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ドカンと、うまいつまみ

「#まるのつかない日は料理本デー」
今回ご紹介するのは「ドカンと、うまいつまみ」です

誰しも、どんなジャンルでも、何かを自分のものにしようともがいている時におちいりやすい地獄がある。それは「考えすぎ地獄」だ。

知識をインプットし、実践し、クリエイティブの幅を広げていく。なんだ、私もできるようになったじゃんと自信がつく。もっと、もっと、知識を得たい。こんな方法があるのか→試す。あんな展開の仕方があるのか→やってみる。そこそこいろんなことができるようになる。楽しい...楽しい...

というあたりでやってくるのが「考えすぎ地獄」だ。なまじいろんな知識を知ってしまったため、何を作るにも「自分の知ってること」が山のように思い浮かび、すべて実装しないと気が済まなくなる地獄だ。

私の場合は料理である。「ジャガイモと豚肉があるけど、どうしよう」って時に、ただ煮たり炒めたりするだけなのがひどくつまらなく思え、自分の知ってる食材や調理法をもりもり詰め込みすぎてしまう。紅麹でマリネードして、コンフィにして、油通しして、蒸して、再度炒め合わせて、醤油とアリッサと砂糖とピッキーヌーとバルサミコ酢とバッケ味噌と花椒で味つけして、トリュフオイルで風味をつけ、ベッシーで包み、パルミジャーノレッジャーノの塊に乗せたくなる地獄だ。砂糖も上白糖なんてダサい。和三盆とカソナードとココナッツシュガーを混ぜて使うのだ。サラダオイルもダサい。鴨油と太白と佐渡島バターを全部混ぜるのだ。酢も、醤油も、味噌も、何種類も合わせて、混ぜて、あれこれ詰め込んで...という時期があった。誰しも、どんなジャンルでもあると思う。

やりすぎ、詰め込みすぎの「何がやりたいのかわからない」料理ばかり作っていた。そんな時に出会ったのが、今回ご紹介する小林ケンタロウ著「ドカンと、うまいつまみ」である。

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あのころの私ときたら、プロ向けの専門書しか相手にしないような、鼻持ちならない意識高々さんだった。その日もいつものようにプロユースの料理本が充実している行きつけ本屋を周回し、「シャルキュトリ大全」だの「中国料理の技法 爆」だのをパラパラとめくっていた。

そこへ神様が、ポンと目の前に本書を置いてくれたのだ。たぶん実際は、誰かが元に戻すのが面倒でそこに置いていったのだろう。だが、おかげでこの本を手に取ることができた。専門書とは明らかに色気が違う表紙に気を取られ、ページをめくってみた私は驚愕した。それが、これだ。

手羽先

あああああ!

目からウロコが落ちた!いや、カイの心に刺さった鏡のかけらが溶けた!
私は急に思い出した。自分は何を食べてきたのか。どんな料理を好んで作っていたのか。そもそも何が好きだったのか。そうだ、こんなふうに黒コショウをガリガリきかせた、暴力的な肉が大好きだったじゃないか。

ドキドキしながらまた無作為に、今度は前の方のページをめくった。

パリパリ

あああああああ!

パリパリ!かりかり!好きだ!忘れてた!なんてこった!こんな大事なことを忘れてたなんて!

パラパラパラパラ、パラパラパラパラ、とページを行ったり来たりした末に、今日は専門書ではなくこの本を買おうと決めた。そうして私は人の心を取り戻し、しばらくは「知識ではなく感情で作る料理」に夢中になったのである。

「知識ではなく」といっても、知性がない料理という意味ではない。むしろシンプルそうに見える料理に、何か個性をつけるためのひと技が効いていて、非常に頭のいいレシピだと思う。

調理法や、素材の合わせ方などは、奇をてらったものではない。なので、ある程度料理ができる人なら「この本を見ながらでないと作れない」という料理はないだろう。サクッと作れるものがほとんどだ。

それでも私がこの本をずっと持ち続けているのは、思い出したいからだ。「自分はこれが好きだった」ことを思い出す。「過去に作ったお気に入り」を思い出す。思い出して、また作ってみて、ああ落ち着く、となる。居場所とか、ホームグラウンドに戻る目印のようなものかもしれない。


では他にもいくつか料理を紹介しておこう。

・簡単ピクルス

ピクルス

料理本のトップページは、ミュージシャンで言えばファーストアルバムのようなものだ。そこにすべてがある。すべてがそこから始まっている。そんなわけでこの料理は、彩りもよく、簡単で、そのくせ万人ウケし、文句なしのファーストアルバム。しかも1曲めだ。私も家によく人を呼んでいた時は、これにお世話になったものだ。ちょっと多めに作っておいて、宴たけなわのテーブルがダレてきた時に残り半分を出すと、冷たい口当たりにまた次々と箸が伸びる。


・牛たま

牛たま

あまから牛肉に卵黄をからめて食べるの、うまいに決まってる。こういう卵黄とろり料理は、仲の悪い人とは絶対シェアしたくないものだが、だからこそ「自分だけ」で抱え込む喜びがある。ちまちまつまむ肴の最高傑作。


・チリビーフビッツ

チリビーフ

若い頃から我流で作っていたものと酷似しているため、これでいいんだと背中を押された気になり、それからはよく人にも出している料理。昔はソーセージ状に長くしていたが、こんな風にひとくちサイズの方が早く焼けるし、つまみにはいい。揚げずにオーブントースターや魚焼きグリルでもOK。


・トマトサラダと、大根サラダ

トマト

大根

1つの素材から広がるバリエーションが好き。素材の切り方と味つけの違いで別の料理にするこのページは、ぼんやり眺めているだけで酒の肴になってしまう。


・ポテトスキン

ポテトスキン

店をやっていたある年、最後のお客さんを帰し、片付けをしていたら12時を回った。12時過ぎればもう誕生日だ。私は何かしら自分を祝おうと残り物をあさったのだが、その日は非常によく売れたため、サヨリの骨1つも残っていない。そこでさっきむいたばかりのジャガイモの皮をカリカリに揚げ、塩を振ってお片づけビールのつまみにしたのである。

本書を見返し、このページに来るたびに、あの誕生日を思い出す。いや、悲しい気持ちじゃない。むしろ逆だ。その日のメールのネタになり、次の日はお客さんに話すネタになり、こうしてnoteのネタにもなっている。なんてありがたいことだ。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。