餃子の表紙

あなたの思い出いただきます① 餃子のおんがえし出版記念プロジェクト

じろまる本「餃子のおんがえし」は、食べ物にまつわる記憶の物語だ。あのとき美味しかったもの、口に合わなくてやっとの思いで食べたもの、すごく食べたかったもの、もう2度と食べたくないもの、そしてもう2度と食べられないもの。たくさんの「食べたもの」がぎゅうぎゅうに詰まっている。でもそんな思い出は、きっと誰しもある。たぶんあると思う。あるんじゃないかな。ま、ちょっとそんなことを考え、他の人の「食べ物の記憶」を知りたくなった。そして「 #あなたの思い出いただきます 」というハッシュタグを作り、こんな募集をかけてみた。

ちなみに画像は「たぬきトースト」。私が9歳くらいのとき遊びに来た幼稚園児のイトコが、朝ごはんに食パンを焼きながら「いずみお姉ちゃん、きつね色はもう古いんだよ。今はたぬき色だよ」とドヤ顔で教えてくれたものだ。たぬき色という名前の的確さ、小さなドヤ顔のかわいさ、焦げる寸前のパンの香ばしさが相まってめちゃくちゃ気に入り、今でもよくたぬきに仕上げがちである。うっかり焦がしちゃったときの言い訳にも使える。

さて募集をかけてすぐ、予想以上に多くの投稿やリプ、コメントをいただいた。あるある、みんな思い出の食べ物が何かしらある。若いころの行きつけ。自分ではどうしても再現できないあれ。「母がいないとき」など特別なシチュエーションでのみ食べられるもの。特に「今はもう食べられない」要素はことさら美味しさを増す。亡くなった家族や、閉店してしまった店に寄せる愛情を語る方が多くみられた。

では妄想じろまる料理の第一弾を発表しよう。

「美味しそう!」
思わず大きな声が出た。

お赤飯は大好きだ。というよりおこわ全般、いやもち米のすべてが好きである。理由はただひとつ。もちもちしてるからだ。もちもちは素晴らしい。多少の味つけのヘマも、もちもちの前では無効化する。もちもちしてりゃ大抵のものは美味しい。だから和菓子屋の前に赤飯があれば買うし、デパ地下のおこわ屋の前は素通りできないし、長野の義母にはもち米をおねだりする。そんなもちもち人生を送っている。

だが赤飯を炒めたことはない。なんで、どうして、気づかなかったんだろう。もち米を炒めたらうまいに決まってるじゃないか。「うっかり買った特売のまずい米」ですら、炒めたらうまくなるんだもの。もち米なら最強だ。ああ人生損した。もち米炒めを知らずに損した。ということでさっそくツイート主の方に許可を得て、お赤飯を買ってくることにしたのである。

買ってきたのはこちら。セブンイレブンの赤飯にぎりである。

お赤飯

【材料】お赤飯 好きなだけ/油 なんでも好きなだけ/醤油 ジャッとかけられるだけ

【手順】炒めるだけ

結論から言おう。赤飯炒めは最高だ。油の風味と醤油の香ばしさがもちもちと絡み合って、なんというかもう、ヤバイものに手をつけちゃった感がある。米界のファムファタル。どんなにあらがっても、その魅力から逃れることはできないやつ。男を破滅させるというより、お腹を破裂させるやつ。ツイ主のあるさんは「油も醤油もテキトーでどうぞ」とおっしゃっていたのに、私はつい欲をかいてサラダ油とごま油の2種類を作ってしまい、通常の2倍食べるハメになってしまった。それ以来、太っている。

ごま油

ただひとつ。おにぎりを炒めるのは間違っていた。おにぎりにする時点でギュッと固められているため。電子レンジで温めてもほぐれにくく、結果シャモジで押しつぶすようなかたちになりがちだったからだ。まあ多少のつぶれがあっても、もちを焼いたと思えば全然OKなのだが、チャーハン感は薄れる。まずは普通のパックで試した方がいいかもしれない。

炒め

あるさん(ある🌃 𝔸𝕣𝕕𝕚❖𝕂𝕦𝕛𝕒𝕥𝕒 @ardi_game)のお父様の実家は法事が多いため、よくお赤飯を食べる機会があったそうだ。なんともうらやましい話じゃないか。私のもちもち人生に今後どれほど赤飯を食べる機会があるのかわからないが、ともあれ次からは必ず焼き飯を作ることになるだろう。料理は出会いでできている。そんなことの繰り返しで生きている。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。