谷崎由依を読んだ

▽7月。スペースの都合でできるだけ文庫化されるのを待つことにしているが、谷崎由依、なかなか文庫化されない。単行本で近作を購入。
読んだのは、『遠の眠りの』(2019、集英社)と『藁の王』(2019、新潮社)。

▽『遠の眠りの』、いいところもあるが、全体的にぼやけている。多分、長すぎる。中篇、もしくは思い切って短篇(長めの短篇)に圧縮したほうがいいのではないか。『藁の王』くらいの長さが書きよさそう(単行本『藁の王』の表題作)。それか、三つの連作短篇の形式の長篇とか(主人公が村を出るまでで区切って、工場、百貨店であわせて三つ)。
主人公が家=村を出るまでが長くて重い、逆に歌劇団を離れてから終わりまでは駆け足。スロースターター。長篇全体の構成だけでなく、情景や感情の細かい描写をしばらくする、言い換えを重ねる→ぱっと出来事を書く(特に史実に関して)、というのも。書いてみて、自分で言葉にしてみてはじめて見えてくるものがあって、それを踏まえて次に進む、という書き手なのだろう。それはわかるしそれゆえの丁寧さもあるが(描写も人物造形も)、もったりする。焦点がぼやける。

▽いいと思った点。
・主人公の絵子が村を出て最初に勤める紡績工場の所長である桜井と、次の勤め先の上司、少女歌劇団を創設する百貨店の支配人で元教育者の鍋川が、単純な悪役/善役になっていないこと。主人公と彼らの間の会話がよい。
・少女歌劇団の話が、東京や関西の大都市でなく福井を舞台に展開されること。主人公は農村から町に出ているが、上京しているわけではない。過去(村、家族)が完全には切れないで連続している。作中の歌劇団のモデルは、福井のだるま屋少女歌劇部(作者は福井出身らしい)。パンフレットとか舞台写真とか見てみたい。調査したくなる。
・主人公が歌劇団の演者ではなく、「お話係」(脚本家)の立場であること。『藁の王』を読むと、書くこと(自分が接した何かをもとに書くこと、書けなくなることもあること、書く者の倫理、観客・読者のコメントに書き手が左右されること、など)をめぐる話だという点は共通している。主人公が書いた作品が明快、爽快でない点もよい。
・タイトル。回文になっている歌の一部。

▽『遠の眠りの』も、『藁の王』所収の四作も、迷いが多いと感じた。『藁の王』だと、『藁の王』と『蜥蜴』によさがあると思うが、その分迷いも深い。


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