"書き手"と"読み手"


このnoteには"ダッシュボード"という機能がある。そこでは一つの記事に対しての閲覧数やスキの数、コメントの数を確認でき、それを「週」・「月」・「年」の期間を選んで見る事が出来る。
つまりどの記事がどれだけ読まれているのか、
どのようなタイトルや内容が読まれているのか等の簡単な分析ができる。ヒラのサラリーマンが書く中身のない、言いたいことがよくわからないエッセイを綴る僕でも、やはり読み手の方の動きや反応が知れるのは面白いし、また書こうとも思えるモチベーションを得れる。しかしそれは残酷なものでもあったりもする。
僕が気合を入れてエッセイを書き始め、何度も訂正し、たっぷり愛情を込めて書いたものが必ずしもスキの数が増えるわけでもない。むしろ1時間でぶわーっと衝動的に書き綴ったものの方が閲覧数やスキの数が多かったりもする。(酔って書きなぐったものもそのまたひとつ)
書き手と読み手は思っている以上に1つのエッセイや記事に対して違う視点で、思いで、感情で読まれているのだなと思う瞬間でもある。またそこに宗教観・性別などの様々な価値観が含まれると、多くの人に読んでもらえることと評価を得ることが如何に大変であることと凄いことだと勝手に感じる。
過去にエッセイだけでなく小説をも書きたいと思ったが、それを評価するのはやはり著者ではなくて他人である。自虐的な話や価値観をエッセイで書いたところで共感されなければ、仮に小説を書いたとしても言葉足らずで何も印象に残らない作品になってしまう。
それはエッセイだけではなく、今の僕の仕事についても同じことが言える。上司から良い評価をして貰いたければ上司が望む部下像よりも遥かに良い成績を残した人間が良い評価を受ける。つまり自分の頑張り次第でしかない。
このエッセイの閲覧数・スキの数を上げるにはやはり僕の書き手としてのスキルを上げるのが一番単純な方法だ。

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