vol.6.5 オンステージの3時間前
「じゃあ、今から最初にスマホ鳴った人の勝ちね」
薫はいつも突然よくわからない遊びを思いつく。ライブ当日、リハ後のファミレスだった。
「勝ちって何」
「このあと出番後にバーカンでビリの人に1杯奢ってもらえる」
「負けもあんのかい」
一方の桜子は話を聞いていない。ジェルネイルの施された指先で、さっき撮った写真を夢中で加工している。あんた、どんなにオシャレなフィルターでふんわり盛っても所詮それサイゼリヤの写真だからね。テーブルには大盛りのカルボナーラ、マルゲリータピザ、青豆のサラダ。薫はメロンソーダ、私はオレンジジュース、桜子はほうじ茶。3人とも酒はこのあとハコで飲む。3人で分けようって私が注文した辛味チキンは5本中3本薫が食べた。そして今4本目をかじっている。計算がおかしい。
「薫、チキン何本食べた?」
「知らん」
「知らんじゃねえわ」
「もう1回頼めば良くね?」
いやいや、店員さんにあの女たちチキン食いすぎって思われるわ。あんたのせいで。
「はい、はい、二人ともスマホ置いて。始めるよ」
薫がチキンの話を遮った。ニコニコと笑みを浮かべている桜子は写真の加工を終えたらしい。三者三様のスマホがゴロンとテーブルの中央に投げ出される。
こうやっていつも私たちはなんだかんだ言ってリーダーの指揮には従う。
だって今まで絶対そのほうが楽しかったから。
「アプリの通知とかでもいいの?」
「そ、なんでもいいから一番早くスマホ鳴った人の勝ち」
着信でも、アプリの通知でも、メールでも、なんでもいいからとにかくそのスマホを震わせた人の勝ち、ということらしい。
「ね~、とりあえず冷めちゃうし食べようよー」
桜子が自然なモーションでカルボナーラを取り皿に分ける、もちろん私たちの分まで。桜子のことを、女子力が高いとか家庭的とか育ちがいいとか、的外れな言葉でラベリングをする男はたくさんいるけど、桜子は、ただ心が優しくて気の利く女の子なのだ。時々恐ろしいくらいマイペースだけど。私たちはそんな桜子が好きなのだ。
「桜子、腕の筋肉増えてね?」
ドラマー桜子のコンプレックスに躊躇なく塩を塗り込みにいく薫は、いつもガサツでデリカシーがないけど、一応リーダーということになっている。ベースに加えて作曲というバンドの脳幹部分を担当しているけど、それ以外は本当にポンコツで残念。どうにかしたほうがいい。たまたま私と桜子が薫の才能に惚れ込んでいるから(悔しいから言わない)、ギリ、プラマイゼロになっているだけだ。ギリだ。
「ドラマーとしてちゃんと鍛えてるの。ありがと~~~~~」
「いいじゃん、男らしくて。マジいいと思う」
「それはどうもありがと~~~~~~~~」
ボケじゃなくガチで褒めに行く薫と笑顔の引き攣る桜子の漫才が始まろうとしたとき、タイミングよく私のスマホが鳴った。
「やっほぅ!イチ抜け」
「早っ。つまんな」
「言い出しっぺが言う?」
見慣れた緑のアイコンだった。誰かからのLINEメッセージの通知だ。
「あ、雪からだ。今日ライブ行きます、予約1枚お願いしますだって」
「えー!ユキちゃん来てくれるの!やった~」
「新曲楽しみにしてます、だって。嬉しいねえ」
「響、慕われてんなあ」
私の後輩である雪を、桜子はいつも可愛がっている。はたから見ていても波長が合うのがわかる。
「そういえば今日の条件ってどうだっけ?」
「ノルマなし、6枚目から100%バック」
「予約状況は」
「雪で6人目」
よし。3人、無言で乾杯する。これぞスリーピースバンドのグルーヴだ。
「ヤッホーゥ、黒字黒字、好きな言葉は黒字。もうひと押し、誰か来てくんないかな」
「桜子。さっき加工してた写メ、どっかに上げちゃった?」
「バンドのTwitterに載せようと思ってたんだけど」
「さっすが!【なんと!新曲初披露します】って付け加えてツイート、頼んだ」
りょうか~い、と間延びした声に反して桜子はすごい速さで文字を入力していく。
「ツイートしたよ~」
再び3つのスマホがテーブルの中央に投げ出される。
「さて、ビリ決定戦ですね」
ゲームの言い出しっぺだったはずの薫はすでにスマホに見向きもせずカルボナーラを頬張っていた。
「今日の対バンどんな感じ?みんな初対面だよね」
「んー。急ごしらえって感じでもないし、割とハコが力入れてる日なんじゃね?って印象」
「ありがたいね、呼んでもらえて」
「ガールズバンド縛り、でもないよね~」
ときどきは単独公演、いわゆるワンマンライブをやることもあるけど、基本的に普段は数組の出演バンドと共演という形でライブ活動を続けている。対バン形式というやつだ。できるならその日いちばんカッコイイ演奏ができるバンドでありたいが、勝つ日もあれば負ける日もある。勝ったと思えた日は嬉しくて、負けた日は悔しくて、どっちにしても楽しくて、それでいつまでもバンドはやめられない。
「ま、いつもどおり自分たちの音楽をやるだけだね」
「響いいこと言うね~」
「あ。さっきリハ1組だけ見たけどすごい上手かったわ」
「へえー」
「薫が褒めるくらいならかなり上手いんだろうね」
薫はあまり他人の演奏に興味を持たない。こういうことを言うのは珍しかった。
「なんていうか安定感あったよ。曲も良かった。バンド名…何だっけな」
「このあとライブ見ればわかるっしょ」
「楽しみだねえ」
その時、3台のスマホが同時に鳴った。桜子と薫がすかさず手に取る。
「どっちが早かった!?」
「ほぼ同時でしょ今の」
「てか3人とも同時に?何?」
それぞれ食い入るように液晶を見つめる。
「えーっと…」
「…さっきの告知ツイートにイイネがきましたって」
「そっか、バンドアカなら3人で管理してるから全員同時に通知くるね」
「つまんな!なにこの遊び!つまんな!」
「いや言い出しっぺアンタ」
「じゃあ今のってノーカン?」
「もういっそ私の一人勝ちってことにしてふたりとも1杯ずつ奢ってくれてもいいのに」
そろそろハコに再集合の時刻が近づいていた。なんだか今日は楽しい夜になりそうな気がして、ワクワクしている。この二人とバンドを始めてからずっと楽しかったけど、今日も間違いなく楽しくて、音楽の神様がもしいるなら私たちはきっと寵愛を受けていると思う。それか、ただのうちらのファン。自主制作盤の音源も全部持ってて、メンバーのSNSも全部フォローしてて、ふとした時に曲も口ずさんでくれるような、そんな、遠くのファン。それがいいな。いるんだろうか、音楽の神様。バンドの神様。おかげで今日も楽しいです、ありがとうございます。二人にバレないように、心の中でだけ手を合わせる。
「じゃあ、あと10分延長戦しよ。それでビリ決まんなかったら、今日は響の一人勝ち。ユキちゃんからライブの予約もらってくれたことだし。私と薫から奢るってことで。いいよね、薫?」
「いいよ。けど……」
「けど?」
「辛味チキン、もう一皿注文してもいい?」
「そんなに気に入った?」
桜子が爆笑しながら、空いた皿を手際よく重ねた。オンステージの3時間前。
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