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世間とハタチの最低な自分

奇跡的にハタチの誕生日を迎えられました。

花束と手紙を1番たくさんいただいた。幸せです。

大好きな先輩からリメイクされた古着をもらった。
背中に大きく

『Freedom or Death』


と書かれていた。
この文字によると自分は今、死んでいる。

昨日も今日も、自分のFreedomを守れなかった。

FreedomとLibertyの違いなどは難しい。
今回は先輩には申し訳ないがLiberty的な意味で
「自由」か「死」かということにする。

要するに
「自由」=「勝手気まま・やりたい放題」ではない。


自由(Liberty)には責任がついてまわるという人が多いが、
そもそもLibertyの語源には「欲望”から”解放される」
ということも含まれていると解釈する。

おれは他人と相対的に「自由」気味だと思うが、
欲望を解放しているだけでなく
欲望”から”解放されているとも思う。



自分はセックスをして、もしパートナーが妊娠したら
その時にどういう関係の相手でも
社会的かつ経済的な責任を取るつもり。

自分の行動で何か問題を起こして
損害賠償請求をされても
法的な範囲内でもちろん責任を取る。

こんなコメントでは何のフォローにもならないけど。


自分は対極と思われる立場の人や
初めてしゃべる人を中心に
あまり理解してもらえない。

見た目は割と好青年だろうが
中身の思想はかなり「自由」すぎるのかも。


だからどれだけテレアポ(電話営業)で
光回線を売る成績が良くても、

自分を売るのが下手すぎる。


自分はさまざまな意見を受け入れているつもりだ。
食の好き嫌いもないし、嫌いな人もいない。
異なる考えも100%いいじゃんと思っている。
世間一般の「嫌なこと」をされても、
それを理由に嫌いにならない。
毎日が「地球ありがとう」レベル。

しかし周りから排他的(否定的)だと言われることが多い。

基本相手に忖度しないこと。
自分の主張を分け隔てなく全て伝えるところ。
自分がされて嫌なことがないから、
人の嫌なことを察する能力が極端に低いこと。
普遍的に話したくて注釈をつけすぎること。

これらが排他的と呼ばれる大きな要因かな。

そんなつもりはないが、
そう言われることが多いからたぶんそうなんだろう。


でも自分の意見を主張できない社会は正解なのか?
それでも周りの配慮を最優先にするべきか?
その折衷案を模索するべきか?

そもそも社会的・社会とは何なのか。

日本に社会は存在せず、あるのは世間だけかも。
「社会」はsocietyの訳語として
江戸時代に作られただけで
それまでの日本に社会はなかった。

まあいいや。



この1年は週1ペースで感極まって泣いていた。
どうやら夕日を見たら泣く能力が身に付いたよう。



今年1年は、特に芸術的に生きてきたつもり。
芸術的?調子乗るなよと、すぐに思わず聞いてほしい。

ロマン主義的な「Art」の解釈は
人の心に傷をつけることに近い。

物理的な傷や大きな悲しみではなく、
外の世界に引っ張り出す動きである。

エンターテインメントとアートは違っていて、
エンタメにはいいねが集まる。
それはある種のマーケティングの結果にすぎない。

しかし本来のアートにはいいねが集まらない。
むしろ大衆はその考えを受け入れたくない。


自分が立てるデートプランは大体エンタメ的な
大衆が喜ぶものではない。

たぶんいいねが集まらない。
すぐに山に登りたがる。

相手に100%合わせることはなく、
たぶん知らないだろう価値観をぶつけてみる。


もっともっとArtisticに生きてやろう。
でもその分、人の心に傷をつけてしまうのかな?



アツすぎて大好きなアーティスト「MOROHA」が
三文銭』の歌詞で

「わかる人だけがわかれば良いは飲み込んだ」

と言っていた。
かっこいい。

別に、全てを相手に委ねなくてもいいと思う。
でも大切な人にわかってもらえない人生は
ちょっとカッコ悪いな。


世間と自分の折り合いはどこに着地するのだろう。



大切な友達がInstagramを辞めた。

大切な1つ下の友達がこの前、出産した。

大切な友達がYoutube登録者10万人に手が届きそう。

大切な友達がホルモン屋をしている。

大切な友達がLAでレペゼンのカメラマンをしていた。

大切な友達が無一文で歩いて日本一周をしていて、
沖縄へのフェリー代が貯まらず、鹿児島で停滞している。

大切な友達がサハラ砂漠縦断をするらしい。

大切な友達たちが夢をばら撒くために走り回っている。

大切な友達が自分の創ったアクセを売っている。

おれももっと生きてやる。



そんなことを言いながら、今日、
大切なひとを2人も大切にできなかった。

なんか自分が小さすぎる。

そして最低すぎる。


でも今日がこれからの人生の最低なだけで
明日から最高を目指せばいいよね。



それでもまだ陽は登ったばかり。

親がよく言うセリフ
年齢を3で割った数字が、今の自分の時間だと。

72年生きる計算で、おれはまだ朝の7時前。

楽勝。余裕。

でもそろそろ起きないとね。



先日彼女と別れた。
かなり激しい形で別れた。
いつものイケイケなnoteを今は書けない。

でも色々と気づかせてくれる。


彼女と別れた衝動買いとして
さっき1月20日の関空→バンコクの飛行機をとった。
(何ちゃら株が流行っているんかな?)

そこから3ヶ月ぐらいかけてタイから陸路でインドにいく。

行きの飛行機以外ノープラン。
お金は路上で夢を語りながら靴磨きをして貯める。

まるで1年前に路上に立っていた自分に戻った気分。

年確と彼女を失った分、
空いたカバンにパスポートを詰めて少し旅に出ます。

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