やさしく寄り添う医書のあり方 『あめいろぐ高齢者医療』・痛みと悼みに寄り添う気づき

こんにちは。

いち編集部のリアルです。

あめいろぐ高齢者医療』について、5回目のNoteです(最終回)。これまで「医療者に寄り添うやさしい情報提供のあり方」をメーンに紹介してきましたが、最終回は「やさしく寄り添う医書のあり方」に関する紹介になると思います。

昨年「家族会議」のポスターが物議をかもしましたが、本書でもアドバンス・ケア・プランニング(ACP)については触れています。かなり実践的に。もっといえば、後段の4章分は医療用麻薬(オピオイド)や緩和ケア、終末期ケア、お看取りの心構え、代理意思決定やACPなど、患者や家族の痛みや悼みにやさしく寄り添う医療者のあり方を、ドクター植村がたんたんと提案しています。

とはいっても、老年医学の本場からの上から目線の提案ではありません。ドクター植村は緩和ケアのスペシャリストでありますが、彼の記述は、医療者の姿勢として、ウィリアム・オスラー医師の『平静の心』を引用しながら、どのような状況のときも医師として冷静に対処することの必要性を説いていますが、それ以上に、死や重篤な状況を前にしたときに患者や家族の感情に寄り添う姿勢が大切としています。

例えば、10章「より良い看取りのための心構え(緩和ケアの基礎)」では、家族がお亡くなりなる患者さんを前に「最後の別れの言葉」として、次のようなフレーズを紹介します。

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自分の命が尽きなんとする末期の病床で、私も家族からこのような言葉を聞いてこと切れることができたとしたら、本望だろうなと思います。自分の妻や子どもらが病床にいて、手を握ってくれて、目はもう開かず、うすれゆく意識の中、聴覚だけが最後に残る感覚と言われてますから、耳元で家族の声が近くに、そして遠雷のように耳全体に浸透してくる。そんな末期はなかなかないのかもしれませんが、自分が大切と想う人と、誰だって最期のときは一緒にいたい。もしかしたら、その一瞬のためだけに人生があるのかもしれませんし…。それは人間の最後の願いなのかもしれませんし…。

医療者がこのような寄り添いの言葉をご家族にお話する。そのような医師のあり方、私が死にゆく患者だとしたら、そんな医師が不安と哀しみにうちひしがれる自分の家族の側にいてくれたらありがたいなと思うのです。

《家族に寄り添ってほしいと思われる医師のあり方》、これなども第5の気づきのヒントといってもいいのかもれません。

ドクター植村は、さらにいいます。緩和ケアは「がん緩和ケア」がすべてではく、がん以外の緩和ケアにも有効だし、そもそも終末期ケアにだけ限定されるものではなく、すべて重篤疾患、痛みを前にした患者に用いられるべきと。詳しくは本書をご覧いただきたいのですが、日本では保険適用ががん緩和ケアに限定されている点なども事実としてあるのでしょう。

《緩和ケアのあり方》。第6の気づきのヒントとさせていただきましょう。

そして、患者と家族の痛みや想いに寄り添い、その声(価値観)を傾聴し、患者と家族が考えるゴールを共に考え、医療のプロフェッショナルとして、何を提供するのが、患者と家族にとってベストなゴールなのか。時には、医療ソムリエのようにその方法を提案するのも老年科医の役割だそうです。

《患者の声を傾聴し、人生のゴールを医療ソムリエのように考える》。第7の気づきのヒントになりますでしょうか。

こんなにすてきな老年科医のあり方、これからの日本にはますます求められるように思うのですが、皆さんはいかが思われますか。でもアメリカでは「老年科医は絶滅危惧種」だそうです。圧倒的に人数が不足しているし、なかなか担い手がいないとか。その答えとなるメッセージも、本書の最後で、ドクター樋口がさりげなく提示しています。

こういうアゲインストの領域こそ、本来追い風は吹くべきです。日本でチャレンジをするなら今。目の前に茫洋と広がる高齢患者群を前に、日本風のじぇりあとりくすをあなたが確立するのも一案かもしれません。 

《アゲインストの領域こそ、本来追い風は吹くべき》。これが第8の、最後の気づきのヒントになります。

以上、「やさしく寄り添う医書のあり方」、そして「医療者に寄り添うやさしい情報提供のあり方」を意識して、8つの気づきのヒントを述べてみました。その答えは、本書の中で見つけられるのかもしれません。

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ご清聴(読)ありがとうございました。

2020.8.29

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