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【行列ゼロ!じんたろ法律事務所】赤木ファイルで誰かに復讐できるのか

公文書を改ざんせよと命令されて、改ざんし、罪悪感に苛まれて自殺した公務員がいた。
誰もが忘れてしまう事件だったが、残された妻は真実が知りたいと裁判を起こした。
相手は国と命令した元長官。
元長官らは公文書を改ざんした罪では不起訴となっている。だが、国家公務員法では懲戒処分となった。
亡くなった赤木俊夫という公務員は几帳面な人で改ざんした内容をファイルに整理していた。
妻はそれを民事訴訟の証拠として求めた。
国側は拒んでいた。すでに国は改ざんを認めているのだから、そのファイルは証拠にはならないからと。
裁判所は国側に任意で提出を求めていた。
それが開示されるかもしれないというニュースがあった。

「赤木ファイル」の存在

自殺した公務員が残したファイルがあるらしい。

ファイルには改ざんの具体的な指示など、財務省の調査報告書に記載されていない事項が含まれている可能性も指摘されています。
国が存在を認めることで今後はどこまで内容が開示されるかが焦点となります。

しかし、このファイルの存在は明らかになったが、開示するかどうかは明確にされていない。

始まりは総理の国会答弁

2017年2月17日、安倍総理大臣が国会で「私や妻が関係していれば、総理大臣も国会議員も辞める」と発言し、関与を否定。財務省の調査によると、土地取り引きに関する決裁文書の政治関係者の記載の取り扱いを巡って、当時の財務省・理財局長 佐川宣寿氏が「最低限の記載とすべき」と反応。2月26日、財務省と近畿財務局の職員が改ざんを始めました。そのおよそ1年後の3月2日、改ざんの疑いが初めて報じられました。

その5日後の3月7日、改ざんに関わっていた近畿財務局の職員・赤木俊夫さんが自宅で自ら命を絶った。
その5日後、財務省は改ざんの事実を認めた。
5月には大阪地検特捜部に告発されていた佐川氏や財務省の幹部らが全員不起訴となった。


特捜部は決裁文書の改ざんについて、特捜部は、佐川元局長らには文書の作成権限があり、権限のない人物が改ざんしたとする「公文書変造罪」にはあたらないと判断し、文書の根幹部分とみている学園側との契約内容や金額などに大きな変更はなかったことなどから、「文書をうその内容に変えたとまではいえない」として、「虚偽公文書作成罪」にもあたらないと判断しました。

刑法は国家が罰を与えるべき罪について厳密に定義している。
そのハードルは高い。

しかし、検察審査会はこう結論づけた。

「修正する権限の有無は別にして、いったん決裁した文書を修正する場合には、その必要性と修正箇所を明らかにしたうえで再度決裁するのが社会的常識だ。
その常識を逸脱した行為がされており、一部の文書は大幅な削除によって第三者の視点から見ても原本の内容が変わってしまったと評価できるので、変造と言わざるをえない」
「国民の知る権利にこたえ、行政活動が適正に行われているかを国民に知らせる公務員としての職務の遂行を妨げる行為なので、公用文書毀棄罪が成立する」
そのうえで、改ざんや廃棄について佐川元局長の「指示はしていない」という説明は信用できないとして、佐川元局長らいずれも当時の財務省理財局の職員6人について「不起訴不当」の議決をしました。

しかし、この判断を残念がる弁護士もいた。

検察審査会に申し立てを行った弁護士らで作るグループの共同代表である阪口徳雄弁護士と菅野園子弁護士は、「起訴すべきという議決が出なかったのは残念だ。検察はこの決定を重く受け止めて、検察審査会の思いや、決定の理由に書かれている点を再捜査して補充すべきだ」とコメントしています。

「不起訴不当」の意味するものをその弁護士は知っていたからだ。

その後、大阪地検特捜部では、佐川元理財局長ら10人を再捜査していたが、結局、再び不起訴処分とした。大阪特捜は不起訴の理由を「立証・立件は困難」と説明した。

佐川氏らは懲戒処分

一方で、佐川元局長らは国家公務員法違反により懲戒処分とされた。

理財局長時代の対応に.より、国有財産行政に対する信頼を損なったことから、国家公務員法第82条第1項第1号及び第3号の規定により、懲戒処分として、3月間俸給の月額の 10分の2を減給する。

その結果、退職金停職期間の3か月分513万円を減額された。年収はこの4倍だったということ。しかし、この処分は公務員の処分としては二番目に重い処分だ。つまり、懲戒免職の次に重いということ。

退職した佐川氏を停職3カ月相当とする。退職金4999万円は、停職3カ月分513万円を差し引いて支払う。

真相究明は民事裁判の場へ

しかし、赤木氏の妻は、夫がこう書いているのが気になった。

“この手記は、真実を書き記しておく必要があると考え作成したものです。元はすべて佐川理財局長の指示です。抵抗したとはいえ、関わった者としての責任をどう取るかずっと考えてきました。”
“最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。恐い。命。大切な命。終止符。”

夫は国家に犯罪を命令されて、良心の呵責に耐えかねて死を選ばざるを得なかったのだ。その真相を明らかにしたい。そのために、国と佐川氏に1億1,000万円余りの損害賠償を求めた。裁判を通じて、夫の自殺の原因と経緯を明らかにしたいらしい。

しかし、そのハードルは高い。

佐川氏側が主張したのは「国家公務員が職務上の行為で他人に損害を与えた場合、その賠償責任は個人ではなく国が負う」というもので、裁判では確立した判例なんです。公務員個人が賠償リスクに萎縮して職務に消極的にならないよう考慮されたもので、この判例が適用されるという主張をしているんです。
これに加えて佐川氏側は「公務員が退職後に説明や謝罪の義務を負うこともない」と主張しました。これに対し原告側は「そもそも今回行われたような改ざんという不正な行為は、国家公務員がすべき職務には当たらない」と反論しているんです。

国側はどうしてファイルを出せないと言ったのか

では、どうして国側はファイルを出せないというのだろうか。
赤木さんの妻は夫の元上司との会話を録音していた。

「赤木さんは涙を流しながら抵抗していた。本省(財務省)に僕自身も抵抗はしていたんですけれども、止めきれなかった」
 「なんか変な口ごもった話になったら申し訳ないですけど、もちろん(改竄の)判断は佐川さんの判断です」
 赤木さんの元上司と雅子さんが昨年3月、面会した際の会話を録音した音声データの一端だ。雅子さん側が今年10月、大阪地裁での第2回口頭弁論で提出し、証拠採用に向けて協議されている。元上司は森友学園との交渉を担当するなど最前線にいた人物だ。

「赤木ファイル」が表に出れば、元長官が首相やその周辺の人物を守るために部下たちに違法なことを命令したことが明らかになる。赤木さんの妻はそう信じている。

改ざんと自殺との因果関係がこれで明らかになり、国の責任を問えるのか?

果たしてファイルの中で自殺との因果関係が明らかになるのだろうか。たとえ、そうなったとしても、果たして佐川元長官に責任を負わせることが出来るのか?

国家賠償法をめぐる判例がある。

剣道部の練習中に熱中症で死亡した生徒の遺族が顧問・副顧問の教員の責任を問うた裁判で、裁判所はこう判断した。

国賠法1条1項は公務員による損害賠償の責任主体を国または公共団体に限定していると解されるのであり(最高裁判所昭和53年10月20日判決等参照)、公務員個人に対する責任は問えないと解するものである。
また、行為者である公務員に故意または重過失がある場合に限って直接賠償を求めることが可能であるとすると、重過失がない場合、あるいは過失がない場合であっても、故意または重過失を理由として提訴されれば、被告となってその不存在を明らかにするための負担を余儀なくされるもので、結果として公務員個人が矢面に立たざるを得ないことになることからも、公務員個人に対する責任追及を否定することが不相当とはいえない。よって、制限的肯定説を採用すべきとする控訴人らの主張は採用できない。

つまり、そのときの公務員の顧問の教諭には責任を問えないと。

一方、こういう判例もある。
東京都警視庁の巡査が、非番の日に警察官の制服制帽を着し、同僚の巡査から盗んだ拳銃を携帯の上、川崎市で被害者を呼び止め、所持品を取り調べているときに、預り品を持ち逃げしようとしたところ、「泥棒!」と叫ばれたので、拳銃で射殺し、金品を携帯の上逃走した。

裁判所は、この行為は国家賠償法施行以前のものだと結論は避けたが、「自己の利をはかる意図をもってする場合でも、客観的に職務執行の外形をそなえる行為をしてこれによって、他人に損害を加えた場合には、国又は公共団体に損害賠償の責を負わせて、ひろく国民の権益を擁護することをもって、その立法の趣旨をする」と述べた。

つまり、外形で公務員の行為だと判断される場合は、損害賠償責任を負わせてもよいということだ。

今回のケースでは、佐川元長官側は「職務として」行った行為だと言っている。
赤木さんの妻側はこれは公務員の地位を利用した違法行為であると言っている。

さて、赤木ファイルが明らかになり、佐川元長官の証言があったときに裁判所はどう判断するのだろうか?

官僚組織の何が問われているのか?

佐川元長官の主張は、「職務として」、違法かどうかはわからないが、懲戒処分を受けるような行為をやったということだ。

50年以上前に元ナチスのアイヒマンが、ユダヤ人を輸送列車に載せて、ガス室送りにしたことを、イスラエルの法廷で「法に従って実行しただけ」と言ったことと酷似している。アイヒマンは官僚機構のなかで命令する立場だったが、法律に従っただけ。命令する人間としての判断は横に置いて、実行した。法律の善悪をあえて判断はしなかったのだ。法が間違っていると判断することは自分の生命を危険に晒すことになるからだろうが。

佐川元長官は職業人として、官僚としてやるべきことをやっただけ。人間としての判断は留保するのが公務員としての職務だと言いたいのだろう。それが日本という国家の公務員だと。

たしかに、官僚組織にとってミッションが善であるとき、行間を読み、空気を読み、構成員が動く組織は何より強いのだろう。システムとして機能する官僚組織の強みはそこにある。
しかし、ミッションが悪であるとき、最も悲惨で救いがたい悲劇が起きるのかもしれない。

それは抵抗できない末端の公務員のジレンマとして。

個人の内部崩壊を起こし、命を維持する判断を止めることになる。

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