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006読書_君は月夜に光り輝く2

こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか。
 
前回に続き、佐野徹夜さんの「君は月夜に光り輝く」の読書感想を中心に書ければと思います。
 
佐野さんは、あとがきで友達が自殺した過去を明らかにされていました。私自身、叔母を亡くした直後は、主人公の卓也のように、どこか投げやりで、冷めた生き方をしていたのを思い出し、卓也のリアルな言動に共感させられました。
 
これは、佐野さんが、大切な友達を亡くすという経験を経て得た「この世界は、理不尽で、辛くて、酷いことに満ち溢れています。死にたくなるなんて、それは当たり前のことだ、と僕は思います。」という考え方があったからこそ描けたのだと思います。
 
本作の中心となる不治の難病である「発光病」ですが、私は読んでいるうちに、嘆仏偈の「光顔巍巍」という単語を強く連想させられました。嘆仏偈は法蔵菩薩(阿弥陀さま)が師匠である世自在王仏に向かって、徳を称えて自らの誓願を誓ったもので、「光顔巍巍」から始まります。
 
「まみず」が発行病の進行により、死に近づくにつれて、徐々にひかり、美しく光輝いていく姿が、この「光顔巍巍」と不思議なほど重なっているように感じました。「まみず」が必死に、考えて考えて、生きて生きて、生きぬいて、それでも死はやってきて、最後の最後に死と和解したその瞬間に大きく輝いて、夜半の煙となって旅立っていたのです。
 
これは、悟りの道筋を表しているのではないかと思います。菩薩そして、仏へとなっていく「まみず」が、生死の迷いに苦しむ「卓也」を導いて救っていく。そして、「まみず」自身も、「卓也」の言動、思いによって、幸せであったことに気づき、あらゆるものへの感謝の気持ちに溢れて旅立っていく。悩み苦しみ葛藤していた「まみず」、「卓也」のどちらも大きな光に抱かれて救われていったのです。
 
ここに、親鸞聖人が説かれた二種の回向の一端
 「まみず」から「卓也」への思い、つまり、仏からの慈悲である「還相回向」
 「卓也」から「まみず」への思い、また、「まみず」の幸せへの気づき、あらゆるものへの感謝の思い、つまり、仏への感謝の「往相回向」
を垣間見ることができるのではないかと思います。
 
私の目には、発行病の不可思議の光を通して、救われていく二人の姿が輝いて見えました。
 
 
合掌。南無阿弥陀仏。


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