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受験と揚げワンタン

ネットが行き渡った今ですら地方と東京の間には「越えられない壁」があるくらいだもの。昭和のあの頃、地方で受験生をしていた私の受験スキルは、東京の幼稚園児より低いものだったろう。私はなーんも知らなかった。知る方法も知らなかった。情報源といえば参考書と、2〜3人の先輩と、担任くらいなもので、ひどく偏っていた。偏っている自覚すらなかった。

その担任の指導も偏っていた。自分が「千葉県立安房高→千葉大の教育学部→母校に戻って教師生活〇〇年」なものだから、その道だけが正しいと思ってる。職業は学校の教師が1番だし、大学は地元の国立しかありえないし、学部は教育学部だけが正解だと思ってる。なのでそれ以外の道を模索している生徒には冷淡であり、無関心でもあった。「先生、私〇〇大学を受けてみたいんだけど」と相談しても「そっか(棒)」てな感じのヌカに釘。そんなわけで私は「どうせ相手にしてくれないし」と本気の第一志望を担任に告げぬまま、受験当日を迎えたのである。

その大学は東京都と言っても都心ではなく、都下も都下。おまけにどの最寄り駅からもバスに30分ほど乗らねばならぬ、初めて行くには難関の地にあった。地方民にとっては受験会場にたどり着くだけでハーハーのヒーヒー。そこで朝から夕方までバッチリ3科目のテストが2日間に渡って行われるという、私立なのにセンター試験のような超ハードモード入試であった。

(今センター試験と言ったが嘘です私のころは共通一次でした若い人にわかりやすいかなと思って媚びましたすみません)

ところが私にはラッキーなことに、すぐ近くに親戚の家があった。母の長姉に当たる家で、幼い頃から何かにつけ行き来していた家だ。いとこはもう結婚して家を出ているため伯母夫婦だけの大人二人暮らしとあって、受験生が泊まるには静かで悪くない環境といえた。そんなわけで如月の北風が突き刺さる日に、2泊分の荷物をたずさえ私は東京へと向かったのである。

その受験が最高だった。

何が最高って、食べ物だ。伯母は最高に料理がうまく、しかも最高にうまいものを買ってくるスキルがあった。到着してすぐのティータイムからもう私は伯母のトリコ。ちゃんとティーポットとティーコゼーを使っていれた紅茶の素晴らしさよ。新宿伊勢丹で買ってきたというお菓子の得難さよ。こんな贅沢なお茶の時間を高校生に体験させちゃダメだろう。贅沢罪とか何かの罪に問われるんじゃないのか。ともかくうまい、紅茶うまい、お菓子うまい。私はバリバリ飲んで食べた。

まるで洋菓子のような和菓子のコピー

そして夜は伯母マサコによるお料理ワンマンショーだ。といっても山海の珍味を山ほど盛り上げて...などという下品なものではない。伯母のことだからしっかり吟味はしてあるだろうが、ひき肉や枝豆など材料としてはありふれたものばかりだ。ただそれを腕に覚えがある人が、手を抜かずに、自分のやりたいように料理すると、こんなにも人を惹きつける。そんなお手本のような食卓だった。

「夜にご飯をたくなんて久しぶり」と伯母がいう。「私たち夫婦は毎晩お酒を飲むから、こんなふうにおつまみをちょこちょこ盛り付けて、ご飯は食べないの。でも今日はいずみがくるから久しぶりに炊いたのよ」

それはなんと大人っぽい発言だったことか。私はまだ子供だったが「大人になったら毎日晩酌する。おつまみちょこちょこ盛り付ける」を頭に叩き込んだ。さっきまで覚えた英単語を押しのけて叩き込んだ。

枝豆も豆腐も、我が家で見慣れた姿ではなかった。シックな器につんもり、しゃらりと盛り付けられ「酒の肴」としてそこにあった。私は同じく「大人になったら高坏の器買う。そして枝豆をつんもり盛り付ける」を頭に叩き込んだ。

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そして揚げワンタンだ。

いかにもおつまみらしく小粋な皿に紫蘇の葉まで敷いて、揚げたて熱々のワンタンが2個やってきた。それはうちの実家がよくやるドッカーン!大盛りー!という揚げ物とはまったく土俵が違うものだった。いや、うちはうちでいいのだ。食べ盛りの子供が3人いるのに「小皿にうるわしく盛り付け」なんてできるわけない。やらなくていい。ただその揚げワンタンはひどく私の心に刺さった。今でもよく作るし、そのたびマサコ伯母のことを思い出す。


【酒の肴の揚げワンタン】

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「少しだけ肉が残った時」と伯母は言った。今はすぐわかるし、よく「少しだけ肉が残る事態」にもなるが、18歳では何を言ってるのかわからなかった。またマサコ伯母は「餃子のタネが残った時」とも言った。これまた18歳にはわからないことだった。あの頃の私には肉も餃子のタネも余ることなどなかったからだ。ともかくこの揚げワンタンのレシピを教えてくれる時に彼女が言いたかったことは、ちょっぴりの中身でも作れるよということだろう。中身はなんでもいい。ただその味つけにマサコ伯母の個性がある。

<材料>
・少しだけ残った肉、もしくは余った餃子のタネ
・ワンタンの皮
・醤油
・黒胡椒

肉は鶏、豚、牛、ラム、鹿、クマ、ガチョウなどなんでもいい。魚でもいい。数種類混ぜてもいい。包丁で刻むかフードプロセッサにかけるなりして、ミンチっぽくしておく。野菜は入れても入れなくてもいい。プロセスチーズがあってもいい。肉が50gしかなければ野菜でカサましすればいいし、100gならネギだけちょろっと入れるとかその辺は自由だ。

偶然にも我が家は昨日餃子を作って、そのタネが残っている。今日はこれでいこう。豚ひき肉とシーフードミックス、そして万願寺とうがらし入り。

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味つけは、しっかりはっきりくっきり濃いめ、である。ひき肉であれば醤油をたらたら〜と入れて肉全体が濃い茶色になるまで混ぜる。魚や鶏ひき肉なら醤油より塩胡椒が合うかも。その時も塩と胡椒をしっかり入れる。スパイスを入れるなら多め。マサコ伯母が作ったのは「豚ひき、醤油、黒胡椒、ニラ」でかなり茶色い中身だった。

包み方は自由だが、マサコ伯母スタイルはこう。ぺちゃんこの平べった。

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おそらく「早くビール飲みたい、揚げ時間は短くしたい」とこからの工夫だったのだろう。確かにこうするとすぐ揚がるので便利である。中身が多い時は端っこまでたっぷり包み、少ない時は真ん中だけちょっぴり。どちらにせよパリパリ感がごちそうであり、酒をうまくする。

中身の味がしっかりついてるので、特にタレやソースがいらないのもいい。そのまま食べるか、レモンを絞るくらいでどうぞ。


翌日の試験本番にはなんと、マサコ伯母がお弁当を持たせてくれた。会場でフタを開けた私は歓喜の声をあげた。

揚げワンタンだ!揚げワンタンが入ってる! 

昨夜あまりに私が「これ美味しいね、美味しいね。作り方教えて」と大騒ぎしたから、かわいそうに思ってまた朝から揚げ物をしてくれたんだろう。しかもそれだけじゃない、おかずが信じられないくらいたくさん入っているのだ。数えたら16種類もある。どこの会席弁当かってくらい少量多品種のおかずで色とりどりなのである。昨日の晩酌と同様、マサコ伯母は「いろんなものをちょっとずつ」がほんとに好きなのだ。

試験1日目が終わって伯母の家に帰ってきた私は伯母に「ワンタンおいしかった!ほんとにおいしかった!あと他のおかずも全部おいしかった!おかずいっぱい入っててすごかった!」と賛辞を述べた。そして試験2日目も同じように弁当を持たせてもらい、試験終了と同時に自分の家に帰ったのである。

その夜、うちの母がお世話になったお礼の電話をすると、マサコ伯母はキッパリとこう言ったそうだ。

「悪いけどね、あの子は落ちるよ。ずっと食べ物の話ばかりしてた。料理のことしか頭にないみたいだったもん」

予言は的中、見事に落ちた。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。