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スリランカ紀行~2018~

【次郎君スリランカへ】

4/1~4/5まで僕はスリランカに行ってきます。スリランカってどこ?

先ずはそこからが僕のスリランカに関する知識レベルだったのですが、

皆さんはご存知ですか?

↓ここです。

世界地図

スリランカ

インドの更に南、僕はこの間バンコクに行ってきましたが、

それよりも更に南のセイロンティーが美味しく、宝石が沢山採れる国だそうです。

聞きかじった知識によると10年前まで内戦状態で、

やっと復興し、これからの国だという事です。

でも、そもそも何故スリランカに行くのか?

これって皆さん謎ですよね~。

僕は最近東京眼鏡販売店協同組合

という組合に入ったのですが、そこで皆さんお使いの眼鏡を集めて供養をして、

そして良好なコンディションの眼鏡をメインテナンスしてスリランカに寄贈する事になったのです。

何故スリランカか?そこにはまだ答えていません。

実は組合の理事長さんが懇意にされているお寺さんが、門前仲町にあるのですが、

そのお寺さんがスリランカの復興に向けて少しでも手助けしたい、

そんな思いから、スリランカで幼稚園を二つ経営する事になったのです。

そして教育からスリランカを経済成長も含めて国家として振興できるよう

お手伝いをしているそうです。そのご縁があったのでスリランカになったのです。

さて僕は象さんに会えるかな?と密かに楽しみにしていますが、

何でもそのお寺のお坊さん曰く、うようよいるそうです。

人と一緒に暮らしている象さん、

そんな一コマが皆様にもお届け出来るよう頑張りますね。

また眼鏡供養会(めがねくようえ)と言いますが、

その取り組みは毎年開催しております。

皆さまや皆様のご親族等、不要な眼鏡がございましたら、

箪笥の肥やしよりも是非、スリランカに持っていきますので

是非ご提供お願い致します。

【スリランカ紀行~イントロ~】

今スリランカに居ます。唐突になんだ?

と思われるかもしれませんが、とにかく僕はスリランカに居るのです。

そも皆さんスリランカってご存知ですか?

僕は名前以外、何も知らなかったのです。

セイロンティーは聞いた事はありました。

でもそれがスリランカで作られていることを知りませんでした。

僕のスリランカに関する知識、それがセイロンティー、

以上です。縁遠い国、それが正直な僕のスリランカに関する

全てと言っても過言ではありません。

そんな僕でもスリランカに来てから三日目、色々な知識を得ました。

そしてその初心者向けのスリランカに関する知識を

もっともっと知って欲しい自分がいます。

何故なら既に僕はスリランカが大好きだからです。

では聞きかじった知識を羅列します。

ほんの少しでも良いのでイメージしてみてください。

国名:スリランカ民主社会主義共和国

そうです。社会主義の国なのです。

医療と教育費は政府が面倒みてくれます。

人口:約2000万

面積:北海道の約8割を占めるほどです。

現地の人は狭いと言いますが、北海道はでっかいどー

その8割と言えば、僕に言わせればかなりの面積です。

場所:インドの先端より更に少し南東の沖合にあります。

国の形状:ピーナッツ?少しロマンチックに言えば

涙の形?何しろ縦長の国です。

首都:コロンボ(2021/5/22加筆 スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテが首都だそうです。)

通貨:ルピー(100ルピーで70円くらいだそうです。)

高いマンションは6000万くらいするそうです。

そして今も急騰中だそうです。

交通インフラ:電車も地下鉄もありません。汽車が走っています。

またタイのトゥクトゥクに似た三輪車が庶民の足で大活躍、

125CCで80万ルピーで新車が今も作られています。

内戦:2009年まで、ヒンズー教とイスラム教との間で内戦していて、

北部にはまだ地雷が埋まっている危険地帯もあるそうです。

宗教:7割が仏教徒、12%がヒンズー教 7%がイスラム教、

最近キリスト教徒も増えてきたそうです。

立派な仏教国とも言えますが、一方多宗教な国とも言えます。

中部の古都、キャンディーには28代目のお釈迦様の歯が三本

祀られていて、信仰の対象となっています。

そのお寺を日本語で仏歯寺といいますが、

今日ぐるっと園内を周ってきました。

スリランカ人の人気の旅行先:インドやネパール、お釈迦様の

聖地を巡礼します。

食事:三食カレーが出てきます。珈琲よりも紅茶が飲まれています。

僕はカレーが大好き、だからスリランカ大好きって凄い安直です。

スリランカご飯

僕の頂いた昼ご飯。

日本との関わり:これは他のblogで上手にまとめてくださっているので、

そちらをご覧ください。

サンフランシスコ講和条約の愛の演説

そう上記の文章を日本人なら誰もが読み、

そしてスリランカの方と会った時にはお礼を一言で良いので

言って欲しいし、僕はこれからそうしようと思いました。

日本の窮地を救ってくれた連合国側の数少ない国だった事が分かります。

そしてスリランカという国は、日本の戦前戦中にしたことを

マイナスばかりではないと冷静に評価をくだしてくれています。

そういう人がいたこと、そしてそれを知ることが

僕のお爺ちゃんや義理の父、二人は軍隊に所属していましたが、

そのお爺ちゃん達を褒められたみたいで僕は嬉しくなったのです。

カレーが好き、それはイントロに過ぎず、

実は、昔からの関りを知ることが、

僕をスリランカのファンにさせる重要なファクターだったと言えるのです。

本日はイントロですからこの辺で、

スリランカ寺院の前で

【スリランカ紀行~車の事情~】

伊藤次郎只今戻って参りました。

帰りの飛行機と成田からのリムジンバスではアイマスクにヘッドレスト、

更にイアフォンで完全武装し寝たおしてきましたので、

今日は時差ボケもなく元気一杯な次郎さんなのでした。

今日のタイトルは車の事情、道路事情も含めて車の事情と

銘打ったのですが、なにぶん多少の車好きでして、

海外に初めていくとつい、そこに注目してしまうのです。

まず前提として僕は今回コロンボには一切言っていないので、

ニゴンボから中部までの道路事情です。コロンボは東京と変わらぬ大都会、

渋滞も日常茶飯事と聞きましたが、

ニゴンボも、キャンディーも多少混雑はありましたが、

大渋滞とは言えない状態でした。

ただ、現地の人に言わせると渋滞する時もあるよ~。

と仰っていましたから、若しかしたらタイミングが良かっただけかもしれません。

先ずはコロンボ以外は、基本、二車線の対面通行で、

左側通行なのは日本と同様でした。

日本と違うのは、トゥクトゥクの様な三輪車(125CC)が庶民の足として

機能していますが、それと普通車は同じ車線、同じ道路を通ります。

従って、スピードの出ないトゥクトゥクや、荷物満載なトラックを

常に追い越す必要がありますし、皆普通車の方々は常に追い越しを

掛けていました。ただし追い越しを掛けて良い場所としてはいけない場所が

あります。それはセンターラインで示されていて、

点線のセンターラインは追い越し可。

実線のセンターラインの場所では追い越し不可。

片側一車線が原則ですから、追い越す場合には、

常に反対車線にはみ出て追い越します。

この追い越しがかなりスリリングな感じ、

元多摩湖で攻めていた僕としては、

昔懐かしいし、スリランカのガイドさんの運転は

ライン取りが甘いなとか、ブレーキとアクセルをもっと細かくコントロール

しないと、と血が騒ぐ程度でしたが、一般の方にとっては、

おっかね~な~と感じる方が多いのでは?

でも、結構な頻度でお巡りさんがいるので、

スピードオーバーも、実線での追い越しでも

非常に気をつけて運転した方が良いでしょう。

余談ですが、トゥクトゥク(現地で新車で80万円くらい。)

は、ひと昔前までスリーホイールカー、文字通り三輪車

とスリランカでも言われていたそうですが、近年タイのトゥクトゥクという言葉が

幅を利かして、今ではトゥクトゥクの方が通りが良いそうです。

そんな普通車、トゥクトゥク、そしてTATA製のバストラック

の入り混じったスリランカの中部では、色々な動物と遭遇します。

一番多く見るのは犬です。

やせ細っていますが、どこか鎖に繋がれず気高く見えます。

人が居ても怖がらないし、無駄吠えも僕は一切聞きませんでした。

尻尾も日本程には振りません。人とのスレ違いも怯えず堂々としたものです。

車がクラクションを鳴らせば、慌てず騒がず避難します。

避難と言えば、日中は犬も辛そうで、日陰に避難していました。

ま、ワンちゃんはドラクエならスライム級ですね。

次に見るのが牛さん。

多くの牛は田んぼにいて草をはみますが、

たまに道路の真ん中に至りするので、要注意です。

また象さんも五日間の旅の道中で二回遭遇しました。

レアキャラとも言えますね。

それと大きなトカゲ、体長5~60㎝、

日本の手のひらサイズのトカゲと比べれば

あいては恐竜の様な物ですね。

更に後に述べるシーギリヤロックでは

ワニさんもいました体長は1.5m程でしょうか?

僕が喧嘩したら負ける奴です。

他にはレストランではリスさんが居たり、

ホテルには猫さんやお猿さんもいました。

また、特に朝は非常に心地よい音色を聴かせる多様な小鳥が沢山いました。

もっとレアキャラではクジャクが普通に道端にいるそうですが、

僕はご縁がありませんでした。

サファリにいると豹が居たりするそうですが、

それは次の機会があれば、是非トライしたいですね。

何しろ山道を走っていて、カーブを曲がると道のど真ん中に

突然牛が道路を占有している事がありうると想定する必要があるようです。

稀に象が道をふさいでいる事もあるそうでから、山道は特に注意ですね。

走っている車は

トラックはインドのTATA製のシェアが圧倒的に高かったのですが、

普通乗用車はほぼ日本製、

トヨタがトップシェア、

その次にSUZUKIかな~?が僕の感覚です。

その次が本田、

そして日産、たまに三菱。

Mazdaがあまりみませんでした。

日産のSUNNYの頻度が高かったのが印象的でした。

因みに、後半二日間のガイドさんが、乗っていたのは、

2015年製のカローラのハイブリッド。

なななんと!550万円で購入したそうです。

関税が130%!!だそうで100万の車に税金が130万円

掛かるそうです。そりゃカローラでも550万しますね。

その他、たま~に、ベンツ、BMW、プジョー、ルノーは

みましたが、日本の普通車に乗っていれば立派に富裕層かもしれませんね。

そして面白いなと思ったのが、クラクション、

常に追い越しが日常茶飯事だと先ほど説明しましたが、
多種多様な言葉をクラクションで会話をします。

「後ろにいるよ。」

「これから抜くよ。」

「どけよ。」

「出て来ないでよ(歩行者に向かって。)」

「抜かせてくれてサンキュー♪」

日本でもこれらは当然あるのですが、

その頻度が違います。常にそのクラクションのボタンに

手を置いてるのでは?っな勢いでクラクションが鳴らされます。

そんなクラクションの会話を楽しむのも今回の旅程での

楽しみだった気がします。

この様に道路事情、車事情からその国のキャラクターや

日本に対する距離感が透けて見える気がしますし、

僕はそれらを観察するのが本当に楽しかったりします。

そしてスリランカでは日本製を誇らしげに使って頂いているのを見て、

何か僕だって嬉しくなっちゃいます。

一旦コロンボを離れればジャングルか田んぼか貯水池か?

何しろ押しつぶされそうな緑に圧倒されます。

でも

犬と人間の距離感、そして人が太刀打ちできない程の緑、

その緑、犬、そして人、これらが絶妙に絡み合い僕には程よく見えました。
圧倒されるくらいの緑で調度良いというお話です。人よ出すぎるな。

そんなメッセージを受け止めた気がします。圧倒的な物に対峙すると

人は謙虚にならざるを得ません。そして僕はそれが心地よかったのです。

いかがでしょう?私見と聞きかじった知識、

更に五日ばかりの実体験も交えてのレビューですが、

スリランカの車事情をお伝えしました。

まだまだスリランカ紀行は続きます。

道を歩く象

車窓からの一枚、街道を歩いている象さん

【スリランカ紀行~ホテル編~】

今日僕はウッキッキー、いやウキウキです。

危うくお猿さんになりかけました。

猿はともかく、スリランカから帰ってきたら

体重が一キロも痩せていたからウキウキなのです。

僕は二か月程前に91.6キロ、

次郎さんとしては未踏の領域に到達していました。

これはまずい、と思いながらも食欲は抑えられず、

ついに前回の定期健診では尿から糖が…。

糖尿病予備軍と言われて十余年、ついにその時が来たか?

と観念しかけていましたが、まだやる事はある。

そうだ歩いてみようと随分前にお医者様に勧められたことを

ここ二週間程で試しています。するとここ数年切れそうで

きれなかった88キロを切る87.4キロくらいまで落ちてきたのです。

そしてこの間スリランカに行ってきましたが、

そのスリランカでは、三食常にカレーを食べていました。

昨日の朝、成田に帰ってきましたが、

そして一晩寝てから今朝体重を計ると1キロ痩せていました。

86.6キロ。

ふ~む。スリランカ料理は体に良いぞい♪

と得心したのです。

今回は

ホテル四泊

機中泊一泊。

計 五泊六日の旅でした。

ホテルには四日間泊まったのですが、

常にカレーを食べていました。

ではどんなホテルに泊まったのでしょう?

The Gateway Hotel

Kandyan Reach Hotel

Earls Regent

Cinnamon Lodge  Habarana

に泊まりました。僕はいつも海外のホテルは

booking.comを友人に教えて頂き、そこで予約をしていますが、

いずれのホテルもbooking.com内では評価が高く、改めて、

今回の旅行は手配してくださったご配慮に恵まれていたのだと

理解しました。あれが当たり前と思うなよ、というお話です。

では泊まったホテルが分かったところでホテル事情に入っていきましょう。

バスタブ:今回そこそこのホテルには泊まっている筈ですがバスタブはありませんでした。

きっとスリランカの人達は沐浴はしても、バスタブにつかる習慣は無いようです。

一方アーユルヴェーダでは、スチームサウナに入りましたから、

サウナの習慣はあるようですね。

エアコン:当然かもしれませんが、全てのホテルに完備でした。

ドライヤー:あったり無かったり。

歯ブラシ:皆無

シャンプー等:半数はあったけど、半数はありませんでした。石鹸は全てありました。

カミソリ:皆無

冷蔵庫:あったり無かったり。

ブッフェ:カレーは当然ありましたし、カレーをモリモリ頂きましたが、

ヨーロッパの方が多いので、その方のお口に合わせた料理も勿論ありました。

何しろフルーツに外れなし、特にパパイヤに惚れました。

どこで食べてもパパイヤが美味い。感動しちゃいました。

チップ:鞄を運んで貰って100ルピー、ベッドメイクに100ルピーが相場だと言われました。

アーユルヴェーダに対しても一回5$(僕はルピーを500ルピーしかもって行かなかったので、

ドルで払いました。)またガイドさんを後半二日間は僕に専属で雇いましたが、

一日10$のチップをお支払いいたしました。

部屋はどれも快適で、今回の旅は四泊全てホテルが変わるのですが、

いずれも勿体無いと感じ、もっともっと連泊したいなと思えるホテルでした。

ホスピタリティ:多くのホテルスタッフが日本語で挨拶くらいは出来ていました。

親日国であると感じる場面が多々ありました。

お客様の構成比:今回ご手配頂いたホテルでは過半数がヨーロッパからの白人が多数で

日本人は少数派でした。どこにでもいらっしゃる中国人は、Earls Regent は

皆無でしたが、他のホテルにはいらっしゃいました。中国の勢いって本当に凄いですね。

蚊:渡航前は、蚊に注意虫よけが必須と情報提供頂きましたが、部屋には蚊は皆無。

更に町でもあまりの暑さで昼間は出て来れなかったのかもしれませんが、

一匹にチクッとされましたが、それ以外はハエはいたものの蚊とは出くわしませんでした。

気温のせいなのか、季節なのか、はたまた運が良かったのかは正直不明です。

以上ホテルに関する紀行文というよりインプレッションですね。

ご報告させて頂きました。まだまだスリランカ編は続きます。

最早、次にスリランカに行くための備忘録ともいえる書き込み作業になっています。

画像5

Kandyan Reach Hotelにて一休みの図

【スリランカ紀行~シーギリヤ・ロック編~】

今日も100g(←誤差)痩せていました。

ガハハハッ!これは次回の検査で

NO糖では?

と期待しております。

今日は糖、いや塔の話ではなく岩の塊、

シーギリヤロックという観光客に

人気ナンバーワンの遺跡のお話です。

詳しくはこちらをクリック

とリンクを貼って終わりになりそうですが、

そこは写真を交えてインプレッションしたいところです。

先ずはシーギリヤロックに行った時間ですが、

朝の7時半くらい、遺跡はガラガラでした。

昇って降りてで2時間強でしたが、

9時過ぎに降りてきた時は、地元の学生さんの

遠足でしょうか?行列が出来ていてダラダラと

渋滞しながら登る状況でした。

また、4月とは言え、連日40度に迫る気温です。

朝で無ければ体力的にもきついと言えます。

ですから早めにシーギリヤロックに

向かう事をお薦めします。

そもそもシーギリヤロックって何?というお話ですが、

元々は王様のお城、でもお城として使ったのは18年間、

その後はお寺として使っていたそうです。

時代は今から1500年程前、当時はアヌラダーブラ朝で

約1450年程続く時代で王様が123代(うろ覚え)続いていたそうです。

ただし、シーギリヤロックを都と定めた18年間だけ、

それ以外はアヌラダーブラを都にしていたそうです。

そして王様が弟に殺された後、弟は元の都に戻ったそうです。

そしてシーギリヤロックって岩だけだと思われるかもしれませんが、

実は下の写真の様に、古代の庭園の様にレイアウトされています。

下の写真はウォーターガーデンというそうです。

そこで一枚パシャリ

ウォーターガーデン

このほぼ平坦な道をまっすぐ行くと、

階段が見えてきます。

シーギリヤ・ロック2

ここが王様が手を合わしている岩だそうで、

まだ序の口。

シーギリヤ・ロック3

まだまだ、この時点で汗だくです。

いい顔していますね~。

シーギリヤ・ロック4

ミラーウォールと言います。ここにリンク先でも紹介されている絵が飾られています。

シーギリヤ・ロック5

それを抜けるとこんなところも通ります。高所恐怖症の方には耐えられませんね。

シーギリヤ・ロック6

両サイドにライオンの足、

昔は顔もあったそうです。

一体どうやって作ったのでしょう?

ここまで来れば後ひと踏ん張り。

シーギリヤ・ロック7

見事山頂に辿り着きました。

バケツ一杯の水をかぶったかのような

バディーコンディションです。

ここから360度のパノラマビューが楽しめます。

いかにスリランカが緑に恵まれているかが

分かります。その写真もあるけど、それは行った時のお楽しみ。

シーギリヤ・ロック8

まとめると

①早朝に上るべし。

②汗拭きは必要(暑がりな僕はセンスも必要。)

③ペットボトルの水も必要。

④靴は踵までホールドするサンダルでも登れますし、

そういったサンダルで登っている人も多かったです。

⑤高所恐怖症の人は止めて~(汗)

何しろ金毘羅さんに匹敵する難ミッションだった気がしますし、

途中でクラっと来る程の負荷がかかりましたが、

登りきると達成感はあり、登山を楽しむ人の気持ちがほんの少しわかった気がします。

次も登りますか?と聞かれればもうたくさん、と答えますが、

スリランカに行ったらあの頂上からの風景を見ずに帰るのは

勿体無いとしか言いようがありません。

是非是非と強くお薦めします。

【スリランカ紀行~幼稚園訪問/眼鏡寄贈編その1~】

ふ~む、今日は朝から僕は悩んでいます。何を悩んでいるか、

それは今日のblogの内容があまりにも濃すぎて、

どこから手をつけて良いのかすら分からない。

きっと長くなるだろうな~、

と皆様のお叱りを覚悟しながら書き出してみるのです。

それでは始まり始まり~。

そもそも何で僕はスリランカに行ったのか?それからご説明する必要があるのですが、

先程申し上げたように、長くなりそうなのでさらっと説明しますね。

先ず僕は1年程前に、東京の組合に入りました。

東京眼鏡販売店協同組合HP

その組合では毎年各店のお客様が使っていらした眼鏡を集め、

そして上野のお寺さんでご供養するという組合の事業をしています。

頂いた眼鏡はご供養後、東京眼鏡専門学校

にお送りし、クリーニングとメインテナンスをして頂きます。

この作業に途方もない手間がかかるので、

この作業をやって頂いた生徒さんには頭が下がります。

専門学校検品

こんな風に検品しながら出荷作業をします。

専門学校検品2

これは度数を計っています。どんな度数が入っているのかを

チェックする必要があるからです。

え?なんでそのチェックが必要なんだ?

実は、

既に成田山新勝寺 東京別院

のお坊さん方が、事前にスリランカの幼稚園の

ご近所さんの眼を測定していたのです。

成田山新勝寺 東京別院さんは、スリランカで二つの幼稚園を経営し、

そこで初等教育にご協力させて頂き、スリランカの方々の

教育レベルを引き上げようと努力されているのでしょう。

その為、年に何度も日本とスリランカを行き来しているそうです。

その往復だけでも、費用、体力、時間、

全て膨大な労力を費やしていると思います。

一宗教団体がここまで出来るのか?と少なくとも僕は

見方がぐるっと変わりました。

そして、その測定結果と日本でご提供頂いた眼鏡とを比較し、

ほぼ、合いそうだと思える。近似値の眼鏡を持っていって、

そして寄贈させて頂くという流れになったのですが、

ご提供頂いた眼鏡は全て、新品ではありませんから、

誰かの顔に合わせている眼鏡

いわばフィッテング済みの眼鏡と言えます。

Aさんの顔に合わせた物(眼鏡)を

スリランカのBさんが、いくら度数は問題ないとしても、

快適にご使用頂けるとは到底思えないのです。

それは人それぞれ、骨格の形状、お顔のサイズ、

全て千差万別だからです。増してや今回は人種も違うのですから、

ノーフィッテングでは満足度が格段に下がると予想します。

そこで誰か一緒にスリランカに行ってフィッテングしてくれる人は

おらんかね~?と組合の会議の時に言われたので、

僕は、

「僕で良ければ喜んで~。」

と手を挙げさせて頂いたのが、僕のスリランカ行きの始まりです。

眼鏡供養会(めがねくようえ)は過去6回開催していますが、

その事業がもう一つ上にステップアップ、昇華されたのでしょう。

んな訳で、僕のドタバタ珍道中が始まったのです。

やっぱり長くなりそうなので、今日はイントロで留めましょう。

【スリランカ紀行~幼稚園訪問/眼鏡寄贈編その2~】

昨日のスリランカ紀行~幼稚園訪問/眼鏡寄贈編は

絶対一日の枠で書ききれないと思ったので

二日にまたいでご報告しますね。

僕が

以前の記事でスリランカで一番大きな都市、コロンボには行っていない事や

南部よりも中部のあたりを移動を繰り返していたお話はしました。

では中部の幼稚園の近くはどんな風景でしょう?

幼稚園周辺

僕はこの景色を見てサバンナをイメージし、

「絶対象がいるよね~?」

と聞くと同行者に冷静に

「いないから。」

と一刀両断されました。

そして最近舗装されたという道を進み10分程かな?

幼稚園到着

皆様が整列しお迎えしてくれました。

何かハートフルな感じ♪

しっかり成田山のお名前が、地名が難しいですね。

ニカウェラティア、舌を噛みそうです。

幼稚園看板

ここで僕は5才だと言われたお子様の眼を見させて頂きました。

その様子はこんな感じ。

カバーテスト1

一人一人見ていきます。遮眼子を忘れてウェットティッシュで

眼を隠しているのはご愛敬、どうかご容赦下さいね。

カバーテスト2

ここで寄り眼が出来るか、斜位はあるか、

そして眼球運動が出来ているのか?この三点セットで

18名の園児の眼をみさせて頂きました。

カバーテスト3

ここで事件が起きます。日本の5歳児と比較しても

斜位は少なく、

眼球運動が上手に出来ず、

寄り眼もしっかり眼が寄ってきません。

通常は、斜位が大きく、外にずれていると寄り眼が苦手な子は

日本でもいらっしゃいますが、斜位が殆ど無いのに、

出来ないのは問題だな、と感じ急遽

簡易なビジョントレーニング教育を即興で実施しました。

ビジョントレーニング2

その様子。

さて日陰とはいえ、40度に迫ろうかというスリランカ、

この時点で僕は大汗をかいています。

そして昨日のblogでお伝えした日本から成田山新勝寺東京別院の方々が

持ってきてくださった眼鏡をフィッテング後に寄贈します。

フィッティング現場

先ずは顔に掛けて頂いて、そもそも合っているのか、

それを測定していきます。

スリランカフィッティング

限られた工具で何年かお使い頂いた眼鏡を調整するのは

冷や汗ものですし、実際にかなり慎重に調整させて頂きました。

眼鏡寄贈

フィッテング後に主監様より手渡しで

眼鏡のメインテナンスキットを寄贈。

こちらは僭越ながらグラシアスより寄贈させて頂きました。

更に東京メガネ様より

出来合いの老眼鏡も寄贈させて頂きました。

眼鏡寄贈2

子供達も主監様にご挨拶。

7割が仏教徒を占めるスリランカならではの光景ですね。

この幼稚園ではバナナも育てています。

バナナ

たわわに実ったバナナ、何とスリランカでは

30種類ものバナナを育てているそうです。

バナナ2

成田山新勝寺東京別院の女子会から、

植樹のご寄付もして頂いているそうです。

記念植樹

遊具だって完備。凄いですね。

遊具

さて、一通り終えると、凄いおもてなし。

本当に、本当に美味しいフルーツとスリランカのスイーツ。

ミルクライスなんて物も、少し塩味を感じます。

おもてなし

そして僕は人生初の椰子の実ドリンクをまんまで

頂きました。味は敢えて言うなら一番近いのは

ポカリスエットかな?これをもう一つ頂き、

ホテルの冷蔵庫でキンキンに冷やして翌日飲んだ椰子の実ドリンクは

一生忘れられない程に美味かったのです。なんて贅沢。

椰子の実

そして後ろ髪を引かれながらも

この幼稚園を後にします。

翌日、次はマータレーという場所の幼稚園に行ってもう一回フィッティングします。

マータレー1

マータレーの建物はパステル調、色とりどりのおうちが

多かったです。それもスリランカならでは。

マータレー2

着くと皆さん既にお待ちでした。

ここでも大汗書きながらもタイトロープの上を

歩くかのようなフィッティング。

それでも何とかフィッティングを終えて

今回のミッションは終了。そして僕は、翌日以降の

観光に向かい、その内の一つがシーギリヤロックだったのです。

いや~。良い勉強になりました。

そして僕は常に良い事をしたいと思っていますが、

実際に良い事をこれだけやっていらっしゃる方々がいらしたことに

感銘を受けましたし、僕も、もっともっと頑張らなきゃと思えたのです。

今回のプロジェクトは本当に数多くの人々、そして団体の力を結集し、

見事、成功を成し遂げました。そして僕はその最後の部分だけを

いいとこ取りしたようで恐縮します。

そして、皆様の善意がスリランカの皆様にも

届きましたよとご報告させて頂きます。

うん、明日からも良い事をしよう。

最後は何か感動したスリランカの風景で〆たいと思います。

お世話になった本当に数多くの皆様、

次郎君はスリランカで一皮むけた様です。

与えようなんておこがましい。

頂いた物の方が何倍も何倍も大きな

今回のスリランカ出張でした。

遠景シーギリヤ・ロック

思えばスリランカに行ってから三年、当時僕がスリランカから帰国してすぐに大きなイスラム原理主義の過激派による大規模テロがあり、冷や汗を流したのを良くよく覚えています。テロの後はコロナ、きっとスリランカの皆さんもきっと大変な思いをしていらっしゃるのだろうとお察しします。

僕は僕でお店が閉店するかどうかの危機的状況を迎え、その後も度重なる緊急事態宣言に伴う、売り上げ減少。まるでジェットコースターの様に売り上げは乱高下していますが、それでも、良くも悪くも緊急事態宣言慣れしているせいか、売り上げの下落幅も以前程急激ではなくなりました。

三年前と言えば、組合に入ってすぐの時期です。そんなド新人にこんな貴重な体験をさせてくれる組合の皆さんの度量の広さに感服しましたし、ツアーでは決して得られない濃密な体験をこのスリランカで味わいました。

またいくぞ、そんな思いで以前にblog記事にしてはいましたが、これをアーカイブの中に埋もれさせてはいけないと感じ、noteでまとめ記事に致しました。長文ですが、ご興味ある方にとって有益な情報である事をお祈りし、失礼させていただきます。

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