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ウクライナ・ロシアの本を贈る

まちライブラリーにウクライナ・ロシアの本を寄贈することにした。
といっても、本棚にあった本は、最近読んだ本以外ろくな本がなかった。
ロシア、ソ連の歴史って、やはりドクトル・ジバコの世界のイメージがぴったりくる。

まず、ウクライナを知るにはこの一冊。

ウクライナとは?

ウクライナ は1991年の独立まで自分の国をもたず、それまで何世紀もロシアやソ連の陰に隠れてしまっていた。
ロシアに歴史がないと思う人はいないだろう。ウクライナもキエフ・ルーシ公国 以来の多くの歴史の本が出版されている。それにも関わらず、あまりその存在を知られていない。
キエフ・ルーシ公国の首都は、現在のウクライナの首都キエフにあった。ゴーゴリはコサックの末裔で生粋のウクライナ人であった。さらに、チャイコフスキーの祖父はウクライナのコサック出身であり、チャイコフスキー自身もウクライナの妹の別荘に滞在して、『アンダンテ・カンタービレ』などを作曲した。ドストエフスキーの先祖もウクライナ出身であり、スプートニク打ち上げの中心人物だったコロリョフもウクライナ人だった。
ソ連になってから、共和国のウクライナの民族性を強調する動きは1930年代前半まで続いたが、すでに1920年代の後半から締めつけも同時に進行していた。レーニンが1924年に53歳で死亡し、1927年にスターリンがトロツキー、ジノヴィエフらのライヴァルを追放して権力を掌握したのが転換点になった。トロツキーもジノヴィエフもウクライナ出身のユダヤ人だった。
その後、ソ連は一国社会主義を守るため、農場の集団化などを行う。これが史上最悪の飢饉を生み、餓死者は、500~600万人と言われている。ゴルバチョフもウクライナ出身だが、彼の村では3分の1が死んだと語ったらしい。
この本は20年前に出版された本。
でも、ウクライナの歴史がよくわかる。


どうしてロシアはウクライナに侵攻したのか?

毎日新聞記者の真野森作が書いた2013年から2016年までのウクライナとロシアのルポルタージュ。
読み応えのある本だ。
2014年に併合されたクリミアの時は、まず秘密裏に世論調査を行い、クリミアでロシア支持派が多数とわかるとプロパガンダを始める。親ロシア派の指導者を支援し、特殊部隊や覆面の親衛隊を作る。
そして、住民投票まで持って行く。
実際にクリミアで起きたハイブリッドな戦争だ。
住民はこう言っていた。

クリミア で タタール は 人口 の 13% です。 この まま 住民投票 が 行わ れれ ば、クリミア は 独立 する か ロシア 領 に なっ て しまう でしょ う。 (p.79).

そして実際には80%以上の投票率で90%以上の支持を得た。
イスラム教を信仰するタタール人の多くは違法な住民投票だとして、投票に行っていないらしい。だからロシア併合支持が圧倒的に多くなる。
住民投票で決まったのだから、ある意味で民主主義が発揮されているのかとも思う。
しかし、実際にはロシア軍の駐留のもとで行われた選挙だった。

そのとき今問題になっているドネツクはどうだったか。ドネツクで同じことは起こしようがなかった。そこで、州議員でもない親露派活動家が州政府 庁舎を占拠し、何の正統性もない『ドネツク人民共和国』なるものを創設したのだ。

ドネツクとルガンスクは炭鉱の町だ。ソ連時代に鉄鋼業が盛んになった。それが生きる道の町だ。
ウクライナ語とロシア語が公用語のウクライナでもロシア語が優位な地域だ。
町の声はウクライナの政府が自分たちの税金を中央に持って行くので貧しいのだと思っている。
人民共和国として独立して、ロシアの援助を受けた方が豊かになると信じている住民も多い。
そして投票結果は「投票率は74.87%、独立賛成は89.07%」だった。ウクライナの貧富の問題は複雑だ。

しかし、2014年に起きたことを考えると、今回の侵攻は延長線上にあることがわかる。十分予測しえたのではないか。

次にこの本。

今回のロシアのやり方は、クリミア併合と同じ。
まず、政治技術者と呼ばれる政治工作員を現地に投入する。工作員はロシアから引っ越してきた住民を装い、ウクライナ社会に紛れ込み、親ロシア思想をウクライナ人に植え付けようとする。「ロシアがウクライナを併合したら年金が増える」「ウクライナ当局がロシア人を迫害している」などの情報を流す。
クリミアでは議会を半ば占拠しながら住民投票と組み合わせて、無血で併合を完了した。
プーチンは短期に今回の戦争も終わらせる見込みだった。しかし、戦線を拡大しすぎたのか、ウクライナ人の予想を上回る抵抗にあったためか目論見ははずれた。
武力攻撃と情報戦やサイバー攻撃を組み合わせたハイブリッド戦。
本来住民ひとり一人の意志が問われる住民投票まで心理操作する。
民主主義とは何か? 意思決定とは何か? 今の戦争はすでにそのレベルになっているように思う。
アフリカでロシアはもっと効果的に浸透している様子も書かれている。

廣瀬陽子と次の小泉悠は最近毎日どこかのテレビに出ている。ロシアに詳しいので、解説にひっぱりだこのようだ。

NATOの東欧拡張がロシアにとって脅威であるとプーチンは言っている。
実際はどうなのだろうか?
小泉氏はこんなふうに説明している。
1997年にむずばれた「NATO=ロシア基本文書」というのがある。これは、東西両陣営の敵対関係を集結させるとともにNATO新規加盟国には核兵器や実質的な戦闘部隊は常駐させないという内容だった。しかし、バルト三国のラトヴィアには3か月交代で戦闘機部隊が配備されている。
ソ連勢力圏だったチェコ、ハンガリー、ポーランドは1999年にNATOに加わった。2004年にはバルト三国、ブルガリア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニアが加盟した。
2009年にアルバニアとクロアチア、2017年にはモンテネグロ、2020年にマケドニアも。
その脈略のなか、ウクライナでは2013年にロシア主導のユーラシア経済連合(EEU)加盟か、EUとの高度勝つ包括的な自由貿易圏(DCFTA)加盟かで国民的な議論があった。そのときにロシアからの抗議を受けたヤヌコーヴィッチ政権がDCFTA離脱を決めるとリベラル派やロシアに不満のある民族派は反発し、デモが勃発した。治安部隊との衝突もあった。2014年にはエスカレートした衝突のもとでヤヌコーヴィッチ大統領はキエフを脱出した。これがマイダン革命と呼ばれている。
ここでロシアはウクライナに直接介入した。クリミア半島内の議会、行政施設、マスコミ、空港などを占拠した。しかし、住民投票を強行し、約9割の賛成となり、クリミアの独立をロシアは議会承認した。その後、ウクライナ東部でドネツク、ルガンスクが独立共和国宣言をする。
これらはロシアのハイブリッド戦略とも呼ばれているが、軍事的に介入せずに市民からの独立運動を操作するものである。

ソ連の歴史とは?
革命でロシアはソ連になった。
その後、激しい権力争いがあり、スターリンが権力の座についた。最大のライバルだったトロツキーは追放された。

トロツキーの分析では、官僚主義支配を望む官僚がスターリンを探し当て、スターリンが官僚たちに支配する権利を与えたというのだ。
「古参ボリシェヴィキとしての威信、強靭な性格、狭い視野、みすからの権勢の唯一の源泉としての党機関との密接な結びつきなど、すべての必要な保証を官僚にあたえた。」
それはレーニンが生きていたとしても、レーニンさえも葬り去る力をもっていたとトロツキーは捉えている。
「官僚はこれらの敵のすべてー反対派や党やレーニンーを思想や論拠によってではなく、みずからの社会的バーベルによって打ち破った。官僚の鉛の尻のほうが革命の頭より重かったのである。」
マックス・ウェーバーが支配の形態として分析した官僚制機構は、理念的には、精確、迅速、明確、文書への精通、継続性、慎重性、統一性、厳格な服従関係、摩擦の防止、物的人的費用の節約などの点で、他のあらゆる行政形態と比べて純技術的に優れているとする。共産主義イデオロギーと強固な官僚主義が結びつくとどうなるか?

ソ連はマルクス主義国家の壮大な実験だったのだろう。

第一次世界大戦の厭戦気分のなかで農民兵士が脱落したり、日露戦争で日本がロシアに勝ったりするなかで、革命の余地ができてきた。そしてロシア革命が起きた。しかし、すぐにその国はイデオロギーが自由を封殺する官僚主義国家になった。

この本では、レーニンの晩年、トロツキー、スターリンとレーニンの関係って微妙だったことがわかる。
トロツキーはソ連が世界的に孤立することを怖れて、西ヨーロッパの革命が肝だと考えたが、レーニンはソ連内で労農同盟が維持されて持ちこたえることが肝だと考えた。
党組織について、軍事的独裁を主張するトロツキーに対して、レーニンはブハーリンらが主張していた民主的要素を取り入れた。
一方で、ブルジョア革命を経験していないロシアの文化革命をレーニンは主張し、トロツキーも賛成した。
レーニンは分派を禁止したが、スターリンはそれに従わず、強大な権力を集中させた。
レーニンは『遺書』の前半でトロツキーとスターリンの間の均衡と協力を期待していた。しかし、グルジア編入問題をめぐって、スターリンの配下のオルジェネキッゼが自分に従わないグルジア人党員を殴打する事件を知り、トロツキーを自分の代理として仕事をさせた。
その後、レーニンは妻に対する失礼な電話を機にスターリンと絶縁する。

その後、レーニンは死亡した。

そして、ソ連は一国社会主義建設で行き着く先が市場のない、計画通りやれば需要は関係ない社会になっていた。

「ソ連全土で、第11次5カ年計画(1981-85年)の間にカラーテレビが火を噴いて起きた火事は1万8400件、これによる死者927人、負傷者112人、物的損害は1560万ルーブルにのぼった」。ソ連内務省の報告として『アガニョーク(灯)』の1987年25号が暴露した数字だ。

平均すると一日に約10件のテレビ火事が起き、二日にひとりが亡くなっていることになる。
この当時、日本では東京都内のテレビによる火事は、1985年が年間12件、1986年は5件だったとか。日本だったら、一件でも大事件だ。しかし、モスクワでは日常のことになっていたのだ。

乗用車「ボルガ」はモデルチェンジしたら、多くの国々から輸入禁止された。世界で求められる安全基準に全く合致していないからとか。燃費も悪いし、居住性も悪い。

ゴーリキー自動車工場が、ボルガを20年も前に、つまり自動車に対する要求が現在とは違っていたころに開発し、製造を始めたというのであれば、理解できないではない。ところが、そうではないのだ。彼らには、すでに全世界で国際的な安全や排出ガス浄化基準が導入されている今の今になって、「ボルガ」のモデルチェンジを行ったのだ。無責任もどこまで行けば気が済むというのか。

ソ連の社会主義では、開発もいい加減だし、必要な物資は不足している。
社会主義とは慢性的な品不足と商品配給制のことだと心得ているらしい。

どうしてこうなるのか?
答えはわかりやすい。市場を重視していないからだろう。

経済では市場、政治では複数政党制、人権と自由の保障、それに社会保障。それが自由を保障する。
しかし、ソ連社会主義では最後の社会保障も危うかった。
医療は無料だったが、死亡率は高かった。

ソ連のもとでの反体制知識人が話題になっていた。

パステルナークの『ドクトル・ジバコ』はフルシチョフのスターリン批判の後、出版されたらしい。ここからソ連での反体制知識人の活動は活発化したらしい。ソルジェーニツインの『イワン・デニーソビッチの一日』の出版はさらにその後になる。しかし、スターリン時代を批判した一連の小説の出版によってソルジェーニツインは作家同盟から除名されることになる。文学だけでなく物理学のサハロフや歴史学のロイ・メドベージェフら反体制知識人の行ったことが書かれている。社会主義政権の一党独裁のもとで、集会結社などの政治活動、出版などの表現の自由が奪われていた。今も中国はそうだし、ラーゲリにあたる収容所はウイグルにもある。ロシアもソ連自体に逆戻りしているように見える。

1956年のフルシチョフの秘密報告というのがある。
スターリン批判の書だ。

1959年にソ連で出版された本の邦訳版。この本は日本で1977年に発売された。
これを読むと、フルシチョフはスターリンの個人崇拝、党組織の独裁的運営を批判しているのがよくわかる。過去の事件も暴露している。
ソ連の第20回共産党大会でフルシチョフがこの報告をできたのはスターリンの腹心であった秘密警察のベリヤの死亡後、秘密警察の勢力が低下したことが背景にあるらしい。
しかし、フルシチョフは、スターリンを批判しているが、トロツキー派、ブハーリン派、ジノビエフ派も痛烈に批判している。トロツキー派はトロツキストと呼ばれている。これはスターリニズムを引きずっているように思える。
また、チトーのユーゴスラビアとの和解も視野に入っている。そういう政治的事情もあったのだろう。

これを読んで、今のロシアを考えると、独裁者のスターリンがプーチンに変わっただけのように思える。

ゴルバチョフのペレストロイカ、エリツィンの戦車上での演説、そして、ロシアが復活した。

プーチンは何を考えているのか?

プーチンは、2000年にエリツィンを引き継いで大統領になった。メドヴェージェフと4年間大統領と首相を交代したが実質的には、プーチンが国家の指導者だった。30年近くソ連を率いたスターリン。18年1か月のブレジネフの記録は超えた。2018年の選挙ではプーチンの得票率は76.7%だった。投票率は67.5%。

この本は朝日新聞の国際報道部記者が執筆したものだ。プーチンの心理は本人しかわからないのだろうが、プーチンの行動と発言が克明に記録してある。これを読んでいるとプーチンの気持ちが乗り移ってくるような感覚になるから不思議だ。

それから、ペレストロイカがあり、ソ連は崩壊した。ワルシャワ条約機構は解体したが、NATOはそのままだった。いやむしろ勢力拡大した。

地政学という考え方がある。

地政学で有名なマッキンダーはこんなことを言っているらしい。

ハートランドを制する者が世界を制す。
ハートランドって何?
ハートランドという地政学上の要となる場所が世界には二つあるというのがマッキンダーモデル。
そのひとつがユーラシア。ロシアの辺りから、中国の内陸部に入ってくるところ。
もうひとつが、サハラ砂漠の下の南アフリカ。
ハートランドは、住むのがとても難しいけれど、豊かな資源がある地域。このハートランドを押さえた国が世界覇権を握るというのがマッキンダーの仮説。
そして、沿岸地帯。沿岸地帯は、世界から大きく見ると二つだけ。中国からインドまで、あるいはカムチャッカ半島までの沿岸。モンスーン気候の影響を受ける。穀物がたくさんとれる、人口がたくさんいる地帯。そしてヨーロッパの沿岸。暖流の影響を受けて、比較的雨がよく降って、食物がよくとれる。こういうところに世界の中心があるとマッキンダーは考える。

ハートランドを支配するためには東欧を支配しなければいけない。ハートランドを制する者は世界を制する。
これがマッキンダー理論の恐ろしいところ。
ナチスドイツとソ連の双方が目指した地域。

地政学のポイントは「長い時間が経っても動かないもの」。
だから民族や資源は対象外。
地理的な要因、それも山が一番。次に海。

これらの本のなかには、ロシアのガイドブックもないし、ロシア文学もない。とても偏っていると自分でも思う。

ロシア文学では、トルストイやゴーリキーなんかも遙か昔に読んだ。今、『カラマーゾフの兄弟』の第3巻を読んでいる。

学生の頃読んだ『イワン・デビーソニッチの一日』というソルジェーニツインの小説は今でも記憶に残っている。収容所でもひとつひとつのことを大事に生きる。そういうイワンの生活に共感する。

ソルジェーニツインがスターリンのソ連を支持していたわけではない。ロシアにはあんな素晴らしい文学を生む土壌がある。

そんなことを思う。

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