羽田圭介を読んだ

▽9月。読んだのは、順に、『不思議の国の男子』(2011、河出文庫)、『走ル』(2010、河出文庫)、『黒冷水』(2005、河出文庫)、『隠し事』(2016、河出文庫)、『ミート・ザ・ビート』(2015、文春文庫)、『メタモルフォシス』(2015、新潮文庫)。ここまででいったん区切って、記事を書きはじめた。
書きながら、『盗まれた顔』(2018、幻冬舎文庫)、『スクラップ・アンド・ビルド』(2018、文春文庫)、『御不浄バトル』(2015、集英社文庫)、『「ワタクシハ」』(2012、講談社文庫)、『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』(2018、講談社文庫)も追加で読んだ。これで現時点で文庫化されている羽田圭介の作品はすべて読んだ。
『黒冷水』で文芸賞を受賞しデビュー。『走ル』『ミート・ザ・ビート』『メタモルフォシス』が芥川賞候補、『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞受賞。ピース又吉と同時受賞。

▽このところ、沼田真佑や高橋弘希など渋め・重めのものを読んでいたので、東京の私大(Mとあるので明治大学だろう)の附属の中高一貫の男子校の高校一年生の、下ネタを「空気」だとするくだらない会話が全篇続く『不思議の国の男子』(原題は「不思議の国のペニス」)に、なかなか自分の調子があわない。空気=よんで言う、ではなくて、それがないと呼吸できないもの、らしい。
主人公の恋人の名前がナオミ(尚美だけどカタナタ表記)で、友人の一人が谷崎だから、まあ谷崎潤一郎ですよ、ということなんだろう。深い意味はなく。『走ル』で山形を通るときに「JINMACHI」という駅名の看板が出てくるのも、深い意味はなく、阿部和重へのオマージュなのだろう。
主人公とナオミは、A(秋葉原)のアダルトショップで買ったSMグッズでSMならぬSSプレイ、というかセックスは未経験でお互い避けたい(ようなそうでないような)ので交互に加減しつつ鞭で叩き合うなどする。
SMを題材にした作品には、他に証券マンが主人公の『メタモルフォシス』と、『メタモルフォシス』所収のアナウンサーが主人公の『トーキョーの奴隷』があり、いずれも鞭をふるう女性が出てくる。『メタモルフォシス』には人糞食の場面があり、これが芥川賞受賞作にならなくてよかったと思う。これを最初に読んだら他の作品に手をのばさない人が多いのでは(わたしならそう)。と言って、介護と筋トレを題材にした受賞作『スクラップ・アンド・ビルド』が最初に読むのに適しているかというと、羽田圭介らしい濃さがなくて(あるけど隠れていて)、抵抗感はないけど平凡に見える気もする。『トーキョーの奴隷』は、作品の完成度という意味では一番高い。
『不思議の国の男子』は、ところどころセンチメンタルになる点も含めて、高校生の日々を当時大学生くらいの作者が書いたもの、と思えば納得はできる。しかし、東京の私立の大学附属の男子校のノリ、地方の公立の共学出身者としては、やーこれはたえがたいわ、と思ってしまう。附属だから受験がなくて、同級生たちは簿記の勉強をしている。主人公は「勃起」とかけてからかうがすべる。
『黒冷水』の兄弟の確執の背景にも、兄が大学附属の中高一貫校(これも明治大学の附属だとわかるように書いてある。作者は当時その高校に在学中)の受験のための塾通いでストレスを溜めて学校や家で暴力を振るっていた過去や、弟が兄より偏差値の低い中高一貫校に通っていることを両親が軽んじるようなことを一度言って弟が傷ついていたことが関係していて、いかにも東京圏の男子校生の話だ。

▽『走ル』は自転車、『ミート・ザ・ビート』は自転車と車、『ミート・ザ・ビート』所収の『一丁目一番地』はジョギングと、どれも道を走る話。どこをどういうルートで走るかという話。
『走ル』は、陸上部の高校生がロードバイクでふと青森まで行ってしまう話で、全篇ほぼ自転車に乗っているだけ。家族友人恋人とメールや電話はするが、会津若松で城くらいは見るが、観光も対面での人との交流もほとんどない。
最近自転車(クロスバイク)に乗りはじめたこともあって、楽しく読んだが、『ミート・ザ・ビート』で自転車から車に主人公の乗り物が変わると、全く興味が持てなくなる。好きな作家でも、車に関するくだりはどうしてもそうなる。たとえば絲山秋子でも。残念だ。

▽全篇男子校の高校生の下ネタ、全篇会社員のSMプレイ、全篇高校生の自転車走行、というように、作品単位で、一つのアイディアを形にしている。
『黒冷水』は高校生の兄と中学生の弟の間の自室を舞台にした、『隠し事』は同棲中の恋人間の携帯電話に関する、それぞれ疑心暗鬼の戦い。『「ワタクシハ」』は、高校生のときにギタリストとしてメジャーデビューした過去を持つ大学生の就活の話。アイディア→主人公の設定×題材で、一つの作品になっている。それで一作書き切っている。だからリーダブル。
あとは、多くの作品に「勃起」という語が出てきて、かつ性交渉、というかまあ挿入、が行われないのは、この作家の特徴だと思う。そんなことを特徴だと指摘するのはどうかと思うが、おそらくクレバーな人で、インタビューなどを読むと自作についてとても的確に説明していて、逆に言うとそれ以上の分析や批評はしにくい。
読んだ限りの作品は、どれも作品という単位でエンターテイメントとして成立していて、勃起はするが挿入はしない男性が主人公である。しないと言っても、過去に恋人と一度性交渉の経験があったり(『走ル』)、デリバリー型のSMにのめり込む傍ら妻と月二回の性交渉をしていることに言及したり(『トーキョーの奴隷』)はするから、したことがないとかできないとかではない。
追加で読み進めていくと、『スクラップ〜』『御不浄バトル』『「ワタクシハ」』の主人公には恋人がいて、上記の特徴が当てはまらないことがわかった。人々がゾンビ化する『コンテクスト〜』は主人公がいない(ただこれは横へ横へというように短い章ごとに違う人物が中心になる序盤はいいのだが、徐々に中心となる人物が絞られてきて、タイトルの意味が明らかになる後半は教訓的になり失速する)。
『御不浄バトル』は、悪徳会社に就職してしまった新人会社員の話で、通勤途中の決まったトイレでの排泄の習慣からはじまって、会社内のトイレでの食事、さらにダッチワイフを膨らませての自瀆へとエスカレートしていく。
このトイレの話も、SMも、どこかを走るのも、筋トレや就活も、主人公の男性は、そのシチュエーションにおける自らの肉体の変化に意識を集中させている。変化は体の内側で実感され、かつ、外からも見えるものである。
たとえば『「ワタクシハ」』のタイトルが就活で面接を重ねていく中で「僕は」ではなく自然と「ワタクシハ」と発話できる身体になることをあらわしているように、その変化は意識が変わることでもある。体とそれと連動する意識を改造するというモチーフは、すべての作品の底に流れている。
その変化が勃起である場合、主人公は、勃起するのみならず、「勃起」という単語を口にしたり、勃起を意識したりする。東京の私立の大学附属の男子校とか、自転車や車、就活がどうとかいうことじゃなくて、この変化する身体の器官というイメージが、どうも根本的につかめない。つかめないというか、そこへのこだわりがこの作家の味(濃さとユーモア)になっていると思うので面白くはあるのだが、けったいだなあ、とは思う。

▽主人公の身体の変化に沿って、作品には前へ前へと推進する力が備わる。作者はそれを引きで見ていて、大づかみに把握している。で、エンターテイメントに振り切った警察小説『盗まれた顔』、あと『走ル』『「ワタクシハ」』あたりは、その推進力を最後でふっとゆるめて、非常にきれいな着地を決めている。人物の身体の変化=推進のエネルギーと、それを手放す感覚は、他の作家にはないものだと思う。
これから読む人にすすめる3作を選ぶとしたら、『盗まれた顔』、『トーキョーの奴隷』(『メタモルフォシス』所収)、あとは『黒冷水』か『隠し事』のどちらか一つ。『盗まれた顔』が面白くて『トーキョーの奴隷』にやや引いたなら、『隠し事』。

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