壊す人、そして壊す時期

人生には大きく分けて3つの時期があるという話を前回しました。
実は、この3つのタイプで人格も分類する事ができます。そのタイプとは、それぞれ創造、発展、破壊と表現すると解りやすいでしょうか。幼年期が創造、成年期が発展、老人期が破壊にあてはまります。

破壊というと嫌な印象がするかもしれません。
私たちは、いつか必ず生を終えて死を迎えます。その過程、時期を破壊というのは、ちょっと私も抵抗を感じます。しかし、土に帰るという表現をするように地上に生きている我々が体を朽ちさせていくための時期だと考えてみるとよいでしょう。それが必要な時期というのはやはり壊していくという作業が必要になります。だから今はあえて破壊という言葉を使う事にします。

この3つの時期ですけど、性格や人格の分類も可能だったりします。
年をとっても子供っぽい人、若いのに年寄り臭い考え方の人を想像してもらうとわかりやすいでしょう。体の状態と、その人の本質が一致していないケースがあるわけです。

創造タイプというのは起業家というとわかりやすいでしょうか。
新しいモノを生み出していく人がここに分類されます。創造タイプは、普通の人が思いもよらない発想で、新しいモノだったり、サービスを生み出していきます。優秀だと言われる政治家なんかもここに分類される事が多いでしょう。ただ、発展や破壊タイプの人は創造について理解できない事が多いかもしれません。例えば、ユニクロを海外で安く服を作っているだけの会社だなんて思っていませんか?天性の才とか天才とかいうのは一般の人間には理解されないものなのです。才能を生まれ持っている人がここにあてはまるといっていいでしょう。

次は発展タイプです。
標準タイプといってもいいでしょう。いわゆるサラリーマンタイプの人、与えられた事をこなすのが仕事だと考える人はここにカテゴライズされるでしょう。大半の人はここに分類されるはずです。官僚や役所の公務員なんかは典型で、目の前の仕事をこなす事を得意としますがイレギュラーな事が起こった時にうまく対応できない性質です。新型コロナウイルスに怯えて右往左往している人たちなんかもここに分類されますね。

そして、破壊タイプについてです。
破壊タイプの人は、ルールや規則を壊すことに価値を見いだします。彼らの衝動は他人に理解される事はありませんが、その破壊衝動をうまく向上心に結びつける事ができる人は大きな成果を残したりします。

全ての人がこの3つの要素を持っています。
そのうちどの要素が濃いかで、個性や人格が作られ、それにともなった行動をするようになるわけです。

戦国武将でいうなら豊臣秀吉は創造タイプ、発展タイプは徳川家康、破壊タイプが織田信長だというとわかりやすいでしょうか。まぁ、織田信長が破壊タイプというのは時代背景がそうさせたと思えるので、本来は創造タイプとしての性格が濃い人だったのじゃないかと思います。新しいモノを作り出すためにはまず壊す必要があったのだと思われます。

例えば織田信長がおこなった政策に楽市楽座というものがあります。
自由に商売できるようになるというのは、大半の業種においては当たり前の事です。でも、当時は、組合である座というものがあって、商売どころか、値段を自由につけることができませんでした。そういう特権的なものを壊して、自由に商売できるようにしたことで行商人が往来するようになり経済が発展させた訳ですね。ちなみに、その信長の破壊についていけなかったが発展タイプの明智光秀で、彼に本能寺で討たれたという事じゃないでしょうかね。

それで、今回、取り上げたいのは破壊タイプの人たちです。
なぜかというと、近年はこの破壊タイプといっていい人たち発言がやたらと目立っているからです。そして困った事にその破壊タイプの性質が悪い方にでていると感じています。古いモノをこわして新しいモノを生み出すのは必要な事ではあるのですけど、社会にとって有益な破壊になっておらず自分の利益のために壊していくからとてもタチが悪いのです。

私が注目したのは、菅義偉、竹中平蔵、橋下徹という人たちです。
書いていて思いつきましたけど、堀江貴文なんかもここに含めていいでしょうね。なお、敬称は重要ではないと思うので省略します。

彼らに共通する点が、父親との関係が良好ではないという事です。
どうもそのせいで強いコンプレックスを持つようになるのではないかと思われます。別に、育ちで人をどうこう言うつもりはありませんが、人はどのような環境で育ったかという事と無関係でいることもまた不可能なのでしょう。彼らは我々の暮らしと生活に大きな影響を与える事のできる人たちだから、話のネタになるぐらいは有名税だと思ってもらう事にしましょう。

まぁ、こういうのが気に入らない人、バリバリの発展型な人で融通がきかない明智光秀みたいな人はここから先は読まない方がいいかもしれません。

まず、竹中平蔵という人、自己紹介をするときに

「1969年の一橋大学でした。」

と言っていたそうです。
この1969年なんですが、学生闘争の影響で東大の入試がなかった年です。つまり、

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