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今の心情斜め45°

人それぞれ経験してきた物事は違う。
Aという物に対して高評価する人もいれば低評価する人がいる。そんなのは当たり前で在りむしろ正常な判断、意見。
それでも自分の判断が間違っていなかったといわんばかりに大して好きでもないAを推してくる人はめんどくさい。Aのごり押し。
押し付けんなよって、思う。
それが親であっても恋人であっても親友であっても面倒くさいものは面倒くさい。その面倒くさいが言えるかどうか。
面倒くさいという心情、もしくは「Aって微妙じゃない?」って言える心が必要だと思っていた。
しかし最近、この考え方が変わった
それは
「真実を言っても必ずしも人を幸せにしない」
ということ。
「真実はいつもひとつ!!」
お決まりのセリフを言う小学生(頭脳は大人)のような人もいるがそれは殺人事件や何か問題が起きたときのみ有効であり、家族や親友、恋人などの近しい人間関係においては「真実(もしくは論破)」など要らない。
なぜなら誰もその真実を必要としていないパターンがほとんどなのだ。
よかれと思って口に出す言葉(真実)は決して相手が求めているものではく、むしろ「ナニコイツ何様」と思われる傾向にある。
※ちなみに「ナニコイツ何様」の最終形態は「うざッ」である
そしてこの傾向は男性が年齢を重ねていけば行くほどこの傾斜角(真実言ってしまう率)がどんどん高くなっていくという事実もある。
日々の業務に効率化を求められてしまうサラリーマンは、きっとこの真実を伝えることによって問題解決できるのではないかと思ってしまうがそれが仇。
なんせこんなことを書いている僕がその傾向真っ只中であるのでこの事実の信頼度は僕の折り紙付き。絶賛傾斜角高度中。
真実ばかりを言っては女の子から好かれることはまずない。苦虫を食い潰す気持ちで真実を言う心を抑え、ひたすら傾聴することに専念するほうが良いのかもしれない。

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