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「青春は狛江に置いてきた」の裏側

こちらは、街に関わるあらゆる「知りたい」をお届けするメディアサイト「SUUMOタウン」で公開された、狛江で過ごした日々を綴ったエッセイ「青春は狛江に置いてきた」のスピンオフです。最初にSUUMOタウンから読むと、なにかといいです。SUUMOから読んでください。絶対読んでください。もうこちらでは狛江の説明も、Tとの馴れ初めも、Tって何かもいっさい説明しません。しませんからね。

中年になったある日、テレビを見ていた私は驚愕した。
それはお笑い番組の1コーナーで、ゲストに呼んだ人の超プライベートをポロリと晒し「なんでそんなこと知ってるの!」とゲストを慌てさせる形のものだ。その日のゲストが誰かは忘れてしまったが、明かされたプライベートの内容はしっかり覚えている。「〇〇さん、狛江ミートステーションのキムチ、美味しいですよね」だ。

「え。なんで知ってるの?」
「昨日も行かれたそうで」
「えー、ちょっと待ってよ!」
「キムチがお好きなんですよね」

そんな流れだったと思う。ゲストも驚いていたが、私も驚いた。
「え。ミート(ステーション)って、まだあるの!」と部屋で大きな声をあげた。まだあるどころではない、ゲストの話によるとどうやら毎晩のようにお客さんでいっぱいで、ゲスト自身も足しげく通っているらしい。そうか、よかった。流行ってるなら嬉しい。最後に行ってからもう、10年以上もたっていた。

焼き鳥

20代の前半、数年間。私はミートステーションに課金しまくっていた。SUUMOを読むと「土曜の夜だけのお楽しみ」のように思えるかもしれないが、実際は

1・晩ごはん作るの面倒だからとりあえずミートへ行く
2・別の店で飲む前にミートで喉だけ潤していく
3・別の店で飲んできたけど帰宅する前にミートでちょっと休んでいく
4・家飲みの焼き鳥を持ち帰り。焼けるまでの間にちょっと飲んでいく
5・何も覚えてないがふと気づいたらミートに座ってた

こんな感じだ。暑いからと言ってはミートへ行き、台風が来ると言ってはミートへ行き、嬉しいことがあったからミートへ行き、なんでもない日だからミートへ行き、つまり、多い時は毎日のように行っていたわけだ。

ミート

当時キムチは食べた記憶はないが、お気に入りのメニューはいくつもあった。ベスト3は「石松(茹でたガツをごま油と醤油とキュウリであえたもの。ガツ→ガッツ→ガッツ石松)」と「池袋(茹でたコブクロをネギと辛いタレであえたもの。コブクロ池袋)」と「キュウリどんぶり(キュウリを適当に切ってどんぶりに入れただけ。キュウリスキーにドンズバ)」で、審査員特別賞は、カウンターに点在する自家製にんにく味噌だ。全部好きすぎて自作するようになり、全部パクって自分の店でも出したりもしていた。にんにく味噌などはもう自分の料理になりすぎて、今では「じろまる味噌」と名乗っている。あらずうずうしい。

狛江とか

Tの住む快適な狛江ハウスに入りびたっていた私は、そのうち合鍵を作ってもらい、いつでも好きな時に入り込むようになった。出先から直接「ただいまー」とやってきたり、自分の家に帰るというのに「いってきまーす」と出て行ったりした。Tが部屋にいてもいなくても、私は自由に狛江ハウスを満喫していた。

クラッシュ

あるとき、今夜はミートでとことん飲もうということになった。店で直接待ち合わせをしてもよかったが、Tが「帰れる時間が正確に読めないし、どうせならスーツも脱ぎたいし、カバンも置きたい。だから一度家に帰るよ。家で待ってて」というので、狛江ハウスで待つことにした。ハウスに着いたのは夕方。朝からちらついていた雪ががぜんやる気を見せ始め、窓の外がやうやう白くなりゆく頃だった。

しばらく本を読んだり、ゲームをしたりと自由を満喫していたが、Tはなかなか帰ってこない。雪の夜特有のしんと静まり返った感じが怖くて、いつもより少し陽気な音楽をかけたりしていたが、寒いし、お腹はすいたし、何ともやるせない。今と違いケータイもスマホもない時代なので、こちらから連絡を取る手段もない。ただひたすら待つのみである。

チン

電話がワンコールで切れた。今からTが私あてに電話をかけてくるので「次のコールで取ってくれよ」の合図だ。すぐまたかかってきた電話が悲しいお知らせを告げる。「小田急、雪で止まってるって」。どうしよう。でもいいや、待ってるから一緒にミートいこう。お腹空いてるのはTも一緒だし。大丈夫、待ってる。そう言って電話を切った。

「小さいけど庭もある」とSUUMOに書いたように、狛江ハウスは一階の角部屋だった。南向きの窓からはフェンスに囲まれた土の庭に出ることができ、東向きの窓の外にはちょっとした空き地サイズのスペースがある。三角ベースをするには狭いが、ラジオ体操をするには十分すぎる広さのそのスペースを私たちはとても愛した。ノコギリを引いてDIYをしたり、小さなテーブルを出してビールを飲んだり、ギターを弾きながら飛び跳ねる練習をしたりした。敷地の入り口からは一番奥まっていて私たち以外通る人もいなかったから、我が物顔で支配していたのだ。

ところが今、その空き地スペースに人の気配がする。

いや、見間違いではない。あれは人影だ。慌ててカーテンを引く。耳慣れぬ物音に身がすくむ。ドキドキしながら陽気な音楽を消し、電話を引き寄せる。よし、これでいつでも110に電話できる。体を硬くして息を殺していると、また窓の外をゆらりと黒い影が通る。間違いない、人だ。悪いやつだ。連続強盗殺人鬼が、この部屋に押し入ろうとうかがっているのだ。

チン

ひゃああ!ワンコールで切れた電話はTからだった。「小田急再開したから、帰る」。あああ助けてお願い悪者が大変なの早く帰ってきてくれれれれ悪者が悪者ががががーと押し殺した声で訴える。さあ、あと20分。ひとりで戦わなくてはならない。私はもう一度戸締りを確認し「最悪このテレキャスで殴りかかろう」と決め、窓と自分の間にギタースタンドを配置した。

何度目かの人影が窓の向こうに揺らめいたとき、そいつは「ほう」とため息をついた。男の声だ!やっぱり男だ!「もしかすると大家さんが雪かきしてくれてんのかもー」と、最悪の事態から目をそらそうとしていた私の甘い予感はもろくも崩れた。もうやだ。緊張で死にそうだ。それに犯人も犯人だ。なんでいつまでもウロウロしてるんだ。押し入るならとっとと済ませた方が見つかる可能性が少ないだろう。はいはい、教えてあげますよ。東の窓がいいですよ。南の窓より周囲に音が響きにくいですよ。逃げる時も障害物がないから素早く逃げられますよ。早くしろよこの意気地なし。

バタンっ

Tが帰ってきた。手短に状況を説明し、戦う準備を始める。テレキャスを振り回すのは却下され、私には掃除機が与えられた。Tはノコギリを手にカーテンの後ろに隠れ、静かに敵の襲来を待った。ほどなくザッザッと雪を踏む音、ハアハアとした息遣いが近づく...今だ!

Tは窓を乱暴に開け放つと、ノコギリを振りかざしながら「誰だ!」と叫んだ。



そこにいたのは、完全装備のスキーヤーだった。

スキー

帽子をかぶり、ウエアを着込み、両手はストック、両足には板を履き、全身バッチリ冬山仕様。その日は、今年初めての積雪だった。ちょっと浮かれちゃったんだろう。ウエアも板も新調したから、スキー場へ行くのが待ちきれなかったんだろう。板慣らしをしたい気持ちもあったんだろう。ちょうどマンションの敷地内にいい感じの空き地があり、車は通らないし、人目にもつかない。ちょっとスキーの真似事したところで、誰に迷惑がかかろうか、そう思ったんだろう。

ノコギリから目が離せないスキーヤーは「す、すみま、せ、ん」としどろもどろ言った。
まさかの犯人像に驚きを隠せないTも「い、いえ、こちら、こ、そ」ともぐもぐ言った。

お互い黙礼して窓を閉めると、猛烈にお腹が空いてきた。
その夜はミートでベロベロになるまで飲んだのである。


【コロッケの卵とじ】

出来上がり


まずビール、石松、池袋。そしてカシラや鶏皮、ナンコツなどを塩タレおまかせで注文、口直しにキュウリ、ここらで日本酒。それが私とTのミートしぐさだった。そこでサクッと帰ることも多かったが、若い腹はまだまだ減っている。SUUMOにも書いた「狸小路ラーメン」で餃子とチャーハンをテイクアウトするのを前提としても、まだ足りない。なのでもうちょっとガツンとしたものが食べたくなる。

そんな時によく頼んだのが、コロッケの卵とじだ。
要はカツ丼の頭をご飯抜きにして、カツの代わりにコロッケを使ったものである。味は今あなたが脳内で想像した通りで間違いない。ただしカツと違うのは、あまからつゆが衣だけではなく、中身もふやかすということ。箸でつついているうちに衣も中身もぐずぐずとほぐれ始め、途中からは芋と卵とつゆが生物都市のようにふやふや溶け合った状態となる。カッコいいか悪いかと問われたら、間違いなくかっこ悪い。でも私たちにはそういうのが似合ってた。狛江にいるときは、こういうのがいいと思っていた。

コロッケ安い

市販のコロッケさえあれば、5分で作れる。お弁当にもぴったりだ。ぜひどうぞ。

【材料】
コロッケ 1個/玉ねぎ(ネギでも)1/4個をスライス/卵 1個/めんつゆ

材料

【作り方】
小さめのフライパンがあれば、作りやすい。めんつゆはボトル表示を鵜呑みにして、どんぶり用か天つゆくらいの濃さに薄めておく。フライパンに適量のつゆを入れたら、食べやすい大きさに切った玉ねぎを入れ、中火でさっと火を通す。この場合の「適量」とは、つゆだく好きなら多めだし、そうでないなら少なめで、つまり、まあ好き好きといったところだ。うちのフライパンなら深さ1センチあるかどうか。

卵かけ

コロッケは安いのでいい。いや、安いのがいい。電子レンジか、オーブントースターでほんのり温めておく。玉ねぎに火が通ったらその上にコロッケを乗せて、やや火を強める。つゆがブクブクしたら卵を全体にかけまわし、ふたをして好みの固さよりちょい手前まで火を入れる。あとは余熱でなんとかなる。お皿に盛ったら七味をかけていただこう。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。