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あのころ、下北沢で【カウボーイ】

「今日さ、中学生くらいの子が財布落として気づいてなかったから拾ってあげたんだよ。でハイって渡したら顔見るでもなく、頭を下げるでもなく、何も言わずにスルッと電車降りちゃってね」

オットがこの話を始めた時、私はてっきり「恩知らずの若者ガー!」という話になるんだと思った。「荒廃した現代社会は礼儀から失われていくー」という苦言だと思った。「俺たちの若い頃はあんなんじゃなかった」と自分のことを高い高い棚の上にあげた夢物語が始まるのかと思った。だがそれはまったく違ったのである。

「あの子はどう振る舞ったらいいのか、わからないんだよ」

自分にも覚えがあるからわかる、とオットはいう。経験値がなさすぎて、どうするのが正解なのかわからない。教えてもらったことはあるかもしれないが、何度も練習したわけじゃないから覚えてない。ましてとっさの出来事だ、すぐ体が反応するなんて無理じゃないか。

それなのに世間からは「ちゃんとしろ」の圧力がすごい。自分だって心の中では「ちゃんと完璧に振る舞いたい」と思ってる。その方がかっこいいとわかってる。でも「完璧に」がアダとなり、完璧じゃないのならやらない方がマシではないか?とすら考えてしまう。

「つまりあれは無視したんじゃなくて、動転してたんだと思うんだ。突然のトラブルにカーッとして、固まってしまったんだよね。頭の中ではぐるぐる考えてたと思うよ。でもどうせ完璧にはできないし、もう駅に着いちゃうって焦りも相まって何もできなかったんだ」

すれ違う時に小さくだが「...んだよ」と吐き捨てるように言ったのも、決してののしっていたわけではないと思う。何もできない、不甲斐ない自分を心底呪ったのだ。モヤモヤした気持ちをうまく形にできなくて、自分がよく使うキツい語彙しか出てこなかったのだ。そんなこと言うつもりじゃなかったのに。そんな印象を与えるつもりもなかったのに。


なるほど。なるほど。言われてみればその通りかもしれない。私は今までそういう視点で考えたことはなかったから、オットの慧眼に感動してしまった。同じことをされたらどうだろう。「なんだよ人がせっかく拾ってあげたのに、スルーか」と気分悪くなるだけで、その背景には気づかなかったのではないか。もちろん返事もしないのはいいことではないが「ああ、この子はまだ未熟だから振る舞い方がわからないんだな」と思うことで、自分の気持ちもずいぶん変わるはずだ。たとえ相手がおじいさんだったとしても。

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かつて下北沢には「カウボーイ」という店があった。その名の通り西部劇に出てくる酒場のようなスタイルで、ステーキとハンバーグ、タコスやチョリソなどを食べさせる。名物は400gもの大きさのジャンボハンバーグだ。熱々の鉄板いっぱいに広がったジャンボハンバーグは、とび色のグレイビーソースがたっぷりとかかり、何度食べても運ばれてくるときは必ず「ひゃあ」と喜びが口からもれた。

ゴンゴンと妙に靴音が響く木の床と、茶色くすすけた壁。カウボーイハットをかぶった店員さん。私は「こんな軽いんじゃビール飲んだって気がしない」とわかった風な口をききながらバドワイザーを飲み、タコスやチョリソなど当時はまだ珍しい部類の食べ物をつまんだ。弟に初めてチョリソを食べさせたのもこの店だ。

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最後にカウボーイへ行った時のことはよく覚えている。私が結婚のため東京を離れる数週間前のこと。何年も会っていなかった昔のバイト仲間Yちゃんが突然連絡をしてきたので、じゃあシモキタでご飯でも食べようかという流れになったのだ。

どこからどう話が伝わって彼女まで届いたのか。私はその当時のバイト仲間とはもうほとんどつながりが消えていた。ましてYちゃんとは特に仲が良いという訳ではなかった。いや正直に言おう。とても苦手だった。「嫌い」というのとは違う。逆に「この子、私のこと嫌いでしょ?」といつも思っていた。彼女はいつもつっけんどんで、言葉少なくて、たまに口を開けば攻撃的な悪い言葉ばかり。いつもふてくされ、つまらなそうな態度を隠そうともしないので、同じ空間にいるのがつらかった。なので電話が来た時には「ほんと?本物のYちゃんなの?Yちゃん本人が私と会いたいと思ってるの?マジで?ドッキリじゃなくて?」とずいぶん動揺したものだ。

数年ぶりで会ったYちゃんは相変わらずだった。ふてくされ、つまらなそうで、毒づいてばかり。「久しぶりに旧友と会う」というシチュエーションからは程遠い、悲しくて泣きたくなるよな邂逅だ。私は「そんなにイヤなら帰れば」と言いたくなるのをグッとこらえ、少しだけ雑貨屋や古着屋などを見たあとすぐ近くのカウボーイへ行くことにした。カウボーイなら飲んだとしてもビール1本程度だし、食べたらすぐ出てこれる。これがうっかり飲み屋に入ってしまったらダラダラと飲んでしまい、切り上げるタイミングを逸してしまいかねない。カウボーイだ。ここはカウボーイでキメよう。決闘におもむくカウボーイのごとく、私は重々しい気持ちで店内へ入った。

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混雑する店内には顔見知りがいた。おお久しぶり、元気だった?実は私このたび結婚することになりまして、東京を離れるんだよね、などと挨拶する。おっ、店員さんも知った人だ。こんにちは。もしかすると今日が最後になっちゃうかもしれないんですー、などと挨拶する。知った顔が2つもあることで、さっきまでの針のむしろがずいぶん軽くなる。とはいえ今日はあくまでYちゃんが主賓だから、他の人とばかり話すわけにはいかない。「こっちのテーブルこない?」という誘いも辞退だ。Yちゃんと2人の席にしてもらう。

すると注文もしてないのにビールがやってきた。「あちらのお客様からです、ぷぷぷ」と店員さんが笑いながら顔見知りを示す。向こうのテーブルから「結婚祝い!」と顔見知りが大きな声で手を振る。やあ、なんて優しい世界なんだ。なんて嬉しい心づかいなんだ。私はわざと大げさに「うわあん、ありがとよお」とおどけてみせた。すると

「うぜ」

と小さな声が聞こえた。Yちゃんだ。すごく悪い表情をしている。もしここがNYのアクターズスタジオで、お題が「冷笑」の演技指導の最中だったら満場一致で優勝だろう。完璧なまでにさげすみ、あざけり、うすら笑ってる。私は聞こえなかったふりをして「え?何?」と尋ねた。すると

「男が...! 結婚祝いって...!」

「手ぇ振るってか」

どうやら顔見知りがビールをプレゼントしてくれたことを呪っているようだ。語尾にはもれなく「けっ」とか「ちっ」がついていたと思う。24歳の私には、どうしていいのかわからなかった。なすすべもなかった。なんともやりきれない気持ちでそそくさとビールとハンバーグを片付け、カウボーイを後にした。Yちゃんとはそれが最後となった。

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その後ずっと彼女のことは「忘れたいこと」の引き出しに入れていた。呪詛が表まで出てこないように何重にも包んで縛って、心の奥の方に仕舞い込んでいた。そうして実際に忘れていたのだ。だが冒頭のオットの話を聞いたときに、ふと思い出したのがYちゃんだった。

もしかすると彼女も「どう振る舞ったらいいのかわからない」だけだったのではないか。自分の気持ちの表し方がわからないまま大人になってしまったのではないか。バイト仲間はみんな成人していた中で、確か1人だけ16歳でびっくりした記憶がある。高校は行ってなかった。でもひとり暮らしだった。どういうことだ。親はいたのだろうか。それとも。

今さら詮索しても仕方のないことだ。わからない。本当のところはわからない。ただなんとなく「Yちゃんが今は幸せであるように」と心で祈ってる。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。