縄文人と兄

44歳の実兄が今年の3月一杯で20年以上勤務した一部上場企業を退社した。何でも福島で自給自足の生活をするのだという。

ちなみに実兄は結婚をしていて小学校5年生を筆頭に子どもを4人も抱えている。

うちの両親は何を考えているのだと呆れながら、何度も心配を繰り返しているが、僕ら弟や妹達は「あのお兄ちゃんだからね」と至って当たり前の出来事の様に受け止めている。何しろ新聞もテレビも冷蔵庫もないような生活を東京で20年以上も続けていたのだし、それについてきている妻と子ども達がいるのだから。それに僕らは両親とは違い、彼の人生だからと冷静に受け止められているのかもしれない。

先日の大型連休で実兄の新居を訪問がてら、記念すべき新生活のお祝いに姉とその友人と僕の家族とで福島へ行ってきた。

最寄の高速道路のインターチェンジから40分程度のところに兄家族の新居はあった。但し、新居と言っても築30年は経とうかというボロ屋である。しかし、そこには600坪の広大な土地と、胸をすくような景観がついていた。茶の間にある戸を開けると、見渡す限り田畑が広がっており、兄夫婦の言う「この土地に惹かれた」といのも頷ける。

ここは地主から家付きで賃貸してもらっているそうだが、家賃は1万5千円だという。最初はもっと高値だったらしいが、東日本大震災による福島原発の影響で一時はタダでもいいという話になったものの、結局、1万5千円になったのだと笑って話してくれた。

弟としては「なぜ自給自足?なぜよりによって福島?」なのかということだ。

実に久し振りに実兄と二人きりで酒を酌み交わしながら、みんなが寝静まってきた頃にこの話を切り出した。

実兄はどちらかというと飄々(ひょうひょう)としながら、いつも穏やかに人の話を聞いたり、時々思い出したように客観的に自分の話をするくらいなもので、自分の主義主張を熱心に語るようなタイプではない。従って、必然的にインタビュー形式のような、おかしな会話で話が進んでいった。

ちょうど兄の自宅でご馳走になった夕飯が、普段食べているという砂糖や肉を一切摂らない、自然食というか、穀物菜食というか、いわゆるマクロビオティックのようなものだったので、この新生活は「食」や「健康」にこだわってのことかと思いこう聞いてみた。

「やっぱり自然食っていいよね。身体が健康になる感じがする。こういう生活がしたかったわけなの?」

と尋ねると、兄は

「確かにこういう生活をしようと思って、もう二度と肉を口にしないと覚悟して来てみたけど、俺達のことを珍しがって、近所の人達からしょっちゅうバーベキューに誘われて、東京に暮らしていた時より肉を食べる回数が増えて困っているんだ(笑)」

と愉快そうに話してくれた。

地震後の、しかも、過疎化や高齢化が進むこの田舎町では兄家族のように移住してくる子連れ家族は珍しく、好奇心からか、ご近所さんから良くしてもらっているようで、少し安心をしたが、「食」や「健康」には言うほどこだわっていないということが分かった。

「でもさ、自然と暮らすなら、前にも好きだと話してくれた沖縄とか、別に新潟でもいいわけだし、何で福島なの?」

とストレートに切り出すと

「別に俺だって色んな土地を比較検討して、この土地に決めた訳ではなくて、たまたま人の縁があってここを紹介されて、そして、この土地の人と出合っただけの話なんだよ」

兄家族は数年前から、この土地が住むのに適しているかを四季折々の時期にあわせて何度も足を運んでいて、地域活性化プロジェクトのリーダーである(と言っても70歳過ぎ)世話人のような人を中心に、地元の人との親睦を深めてきたという話は聞いていた。

「でも、よりによって子ども達もいるのに何で福島なの?」

「確かに放射線量の問題とか安全の面では相当、俺達夫婦も悩んだけど、地震が起きたから、原発事故があったからと言って、自分達の選択を曲げるというのは、俺達の人生に“わだかまり”を残すような気がしていて、俺達夫婦はこの“わだかまり”を抱えたままは生きられないという判断をしたんだ」

福島県とは言え、この土地には普通に暮らす人がいて、ましてや、原発の近い地区に住んでいる人たちが避難してきている土地である。ほぼ移住することを決定して、世話人始め、多くの地元の人から良くしてもらった流れを踏んできていることを考えると、兄夫婦の判断も分からなくもない。ただ、地元の人は地震も原発事故もあったから約束は反故にして来なくてもいいんだぞ、と言われたらしいので、これは紛れもなく兄夫婦の決断だったのである。この決断があって家賃が1万5千円になったと笑う兄がいたのだと感心したし、このタフさがあれば大丈夫だろうと安心もした。

「放射線量が大丈夫かどうかは、俺なりにちゃんと検証したし、すげー高かくて驚いたけど、ガイガーカウンターだって買ったんだ」

そう言って土地を区分したポイントを地上30cmの地点から測量しているというノートを見せてもらった。

「国の基準は地上1mでの計測だけど、俺はさらに安全を見て30cmからにしている」

と誇らしげに話してくれた。 兄は千葉大工学部出身でこういう理系的な考えはしっかし持ち合わせているから、いちいち説得力がある。

ちなみに後で調べてみたら、兄のノートにある0.1~0.2μSV/hという値と三条市の住宅の室内で測定した値とはほぼ変わらない値だ。兄の言うように日本中が放射線で汚染されている状況なので福島だからと言って、日本中どこでも関係ないのかもしれない。

「俺、次郎がちゃんとお父さんの会社を継いでくれているから、こうして好き勝手な生活ができていると思っていて、実はすげー次郎に感謝してるんだよね」

酔いも手伝ってか、意外なことを兄は口にした。

「だって、会社経営って大変じゃん。キチンとしなきゃ行けないしさ」

全ての経済力を投げ捨てて福島に移住した兄と会社経営者である自分を比較して、大変なのは兄の方じゃないか、と半ば心の中で思っていたので面を喰らってしまった。確かに兄の悠々自適な新生活を羨ましくも思いはするが、子ども達4人を抱えて大変なのは明らかに兄の方だ。

一応、兄から「会社経営者」と話を振られたので、それなりに返そうと思ってこんなことを言った。

「そりゃ、今の時代、会社経営は本当に厳しくて大変だよ。でもキチンとするのは組織である以上、重要なことだし、当たり前のことだよ。今より改善したり、良くしたりするために企業はあるんだし」

この返答を兄は確信めいた表情で受け止めると、

「でもキチンとした結果がどうなった?戦争が起こって、こうして原発事故だって起きている。キチンとしなければこんなこと起こらなかったはずだ」

寡黙な兄が珍しく熱く語り始めた。

「とにかく原発は絶対に間違っている。設計主義が世の中をダメにしてるのだ」

確かに兄の言うように、あれだけ原発がないと電力が不足して経済が立ち行かなくなってしまうと盲目的に言われていたが、本当は原発を完全停止しても停電なんかせずにすんでいる。このまま行けば夏だって停電しないかもしれない。

冷蔵庫を捨てたという兄にしてみたら、日本中、いや世界中の人が冷蔵庫を捨てればいいのにと思っているのかもしれない。溢れんばかりに生活に密着しているいわゆる文明の利器の代償として人類はパンドラの箱を開け、とんでもない方向へ進んでしまった。しかも、それが政治力や利権で恣意的に制度や法律で作り上げられたものなのだから、その憤りはたまったものではない。かといって、この便利な生活を捨てることなど中々できるものではない。しかし、兄に言わせると、自然の摂理に逆らい、人類のおごりで真逆の方向に進んで行ったのはここ近現代の歴史でわずか100年程度のことで、人類の何万年という長い歴史の中で考えてみればわずか100年程度の時間を捨てることくらい容易いことだという。各国の金融危機、経済破綻などは自然の摂理に逆らった矛盾から、破綻や崩壊が生まれているので、逆に当たり前のことだと話してくれた。

「設計主義って何のこと?原発を設計したりすること?」

と聞くと、

「マルクスだって、レーニンだって言っていることは絶対に間違っていないけど、それを型にはめてキチンとしようとするから無理が生じて崩壊してしまったのだ。そういう制度を設計する考えのことを俺は設計主義と言っている」

「アナーキーがいいってこと?」

「アナーキーがいいかどうかは分からないけど、キチンとしなければならないみたいな考えは無理があるってことだよ」

経済的な豊かさを人類が求めるのは自然の欲求で止めることはできないが、それを設計主義的に型にはめてしまった結果、日本で言えば年間3万人以上の自殺者を生み出している。あるいはキチンとした結果が戦争や原発を生み出しているのだ。 でも、100年の歴史を捨ててあるがままに生きる生活など、やはりまだ腑に落ちないので、こう聞いてみた。

「でもさ、知的欲求や好奇心、向上心は生まれながらにして、誰もが持っているものだと思うし、俺自身は自己を高めたり、人に影響を及ぼすような生き方に使命感を持っているつもりなんだけど、そういうのはどう思うの?」

「だから、お前は経営者に向いているのだし、俺は向いていないと言うことだ。ま、そういう考えがいいと思う人はいいし、そう生きればいい。でも、それを人に押し付けては上手く行かないということ」

「でも、それじゃ会社は上手く経営できないよ」

「だから会社経営は大変なんだと思うんだよ。俺はお前がやっていてくれるから助かっている」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「それは分からないけど、キチンとし過ぎない上手いところで折り合いをつけるのがいいんじゃないの?」

「キチンとしないことが上手く行くということが、まだ理解できないんだけど?」

「例えば、今日会った○○さん、ちょっとおかしいだろ。普通の会社では勤まらないわけだよ。実際、働いていないし。でも、ここの生活では生き生きしている。そういうのが自然でいいんだ」

○○さんとは、ちょうど時期を同じくして福島に遊びに来ていた40歳代くらいの青年のことだ。目が虚ろで、挙動不審で、ブツブツ何かを言っているので、うちの4歳の娘がガン見して、こっちがハラハラしてしまった。ちょうど新宗教団体のパナウエーブ研究所にいそうな感じである。直接、話はしなかったので、どのような人かは分からないが、一見して普通とは違う人だった。ひょっとしたら現代のコミュニティには馴染めず3万人の自殺者の一人になっていたかもしれない。しかし、この人は家族や周囲の友人に恵まれて、働いていないが(と思われるが)実に生き生きとして暮らしている。

兄はこの人が知的欲求や好奇心、向上心を持って、今よりも良くなろうと思って生きているかというと、その人ではないから分からないが、使命感や生き方は人それぞれで良いのだと多様性のある生き方を尊重すると言っていた。極端な話、現代の社会では働かないことは悪いことだとされているが、別に働かなければならないというのも設計主義が決めたことであって、別に支える人がいるのだから、そういう存在があってもいいのだ。

そう言われて、まるで働かない(働いているふりをする)働き蟻がどんな時も全体の20%存在するという話を思い出した。 自然の摂理とは本来そういうものなのかもしれない。

あまりにも現代社会からかけ離れている兄の話を聞いていると、あるがままに他者を受け入れ、共に生きるという世界も悪くないかもしれないと思った。しかし、兄の話が自分の中では釈然としていて、整理できない状態が続いていた。近現代史の誤りを否定する兄の生き方に高揚感みたいなものも感じたので、未だ冷静に受け止められていなかったのかもしれない。

さて、昨日、長岡の丘陵公園に子どもを連れて行ったのだが、雨だったので仕方なく、近くの新潟県立歴史博物館で縄文人の暮らしぶりを見学に行ってきた。 展示されていた中に発掘された縄文人の人骨が展示してあった。骨の主は大腿骨の異常な細さから寝たきりのポリオ(小児麻痺)と見られ、農耕がなかったその当時は周りの扶助がなければ成人まで生きるということは不可能であったと解説が加えられてあった。つまり、既に縄文人が相互扶助という考えを持っていたということである。 そして、その時代は1万年ほど続いたわけであり、有史2000年の私達の歴史と比べるとその期間は、はるかに長く、どちらが人間らしい生き方なのかと考えてしまう。

服こそ身に纏っているが、電気を使わず保存食を作って暮らす縄文人は、兄家族の生活ぶりにそっくりだった。兄は縄文時代に帰りたかっただけなのかもしれない。そして、あらゆる設計主義が崩壊し、破綻してきている今、人類の時代もひょっとしたら縄文時代に戻るのかもしれないと思った。
(2012年5月8日)

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