知り合いの突然の死

6日の朝、ピンポーンと、呼び鈴が鳴る。

誰だろう? 赤い車だ、でも誰だか見えない。玄関に行かねば、いや、先にマスク、マスク、私も、妻もモタモタもしている。これでは、留守だと思い帰ってしまうかもしれない。急がねば、妻も私も70を過ぎ、何をするにもスローモーになってしまっている。先に返事を早くしなければ。ハーイ‼️っ。 

足音が聞こえる、コツ コツ 、あー、待ちきれず、門を開け、玄関のドア近くまで来てるようだ。

ハーイ、あっ Tさん。『T内 さんが亡くなったんです❗』『えーっ、ご主人じゃなくて、奥さんが、えー』。

奥さんが自宅でご主人を介護してたので、順番からいけばご主人が先だと思い込んでいた。

『このお知らせ、ただポストに入れただけでは忍びないので、ビックリすると思って』、さすがに、普段から思慮深い方のお言葉だった。わざわざお知らせありがとうございます。『早速、お別れに行ってきます。ありがとうございました。』

死んだのは、令和4年4月4日だそうだ。人工透析から帰って来たら、奥さんがいないので、買い物にでも出掛け、まだ戻って来て居ないのだろうと思い込んだらしい。

何時迄経っても帰って来ないので、警察に探して貰ったら、なんと自宅のお風呂で倒れてたとか。

家族葬との事。

自分は近しい人が亡くなった時、勝手に自分なりの弔辞を書く事にしている。これは、まだ現役の頃、会社の監査役から、誰かが亡くなった時、もし自分が弔辞を読むことになったら、どの様な弔辞を読むのかと言う課題をある新入社員に出していたからだ。

これは自分にも課されている、と思い挑戦している。

 

今回も

弔 辞

T内さん お疲れ様でした。

今朝(4月6日)、お知らせを聞いて、びっくりしています。
つい最近、書道展示会のお知らせを頂いていたのですが、お伺い出来ず申し訳ございませんでした。
今、振り返れば、あのお知らせがお別れの挨拶だったのでしょうか。

日頃、ご主人の介護に、市民ネットワークの活動、子ども食堂調理にと、元気に奮闘されているご様子が目に浮かびます。

昨年は我が家の転居先の心配までして下さり、色々お声掛けありがとうございました。

地域の防犯パトロール、ハート村(手作り品のフリーマーケット)、子ども食堂での大活躍と、T内さんの周りは笑い声が溢れていました。

ことに大会社の秘書時代の武勇伝、面白おかしく聞かせて頂きました。未だに忘れられません。その大会社に下請け会社として出入りしていた私と、共通の話題で盛り上がりました。

さらに、ご自身の生みの親、育ての親のプライベートなお話まで、ご主人とのご商売繁盛のお話等、面白いお話ばかり。文才の有る方なら
「T内Y子一代記」
を書けるくらい豊富なエピソード。

いささか早すぎる旅立ちですが、長い間お疲れ様でした。沢山のご厚誼ありがとうございました。

令和4年4月6日     
S木J郎(○○台 ○-○○-○○)

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