人を傷つけることは自分も傷つけるということ

初めてのノートです。
どうしても記したい忘れてはいけない思いがある。

突然だが、僕は小中学生時代にいじめの加害者と被害者の両方の立場を経験した。
いじめといっても被害時も加害時も暴力や何かを隠したり、傷つけたりするようなものではなく、仲間はずれ、変なあだ名でからかったりするようなものだった。
今回は加害者の時の話。
小学生時代、僕はいわゆる陽キャというクラスでも目立つグループに所属していた。
しかし、所属していただけで実際はリーダー格の子に逆らえない取り巻きの一人だった。
ある日、クラスの目立たない男の子があるブランドの洋服を来ていた。僕も含めグループの子たちはふざけてその子の事をそのブランド名で呼んだ。決してそのブランド名が卑猥とか何かを侮辱するような名前や意味ではなく単にデザイナーの名前をそのままブランド名にしたものであった。小学生でまだファッションなどにも疎く、それがデザイナーの名前だとも皆分かっていなかった。人の名前が洋服にプリントされているのが妙に面白く感じ、僕らはふざけてそのブランド名でその子を呼んだりしていた。
また、それがきっかけでその子と僕たちの関わりが増えていった。関わりといっても昼休みや放課後の遊びにその子が加わるような形で、特に悪いことがないように思えるだろう。
でもそれが間違いだった。僕たちのグループは先述の通りリーダー格の子に誰も逆らえなかった。そして例えばドッジボールであれば最後にボールに当たった人が片付けをしたり、鬼ごっこであれば、放課後鬼から逃げて学校の外に出ないと帰れなかったりといった理不尽なルールがあった。最初はそれでも皆分かってやっていたので問題はなかった。しかし、その目立たない男の子が入るとどうだろうか。実はその子は運動が苦手であった。当然ドッジボールは最後にボールに当てられるし、鬼ごっこもすぐに捕まってしまう。それが1回だけであればまだしも、その状況が何日か続いた。
3日ほどたった時、僕はこの状況はいじめではないかと感じていた。いつも彼がボールを当てられ片付けさせられること、鬼ごっこに捕まりなかなか帰れないこと、またあだ名で呼ばれること。ふざけている、皆でやっているゲームの延長だと周りは捉えていたかもしれない。しかし彼にとってはなんでいつも自分が。。。と感じていたのではないだろうか。それに自分は気づいていた。でも辞めようとグループに言えなかった。仲間はずれにされるのが、空気の読めない奴とリーダー格に目をつけられるのが怖かったから。個人的に彼をあだ名で呼んだり、ゲームで狙うのは辞めたが周りに波及させることは出来なかった。僕は自己保身を優先してしまった。
これが僕の後悔である。(後に僕は行動を起こしグループの反感を買い、いじめの対象になるのだが)
幸いという言い方はおかしいかもしれないが、5日ほど続いた後、彼が嫌だと言ってくれた。彼の親も事情を聞き学校に報告したことから、私達グループは先生にお叱りを受け、彼と親御さんに謝罪したことでそれは終わった。
その後僕たちと彼は同じクラスで一年半ほど過ごし、時には学校行事で交流したりもした。また中学校も一緒だったので、クラスは違ったがたまに会ったりもして一緒に卒業の日を迎えたというわけだ。
今でもふと考えることがある。もし彼が嫌だと言えず、不登校になっていたら、またさらにエスカレートしていたらと。
もちろん理不尽な暴力や侮辱といったニュースになるようなことにはならないと思うが、それでも彼が不登校や転校といった形になっていたら。
そういう意味では、早い段階で彼が嫌だと言ってくれたこと、先生や保護者の介入があったこと、そして謝罪の機会を与えてもらい、その後の学校生活を彼と卒業まで過ごせたことは本当に幸運だったと思う。
このことから僕が言えることは人を傷つけることは、罪悪感や後悔となって自分の心をも傷つけるということ。事態が深刻になればなるほど傷は深くなり、加害者だけでなく傍観者も後悔の念が大きくなる。
彼が今、どう思っているか分からないが、今でも僕は忘れていないし、謝罪と後悔の念を抱き続けている。そして変な言い方だがあの時、声をあげてくれた彼、介入してくれた学校の先生方、保護者の方には本当に感謝している。
今、いじめを受けている子には難しいかもしれないが声をあげてほしい。早ければ早いほど良いことは断言できる。
僕はこの経験を忘れてはいけないし、辛い思いをするのは加害者もということを、いじめをしている子に訴えていきたい。 今、君がしているいじめは君自身を傷つけていることでもあるのだと。
いじめは何も良いことは産み出さない。
傷つきたくないのなら、他人を傷つけることを今すぐ辞めよう。

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