川上未映子を読んだ

▽7月。川上未映子の『ヘヴン』以降の文庫化されている小説をまとめて読んだ。読んだのは、順に『あこがれ』(2018年、新潮文庫)、『愛の夢とか』(2016年、講談社文庫)、『すべて真夜中の恋人たち』(2014年、講談社文庫)、『ヘヴン』(2014年、講談社文庫)、『ウィステリアと三人の女たち』(2021年、新潮文庫)。

▽『あこがれ』。漫画家・志村貴子による、少年と少女の、前を向いた立ち姿の表紙。これは少年の視点の章と、そこにクラスメイトとして登場する少女が視点になる章の二章からなるこの作品の構成に対応している。章というか、短篇二つの連作、という作り方。時間は少年の章の数年後が少女の章。
幼少期にそれぞれ父と母を失っている少年と少女は、それぞれ特異な化粧のサンドイッチ売り場の女性、存在すら知らなかった異母姉を知り、「あこがれ」を抱く。そのあこがれの存在への一瞬の接近(はじめて話しかけ、自分の存在を認知される)を、少年は少女に、少女は少年に背中を押されて果たす。
『ヘヴン』。困ったことや泣くようなことはあっても基本的にハッピーな世界の『あこがれ』とはかなり調子が違って陰惨な話だが、こちらもまた、生母の特徴を引き継ぐ斜視、かわいそうな人だとされる実父の痕跡である汚れという、それぞれの親につながる要素を理由にいじめられているクラスメイトの少年と少女が、ひそかに互いを支え合う交流の物語。少年と少女は、現在、それぞれの生母、実父とは暮らしていない。
視点はずっと少年の側で、そこは『あこがれ』とは違うが、クラスメイトの少年と少女が教室の外で、クラスメイトが知らない親交を一定期間結び、隠語というのか、二人の間だけで通じる独特な言葉をつかってやりとりするのは同じ。『あこがれ』の、さようならの意味の「アル・パチーノ」は使いたくなる。

▽何らかの欠落感を持つ二人が支え合う、というひろげ方をすれば、『すべて真夜中の恋人たち』の主人公と、校閲者の主人公に仕事を依頼する編集者もそう。性格は全く違う二人の共通点は、「聖と私はおなじ年で、町はとても離れていたけれどおなじ長野県の出身だった。そのふたつと性別をのぞけばわたしたちのあいだに共通点と呼べそうなものはひとつもみあたらなかったのに、どういうわけか聖はわたしにとても親切にしてくれた。」と説明される。主人公は聖に背中を押されて会社を辞め、フリーになる。
『すべて真夜中の恋人たち』の軸となるストーリーは、アル中のような状態の主人公が外出先で気分が悪くなったときに知り合った、50代後半の男性との淡い恋愛の進展(とは言え、週に一度、喫茶店で会って話すだけだが)。タイトルも、帯も、恋愛小説です、という見せ方。ちなみに帯には「芥川賞作家が渾身で描く、究極の恋愛。」とある。
でもこれは主人公と同い年で同郷の、県は同じでも地域は違うし実際にはクラスメイトではないけれどクラスメイトのような、クラスメイトであり得たかもしれない人との、友情の物語だ。二人ともいびつで周囲から孤立しているが、仕事を介して(仕事の資料のダンボールが送られてくる)、電話で話して、最後は家で食事をともにして、支え合う。その長い年月が描かれている。

▽同級生的な人物との関係というと、『愛の夢とか』所収の短篇『日曜日はどこへ』もそうだし、『ウィステリアと三人の女たち』所収の四篇のうちの一つ目の「彼女と彼女の記憶について」はそのまま、同窓会の日の話。主人公は女優で、中学卒業と同時に引っ越して、それから一度も訪れていない出身地の同窓会に出席してみることにした。中学時代のことはなぜか全く思い出せない。同窓会での会話から、同級生の女の子が餓死したことを知り、彼女の部屋で過ごした小学生の頃の、ある習慣を思い出す。その女の子の家は、汚部屋というのか、おそらくネグレクト的な環境にあり、主人公はそこでその女の子を全裸にしていた。
三作目の「マリーの愛の証明」も、児童養護施設のようなところらしいミア寮の、元同部屋の、元恋人の女の子とのやりとり。主人公には親(?)から性的虐待を受けた過去があり、ここに保護されたようである。
『ヘヴン』のクライマックス、最後の一番陰惨ないじめの場面も性的なものだった。汚れのしるしのある少女が全裸になるという点で、裸にする人との関係性は違うけれど、「彼女と彼女の記憶について」に通じる。

▽『わたくし率 イン 歯ー、または世界』、『乳と卵』を刊行当時読んで以来の川上未映子だった。新聞や雑誌、ネットで名前を見る機会が多い作家なので、そんなに空いた感じはしない。デビュー当時と違ってストーリーテリングに比重を傾けていて、リーダブルにはなっているが、実験的な文体も部分的に残っていて、なるほど人(作家)はこうして書き継いでいくのかと納得感があった。
『愛の夢とか』は短篇集で、多少の出来不出来はあるものの、しかしそれでも一冊読み切っての満足感は高い(谷崎潤一郎賞も受賞している)。ここから推測するに、自分の中の最低限のレベルを高く設定している作家なんだろう。自分の中の、かもしれないし、作品を出せば話題になる作家なので(目立つ存在で、よく賞もとる、攻撃もされているようだ)、隙を見せられないのかもしれない。
寡作とは言えないが(エッセイもたくさんあるし対談なども多い、仕事量は明らかに多い)、小説は量産はしていないし、一作ごとに題材もかなり変えている。小説の執筆に関して、生真面目で完璧主義的なところのある人なんだろうと思う。『すべて真夜中の恋人たち』の登場人物の仕事論(仕事への姿勢によって主人公を信頼している、と聖が話す)も連想される。

▽『ウィステリアと三人の女たち』。表題作の四作目の主人公は、30代後半の主婦。主人公は、夫が不在のある夜、自宅近くの取り壊される途中の屋敷に忍び込み、光の差し込まない部屋に仰向けに横たわる。そこで追体験するのが、部屋の主、ウィステリアと呼ばれた女性の、ウィステリアと彼女を名付けた英国人女性への恋の物語である。
暗闇の中、呼吸によって上下する主人公のお腹の感覚が、英国人女性との間に子を設けるというウィステリアのかなわない夢とシンクロする。英国人女性は来日前に赤ん坊を突然死で失っている。ウィステリアと英国人女性は子供向けの英語塾という仕事上のパートナーではあったけれど、恋人関係にはない。だからそれは何重かにかなわない夢である。主人公のほうも、不妊治療をはじめるかどうかという話題をきっかけに夫との仲がうまくいかなくなっている。
現時点で、このウィステリアの表題作が一番いいと思う。もちろん好みは人による。たとえばわたしには『あこがれ』が好ましく感じられる。『すべて真夜中の恋人たち』もいいが、細部まですべてカウントするなら、『あこがれ』。でも好みとは別の基準で、このウィステリアは、高度にテクニカルで(ウルフも参照している)、難しいことをしているのにイメージが鮮明。ラストの藤の花。うまいんだけどあざといわけではなくて、切実さがある。そこがこの作家の美点だと思う。最新作の『夏物語』の文庫ももうすぐ。楽しみ。

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