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Club SLAZY(スレイジー)における楽曲・歌詞の反復使用について



演劇作品Club SLAZY(スレイジー)では、作中楽曲で同じ歌詞の曲をメロディや場面を変えて使用することにより、歌詞に異なる意味を持たせるという演出が用いられている。
本レポートでは演出の仕方による分類に基づいて、異なる場面での歌詞の反復使用によってどのような効果が得られているかについて考察を行う。なおレポート中で論ずるのは初演からFinalまでの舞台作品のみを取り扱い、ライブとテレビドラマでの楽曲使用は含めなかった。
今回は代表的な楽曲を以下の2パターンに分類して、楽曲の使用方法によってどのような効果が得られているかについて考察した。

1、同じ曲を異なる場面で用いる

1-1 サヨナラ
まず第一に挙げるべき曲はサヨナラだろう。サヨナラはTheme of SLAZYやAtoZといったテーマ曲と並んで、各作品で必ず使用される重要な楽曲である。ここでは例として初演と2でのサヨナラが使用される場面について述べる。
初演では以前スレイジーを去ったファイブスター・アイボールのことを示唆しながら店に迷い込んできた遠藤(エンド)にトップエース・アクトが歌って聞かせる場面、また、ラストで旅立つアクトを見送るようにパフォーマーたちが、そして新しくパフォーマーとしてデビューしたエンドが歌う場面で使用されている。「別れは出会い」という歌詞や「終わりは始まり」という台詞が示すように、別れに対する悲しみを肯定しながらもこれから新しい道へ進んで行く前向きな力を引き出すような優しいメロディの曲となっている。
2ではトップエースがショーの曲として歌う場面もあるが、サヨナラが歌われる最も重要なシーンは元トップエースが今は亡き「彼女」を想って歌う場面であると思われる。初演では特定の意味を持たなかったサヨナラの歌詞が、2ではキングから「彼女」への想いという具体的な意味を持ってあらわれる。「長すぎる時が流れ」「今は声も届かない遠い場所へ」「君の代わりはどこにもいないから」「涙なら置いてきたよ、愛のすぐ横に」「この胸はもうすでに壊れていたんだ」「あなたに初めて出会った日から」、といった一番の歌詞は彼女と出会って恋をしたものの勘違いから彼女の元を去り、数年後に彼女が亡くなっていたことを知ったキングが追悼のために歌うのに相応しい歌詞だろう。
さてスレイジー2は、初演の公演情報とほぼ同時に3ヶ月後に続編である2を上演することが告知されていた。初演と2でサヨナラを全く違う意味を持った曲として使用するという演出をしてみせるためにも、初演とは異なるストーリーをもった続編の存在が不可欠だったのだと思われる。
ここでは詳しくは触れないが、3以降でもサヨナラは登場人物たちの重要な心情を表現する曲として、それぞれ重要な場面で使用されている。

1-2 Lonely Boogie
Another World(AW)では当時のファイブスター・アイボールのソロ曲として、Finalでは落ち込むエンドを励ますようにシャドー(正体はアイボール)がエンドに歌わせる曲として使用される。頼りない新人パフォーマーであるアイボールが歌う情けなくも純情で健気なかわいらしいソロ曲だ。そしてFinalではやる気がからまわりしているエンドが歌うのだが、アイボールの歌詞の中では架空の存在であった「僕」と「君」は、ここでは明確にエンドとディープを指していると思われる。
教育係との関係やパフォーマーとしてのスタンスに悩む過去と現在それぞれのファイブスターの姿が、時を超えて重なるという効果を生み出している楽曲の使われ方だ。

1-3 The Runaway pierrot (~replay~)
フォーススター・ディープのソロ曲である。初登場した3本編の中で、アップテンポなとスローreplayの2バージョンがどちらも登場している。3では冒頭のショーで酔っぱらってふざけたように楽しく歌うのがアップテンポなバージョン、ショーバトルのために本気を出して歌うのが大人っぽいバージョンのreplayだった。いつも酔っぱらって不真面目でふざけているディープの「本気」がreplayで表現されている、というように同じ歌詞でも曲調を変えることでディープの別の面を描くという演出がなされている。
4ではさらに、ラストで兄との確執を解消して過去のディープの姿であるJr.が登場するディープのショーステージで歌われるのはアップテンポなThe Runaway pierrotである。3で本気でReplayを歌うディープの姿はもちろん彼の重要な一面だろうが、幼かった過去の自分とともにパフォーマーたちを総動員してステージを盛り上げるディープのパフォーマーとしての素質を示すのもまたアップテンポでふざけていて楽しいThe Runaway pierrotである、という演出になっているのではないかと考えられる。

2、歌詞を改変して異なる曲として用いる

2-1 Garnet StarとThe Echos
ガーネットスターはトップエース・アクトのソロ曲であり、トップエースの素質として強さを標榜するアクトそのもののような楽曲だ。「ここへ来て 目を閉じて 君の知らない世界へ」と、まだ見ぬ客席の誰かを一夜の情熱に誘う非常に力強い歌詞だ。(ただし、AWではファイブスターに抜擢されたばかりのアクトがまだ見ぬ客席の誰かに対する憧れを初々しく歌い上げる場面にもなっている。)そんな強いトップエース・アクトが教育係を務めたアイボールは後にスレイジーを去った。同様に、アクトもスレイジーを去る。その後AWで再会をすることになる二人だが、アイボールはミスティックと支配人にしか見えないシャドーとなっており、言葉を交わすことすらできない。ガーネットスターと同じ歌詞を使用して悲しげなメロディで歌われるエコーには、アクトが誇っていた強さはなく、お互いの存在を感じながらもこの先二度と会えないかもしれない相手を思う祈りの曲となっている。

2-2 Roller Coaster LifeとQ's Question
Roller Coaster Lifeは4で初登場した、「一度きりのLife」というフレーズで決断を悩む者、前進を躊躇う者、後悔を恐れる者の背中を押すように楽しく励ましてくれる9(Q)をはじめ、8(ブルーム)、Jr.(ディープ)のミスティックトリオの曲である。「一か八かでいいのさ 負けたって勝利のダンス」と冗談のように楽観的な言葉、また「願えば叶うとか言うけど そんなわけないだろう?」と少しだけ辛口の言い回しに励まされた観客も少なくないのではないだろうか。しかしながら、Qが「一度きりのLife これでいいのかい」というフレーズを繰り返すQ's Questionは、切ないメロディと相まってRoller Coaster Lifeとは逆に過去を思い、後悔をほのめかす楽曲となっている。後ろを振り返らずにローラーコースターの如く前へ向かって走るのが人生の醍醐味だと言わんばかりに歌い上げていたQのまた別の一面がこの曲なのだろう。ミスティックの仲間として裏方仕事を(したり遊んだり)していた8とJr.はともにパフォーマーと身を変えてQの元から去って行ってしまった。4で初めて明かされたQの過去に観客が想いを馳せる場面でもある。
ただし、Q's Questionを以てQが過去を後悔していると断じるのは早計だろう。彼の口癖である「自分の選択が常に最良」はきっと心からの言葉であると思われるし、スレイジー4閉店後のQ演じる法月康平氏のブログで言及されていたように、彼はかわいそうな人ではない。もはやミスティックではないが、ブルームもディープも変わらずQの側にいる。ただ、いつもと変わらないスレイジーを保つことを仕事としているQにも、時々過去を思い出す瞬間が訪れる、ということではないだろうか。

2-3 (番外編)The Invitation
正確には他の楽曲を改変した曲とは言えないかもしれないが、シリーズ最後の作品であるFinal Invitationのラストを飾るこの楽曲について述べたい。これはシリーズを通して紆余曲折を経て、フォーススターだったディープがトップエースになるラストのソロ曲である。ディープを中心にパフォーマーたちが勢ぞろいして楽しく踊り、歌う、それでいて我々に優しく別れを告げるシリーズ最終作を飾るに相応しい楽曲となっている。この曲では、「何も言わなくていい」「目と目が合うだけで」(Theme of SLAZY)、「君はそこに僕はここに 見知らぬ二人のまま」「ずっと君を探してたんだ」(Garnet Star)、「今ならまだ遅くはないから」(The Runaway pierrot「今ならまだ間に合うから」)、「『サヨナラ』はまだ言わないで」(サヨナラ)、「この歌が終わるまで」(Serenade)、といったように過去の楽曲に使用されている歌詞が散りばめられている。またトップエース・ディープのソロ曲は、パフォーマーたちを従えて一人ステージの中央に立つ過去のトップエースたちと異なり、パフォーマーたちとコミュニケーションを取りながらまるで群舞のようにみんなで歌って踊る曲となっている。それまでトップエースたちに求められていたものは、ステージ上から場を制圧する圧倒的な強さだったはずだ。そして、過去のトップエースたちは立場上求められる強さと己の内心の弱さの乖離に苦悩してスレイジーを去って行ったのではないだろうか。しかしディープは違う。彼は「みんなで」ステージに立つのだ。これが、過去を踏まえた上で現在のスレイジーが最終回で提示した『回答』なのではないかと考える。
さらにThe InvitationではTheme of SLAZYに次いでガーネットスターの歌詞が多く使われていることについても述べたい。ガーネットスターを歌うアクトとディープは同期として順位を争っていたライバルだった。しかしAWで描かれるエピソードを境にアクトは孤高のトップエースとなり、ディープは競うことを止めた。初演で描かれる出来事やAWで再度スレイジーに顔を見せたアクトと言葉を交わすことで、ディープはアクトの存在と向き合った上でトップエースを務めることにしたことをThe Invitationの歌詞は示唆しているのではないだろうか。アクトが今後スレイジーに戻ってくるかはわからない。しかしもしも戻ってきた時には、真面目な元トップエースは持ち前の根性でファイブスターから現トップエースのディープを蹴落とすべく努力をするのだろう。そんな予感を感じさせてくれる曲でもある。


このようにスレイジーでは楽曲・歌詞を反復して異なる場面で使用することで、楽曲の示す意味を拡大させる効果が得られている。また過去の作品を鑑賞したことがある観客は、以前に使用された楽曲の歌詞が使われていることに気付くことで、目の前で繰り広げられているシーンのみならず、過去の場面を重ね合わせて鑑賞することとなる。同じ歌詞を使用することによって観客の記憶を呼び起こし、二重写しのように場面の奥行きを作り出す効果を狙っていると考えられる。こういった効果を得るためには個々の楽曲が観客に強く印象付けられていることが不可欠であり、完成度の高い楽曲とパフォーマンスがこの演出効果を支えているのではないだろうか。