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B'z 5 ERAS 8820 - Day 1

この5連続ライブが発表されたのは、確か2ヶ月前くらいだろうか。はっきり覚えていないけど、毎回違うセットリスト、違うセット、違うバックバンド(しかも旧知の日本人バックバンド!)と見ただけでテンションは上がり気味だった。

ようやく当日。ストリーミングでの事前録画による配信とはいえ、テレビ画面でみたいと思ったのでUnextに新規アカウントを作りFire TVで視聴を準備。リアルタイムでみることが叶わず、見逃し配信!と、ビールやおつまみを十分準備していざ、、、と思ったら、Unextの不調なのか、見逃し配信は終了直後の20:30からは行われておらず、(ページ上公式では行われているという説明)結局、始まったのは当日の22時過ぎ。こういったトラブルも配信ならならではなのかな、と思いつつ、とりあえず乾杯!

っと、、、ミュージックステーション??二人だけで演奏する、「だからその手を離して」。ちょっと2008年のPresure tourの中間のカラオケセッションみたい、、と一抹な不安を覚えたら、どうも、それも演出の一環。

次のBlOWIN'では、ステージに上がりライブ仕様で開始となり一安心。

あいからずバックの映像は「ダサい」感じで進むが、観客の声がないのがこれほど違和感を生むとは思わなかったが、曲の中のそして中間の静寂に違和感を感じてしまった。おそらく、演者の2人を中心としたバンドメンバーもそれを感じていたのだろう。最初からの数曲は、「空虚な空間に響く音楽」だった気がする。

その雰囲気が変わったのは、「Give me your Love」で、松本孝弘が「本来の観客席」に降りてきた演出の開始からだろう。彼を囲むように、金ピカドレスに身を包んだ女性ホーン部隊が現れ演奏が開始。それまでも時折感じる、本来観客側で演出効果が及ばない場所にまでLEDスクリーンを立てている箇所がシンクロし始めた気がした。

ライブを見る場合、会場にいる場合は視点は限られてしまう。無論カット割等は発生するはずがない。演出家が意図した会場全体の映像+ライト+レーザー+舞台装置+演者の動きから生まれる演出をすべての人が理解できることはない。なぜなら、人それぞれ見る箇所が決まっており、視点を映画や映像のように「意図的にカットバックによって誘導できない」から。

今回のB’zのライブは、Give me your love以降、積極的にそういった「通常のライブの制限」もしくは「通常のライブ映像のBlu-ray等の記録」から積極的にはみだそうとしているのを感じた。

時には稲葉浩志が観客席におりカメラも追従したり、背景のLEDと観客側の映像がシンクロしたりと、舞台の上の演者を撮影、カットして編集されるライブ映像の枠を可能な限りはみ出ようとする演出の姿勢を感じられる配信だった。

結果、おおよそ27年降りのライブ演奏の「快楽の部屋」や「Baby, you're my home」「星降る夜に騒ごう」などかなりレアな曲を交えながらも、B'zらしい王道の「新しい」エンターテイメントに昇華し始める「一端」を感じさせる90分だった。

特に「RUN」から「裸足の女神」は、グッときた。

コロナ禍にはいり日本も早半年以上。隣の人の暑さを感じる距離で2人の演者に数千人から5万人以上が狂喜乱舞をするあの空間はもう戻ってこないのではないかと思えてもしまうこの頃。その頃の観客の映像を背景に持ってきて、スタッフしかいないZeppの会場で、コール&レスポンスを行う姿に、如何に新しい挑戦を試みて、30年以上のキャリアの中、安住に落ち着かずチャレンジをし続けていても、その観客との一体感を信じ続けている、という強いメッセージを感じざるおえなかった。

正直、Day1で次はいいかなと思っていたが、反省。、思いっきり術中にはまりました。すくなくともDay 2、来週も観ないことには気分は治りそうにない。

やっぱり二人は音源では収まらない。ライブが至上といえる。

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