見出し画像

ノ○ウェイのサウナ(前)

「エクスキューズミー」
そう言って、僕はキャビンアテンダントの女性を呼び止めて、赤ワインを頼んだ。
海外での仕事を終え、日本に帰国する飛行機の便に乗っていた。
窓際の席で飛行機の大きな羽と真近に白い雲が見える。
この情景には慣れない。現実味に毎回欠けている。まるでテレビ画面に映し出された作り物のようにさえ思う。
遥か遠くまで青空が広がる。非現実的な白い雲は手で掴めてしまうようにも感じる。

「ああ、日本は今は夏なのか…」

キャビンアテンダントの女性が丁寧にワインを僕に手渡してくれた。
一口、それを飲み、思い出す。
そうか。あれも夏の暑い日だった。信じられないくらいに空が青くて、まるで誰かが狙って描いたかのような白い雲がバランスよく配置された空だった。
あの頃にはなかった髭を撫でながら、懐かしい、夏のあの日を思い出していた…。

朝5時…。
目覚めるには早すぎる朝だ。
気怠い体を引き摺り、トイレへ行き、歯を磨き、習慣的な朝食としてヨーグルトを食べ、牛乳を飲んだ。

迷っていた。

「こんな朝早くにサウナに行ってしまっていいものか?」

そう。迷っていたのだ。

「こんな朝早くにサウナに行ってしまっていいものか!?」と。

狙いは定めている。
新宿にある「テルマー湯」だ。
ここは24時間営業しているサウナである。
この時間に行っても多分、問題はあるまい。下調べもちゃんと行った。

しかし、気怠い…。
めんどくさい…というような言葉というよりは僕の内側にある葛藤のような。
ああ、行こうか。行くまいか。このまま家にいて、適当に過ごすか。いや、しかし…。

この哲学の謎はきっといつまでも解けない。
朝はあまり家から出たくないのだ。そう。特に理由などはないのだけれど。

なぜだろう?

僕は幼少からの記憶を振り返ったり、散々に悩みあぐねて、結局諦めた。多分、この謎は一生わからないのだろう。

そう。
朝は、外に、出たくない。のだ。

電車に乗った。悩んでいる時間などは僕にはなかった。時間はいつまでも止まることはない。1分でも、1秒でも、一瞬でも、だ。

電車の席には座れた。
僕にはこだわりがある。
電車の席に座ることだ。
そのためには余計な手間なども惜しまないくらいだ。
わざわざ始発の駅まで電車に乗って、始発から遠くの仕事場まで行くような手間までかけた。
しかし、それの始発駅はさらに先の駅でまいってしまったことがある。
はぁ…やれやれ…と思いながらもしっかりと席に座った。しっかりと席を確保した。
僕のこだわりだ。

新宿駅に着き、東南口にある喫煙所で一服しながら地図を眺めた。
新宿駅からはだいたい十数分かかるという。場所的にはゴールデン街の真横、吉○興業の東京本社の真ん前の場所にあった。

テルマー湯外観

暑い中、たどり着き、綺麗なフロントに入る。ホテルような受付で担当の女性が手招きしてくれる。

さて、受付だ。と少し汗だくになった身体を持ってきたタオルで拭いていた僕に受付の女性が「初めてですか?」と聞いてきた。僕は、はい。と答えた。

「そうですか…」と女性は少し、残念そうな顔をしているようにも見えた。

「実は…」と重い口を彼女は開く。

「朝9時になりませんと、深夜料金の扱いで少し多めに料金をいただきますがよろしいでしょうか…?」

「えっ?」と僕は予想外のことに戸惑った。拭ったばかりの汗が再び吹き出したのを感じた。先ほどとは違う実感のある汗だ。

さらに彼女は続ける。

「あと、お風呂は現在、清掃中でして、こちらに入れるのは朝の7時からになります…」

「あ…そう、なんですか…」
と僕はもう呆然とした受け答えしかできなかった。時間的には6時40分くらい。そうか…。

…下調べはしたつもりだ。どうしてこうなってしまったんだ…?
きっと、誰も悪くない。人間、どんな形であれ、すれ違いがあるものだ。そうさ。
僕はこの種のすれ違いには諦観を決めている。だってしょうがないことだからだ。どうしようもないのだ。

「あ、大丈夫です。ここまで来てしまいましたので、入らせていただきます」

と僕は少し汗を蓄えた笑顔で答えた。

「そうですか。ありがとうございます!」
と受付の女性も安心したような顔をしていた。

「ピース」

と僕は言った。そういうことにしておこう。

テルマー湯の温浴施設は素晴らしかった。
もちろん。朝7時までは待ち、料金も割高ではあったが、まず、この時間帯に入ってくるお客の数は少ない。

そして、さまざまな温泉の中でサウナはニ種類あった。
高温サウナとスチームサウナである。

まず、高温サウナの温度はだいたい90〜100度前後を行き来しており、さすがの熱気である。人が少ないため、タイミングを見計らえば、サウナを独占できたのも素晴らしかった。テレビがあり、朝のニュースを聞き流しながら、確実に着実に身体の火照りを感じる。汗が吹き出し、これでもか。これでもかっ!と蒸される快感を一身で受け止める。
熱気の中で、自らの身体を委ね、熱を蓄えていく。いけるか?まだいけるか?と。

「ああ〜!」という声が出そうなのをこらえ、外の空気に触れる。

早く!早く水風呂へ!

と身体がごねているようだった。

ここの水風呂はだいたい17度くらい。熱された身体がすぐに冷やされる。
「ああ…!」と思わず声が漏れる。
冷たくて、気持ちがいい…。長く入りたくなるが、この温度だとすぐに身体が凍えてしまう。(実際に一度冷やしすぎてしまった。)

そして、とりあえず休憩は挟まずにスチームサウナに入る。
こちらのスチームサウナにはハーブ塩があり、身体に擦り付ける。
聞いた話によると、身体に塩を塗りたくることで、浸透圧から汗が出やすくなるのだという。
こちらの温度はだいたい58度くらい。
正直、先ほどのサウナに比べ低温でいつまでもこの中にいれるのではないか?と錯覚してしまう。
しかし、スチームという名の通り湿度が高く、また身体に塗りたくった塩の影響で汗はたくさん吹き出る。
徐々に、徐々に身体を蒸され、最終的には汗をたくさん流しながら、耐えきれず出てしまう。

塩と汗をしっかりと洗い流し、また水風呂へ。

そして、外気浴。
こちらのテルマー湯には露天風呂もあり、ちゃんと外気浴のスペースも存在する。

椅子に座り、空を眺める。
青い。雲も浮かんでいる。
ああ、もしかしたら、僕はもう整ってしまっているのかもしれない。
心臓の鼓動が聞こえる。上昇してくるように。胸から、喉を抜けて、耳もとで囁いてくるように…。

…いや、まだだ。
高温サウナに向かう。蒸され、水風呂に浸かる。そして、今度は休憩。
こんなに気持ちよくていいものか?
眠気にも似た快感が押し寄せてくる。もう、もしかしたら整っているのかもしれない。
しかし、大団円を迎えたかった僕はまた高温サウナへ。存分に汗を流し、水風呂へ。次はスチームサウナにも入った。そして、水風呂。休憩。

もはや少し眠たい。
ぼんやりとした視点を天に向け、また空を見る。
「ああ、今日はいい天気なんだなぁ…」
ぼんやりと思う。
鼓動は上がっていく。胸から喉へ、耳もとへ。

快感が全身を通るように風がまた突き抜けてきた。

「ピース」

そんな気持ちだ。

ハッと、気がつくように、僕はおもむろに立ち上がり、目の前の露天風呂に入った。

素晴らしい。

どうしてこんなにも気持ちが良いのだろうか。外気に触れ、暖かい湯の中に身体を沈める。
そうなると止まらない。僕は今度はお風呂の方に目をつけ、そこかしこにあるさまざまな種類の湯に浸かった。多くの種類のお風呂がある。
その中で素晴らしかったのは高濃度炭酸泉である。
シュワシュワと身体にこびりつくような炭酸の実感が何故か快楽になっていく。
頭まで浸して、まるで水死体のように身体全体を沈めたりもした。
スチームサウナと交互に入り、奇妙な快感を得たりもした。

ああ、なんて所だ…!
こんな所、いつまでも居座れるではないか!

僕はそんな実感を噛み締めながら、朝7時からだいたい2時間半くらいをその温浴施設の中で過ごしていた。

しかし、時間が差し迫っていた。
時間はやはり待ってはくれないのだ。

僕は少し名残惜しい気持ちを持って、温浴施設を後にした。

こうなると、何かさっぱりとした飲み物が飲みたくなってきた。

身体を拭き、館内着に着替え、自動販売機へ向かう。そこで僕はファンタのグレープが少しグレードアップしたものを飲んだ。

少し、休憩スペースで過ごし、喫煙所で一服をして、次の目的地へ向かうことに決めた。

荷物をまとめ、精算をする。

サウナの料金自体は昨晩にネットで精算をしていた。
金額は1860円。
飲料は210円だったので、つまりは深夜料金は1650円。

…いや、全く気にならない。
それほどまでに素晴らしいサウナとお風呂だったのだ。
全く気にならない。

1650円くらい安いものだ。

きっと、この1650円はのちのち効いてくるようなボディブローのように僕の内側を破壊するようなものであっても、何も気にならない。
そう。全然だ。
1650円など。

1650円…

いや、いやいや、こういうすれ違いはある。
何ひとつの後悔などはない。
誰だって悪くはない。
しょうがないことだ。
それほどまでに素晴らしかったのだ。
ただのすれ違いなのだ。
(勘違いされそうだが、本当に後悔はない)
次からは気をつけよう。

精算を済ませ、次の目的地へ向かう。

次は渋谷だ。

(続く)


※こちらのnoteは実話を元にしたフィクションです。どこがフィクションでどこが実話かはご想像にお任せいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?