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私に影響を与えた10の詩

私に影響を与えた10の詩

1.谷川俊太郎「二十億光年の孤独」

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

「二十億光年の孤独」より抜粋

 谷川俊太郎の作品に触れたのは、たぶん「鉄腕アトム」の主題歌なんだろうけど、最初のインパクトは、絵本『ケンはへっちゃら』だった。もちろん、その作者が偉大な詩人・谷川俊太郎とは知らずに、小学校の図書室で読んだ。
 イラストが和田誠ってのも驚きだけど、「ぷほいっておならがでたよ。でもこのおはなしにはかんけいないけどね」って表現が絵本として衝撃だった。
 谷川俊太郎のデビュー作である『二億光年の孤独』は三好達治の解説があったと思う。
 哲学者である父親の谷川徹三との交友関係から三好達治の存在があるんだろう。恵まれた人脈からの才能の発掘であり、デビューだったと思う。
 でも、その幸運を上回る天才的な感受性と表現力。現代詩の魅力のすべてを兼ね備えていると思う。
 この人は奇跡の人だと思う。宇宙人的な存在。


2.天野忠「りんご」

黒ん坊のウイルメイズの
 台所に
 ほんのちょっぴり 陽がさす
 りんごが一つ
 頭の腐りかかった奴なんだが
 あいにく そこに
 陽の舌がじゃれつく
 りんごが呶鳴った
 ――どいてくれ 痒くてたまらんよ
   そこんところが
 ――辛抱おしよ
   陽の舌が云った
 ――好きでしてるんじゃなし……。

「りんご」より

 天野忠さんには三度ほど会っている。
 といっても、朝日カルチャーセンターの講師と生徒という関係だが。
 「ペリの神殿」「ぱっすん」「ギララ」を天野忠さんの前で読んだ。いや、「ユーグレナ」だったかな。とても幸せな時間だった。「ぱっすん」には「この作品には詩情がある」という言葉をもらった。嬉しかった。初めて尊敬する詩人からもらったお褒めの言葉だと思った。たぶん死ぬまで忘れないと思う。その感激を。


3.寺山修司「時には母のない子のように」

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

「時には母のない子のように」より抜粋

 高校生の時、私に影響を与えたのは、小説は日本文学では五木寛之と三島由紀夫、外国文学ではJ.D.サリンジャーだった。そして詩では谷川俊太郎と寺山修司だった。
 寺山修司は詩というより、俳句と短歌のほうが大きいかもしれない。

 便所より青空見えて啄木忌

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

という俳句と短歌は忘れられないインパクトがあった。
 『自殺のすすめ』という本を夢中になって読んだ。自殺願望もあった。当時、「ホットケーキについて」という自殺願望をテーマにした詩を書いたことも覚えている。
 でも、不思議なことに寺山修司の詩をひとつも覚えていない。フレーズさえ出てこない。出てくるのはカルメン・マキが歌ったこの歌詞。とても悲しい。
 でも、寺山修司は今でも私の心を揺さぶる。
 大学生の時は、天井桟敷の『奴卑訓』を東映の施設で見たことがある。それも衝撃的だった。ミゼットプロレスに出るような役者が演じていた。
 母と子、親子のことがとてもビビッドなテーマとして寺山作品のすべてから感じる。
 それはとても現代的なテーマのような気がする。

4.井坂洋子「制服」

それでどんな少女も
幽霊のように美しい
からだがほぐれていくのをきつく
眼尻でこらえながら登校する
休み時間
級友に指摘されるまで
スカートの箱襞の裏に
一筋こびりついた精液も
知覚できない

「制服」より抜粋。

 この人の感受性には刺激を受けた。「制服」という詩を読んだのは、たぶん、就職してすぐくらいのことだったと思う。
 制服という詩に「精液」という組み合わせ。脳の中で化学反応があった。


5.アンリ・ミショー「夜動く」

 ――「氷山」よ、「氷山」よ、北大西洋の背、凝視されない海上に凍りつく貴い「仏陀」よ、出口なき「死」のきらめく「燈台」、幾世期と続く沈黙の狂おしい叫びよ。

   「氷山」よ、「氷山」よ、欲求なき「隠者」、閉じこめられた、はるか彼方の、毒虫のいない国々。島々の親族、泉の親族、わたしはなんという思いであなたを見ることか、あなたはわたしにとって なんと親しげに見えることか……

「夜動く」より抜粋

 大学生の頃は、詩はほとんど書かなかった。
 詩情を感じる環境ではなかったと思う。今から思えば。
 シュールレアリスムというのに本格的に触れたのも初めてだったが、ミショーの、というか小海永二さんの訳文のシュールさになんともいえない表現の可能性を感じた。散文なのか韻文なのかわけのわからない詩の面白さを感じた。

6.エリュアール「ぼくが君に語ったのは」

  ぼくが君に語ったのは雲のこと
  ぼくが君に語ったのは海に生えている木のこと
  波のこと 葉陰にいる鳥たちのこと
  岩がたてる音のこと
  ぬくもりのある手のこと
  きょろきょろと動き回る目玉のこと
  それは眠くなると空の色になるんだ

  ぼくが君に語ったのは飲み込まれた夜のこと
  道沿いの柵のこと
  開かれた窓からは憂鬱な額が飛び出ている

  ぼくが君に語ったのは君の思いと言葉のこと
  君のやさしさ 君のゆるぎない自信のこと

「ぼくが君に語ったのは」より抜粋

 ナチスのレジスタンスに携わった知識人の多くは「政治まみれ」のような印象があった。アラゴンの詩にシンパシーを感じなかったのもそのせいだと思う。でも、エリュアールは違った。愛と自由。ジョン・レノンのラブソングみたいな感じだった。
 エリュアールが文学の、詩のあり方を教えてくれたような気がする。

7.中原中也「サーカス」
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風(しっぷう)吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

「サーカス」より抜粋

 中原中也の作品には、「汚れちまった悲しみに」みたいなとことん叙情的な詩がある。
 甘あまの詩人だ。
 でも、この「サーカス」のように言葉の音に敏感だった詩人のように思う。
 高校の教科書にも載っていたような気もするが、中原中也というのは詩の楽しさを教えてくれた詩人だ。

8.川崎洋「にじ」

はなしあおうじゃないか
  と ゆう声
      がした

うすいみどりいろのこえだった

 すると

もうひとつの空のほうから

 はなしあおうじゃないか
 と ゆう声
      がした

ぽっかりあかいこえだった

 むらさきいろやら

たまごいろやら

  おりおり
わらいさざめいたりしながら

あさぎり に ぬれている
新墾地の ことなんぞを

  風が吹くたんび
話題をかえたりしながら

「にじ」より抜粋。

 川崎洋のこの詩はひらがなにこだわった詩だと思う。
 技巧的にはけっこう難しいことをやっているんだとは思う。余白やなんか。
 でも、とても優しい詩という印象を壊していない。難しいことを言おうとしているようにも感じさせない。政治的にはとても難しいことを表現していると思うが。
 川崎洋のこのひらがなのこだわりにはとても共感するところがある。


9.荒川洋治「水駅」

妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。

みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著けて。これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。

ときにひかりの離宮をぬき、清明なシラブルを吐いて、なおふるえる向きに。だがこの水のような移りは決して、いきるものにしみわたることなく、また即ぐにはそれを河とは呼ばぬものだと。

妻には告げて。稚(わか)い大陸を、半歳のみどりを。息はそのさきざきを知行の風にはらわれて、あおくゆれるのはむねのしろい水だ。

国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国はうまれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつづけ、わたしたちはどこまでも復員する。やわらかな肱を輓いて。

青野季吉は一九五八年五月、このモルダビアの水の駅を発った。その朝も彼は詩人ではなかった。沈むこの邦国を背に、思わず彼を紀念したものは、茜色の寒さではなく、草色の窓のふかみから少女が垂らした絵塑の、きりつけるように直ぐな気性でもなかった。ただあの強き水の眼から、ひといきにはげしく視界を隠すため、官能のようなものにあさく立ち暗んだ、清貧な二、三の日付であったと。

水を行く妻には告げて。

「水駅」より抜粋。

 荒川洋治の詩は難解だと言われているそうである。
 私はこの詩人の魅力は言葉の音の感受性だと思う。


10.宮沢賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

「雨ニモ負ケズ」より抜粋

 宮沢賢治の作品は、叙情的なものとリアリズム的なものがせめぎ合っているように思う。
 でも、どの詩や句も書かざるを得ないという切迫感を感じる。
 詩人の作品というのは、そういうものなんじゃないのかと思う。

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