お互いの音楽性の違い(元々違っただろ?!と言われればそれまでですが)で、解散する方向になりました。
ですが、夢を2つ共叶えられたので、喪失感より達成感の方が多かったのは事実ですし、今もマリアとは仲が良く、同じ仕事場で仕事したり、良く飲みにもいく仲です。
大学2年の夏にひょんなことから後輩のライブを見に行った選択をしたから出来た夢に叶えられた夢。勿論そこに行動力がなければ何もできなかったと思いますが、行動できる若々しいエネルギーはいつまでも持ち続けたいと思います。
そして今年2023年の3月末に長年働いてきた職場を退職するという大きな選択をしました。
『#あの選択をしたから』とまた言えるような大きな選択になるよう、今自分が始めた活動を世の中に広めていけれたらと思う次第です。
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