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グラビアアイドルの自由意志に関するユルい人とキツい人との対話

これは、じんたろのfacebookでのやりとりです。
この問題について、じんたろは倫理的にキツい人とユルい人とを同時に相手にしました。

ユルい人:そう言われてみれば、確かにアイドルなんて男女を問わず、性の商品化そのものみたいなものでしょうね。ジャニー喜多川氏の行為が如実に表しているように思われます。
ただ、私自身はそういうものが無くなった、品行方正な社会になんか住みたくないですね。勿論、喜多川氏のような行為は許容されるべきではありませんけどね。

じんたろ:性の商品化というときの「性」の意味するものが何なのか? 「商品化」というときそれが商品として貨幣と交換されることが問題なのか、無償ならよいのか? そういうことが整理されず、自分の好みの問題があたかも社会の倫理のように話されています。
撮影会の一件は、公共施設で未成年が水着でモデルになること、みだらなポーズを取ることが問題だとされました。私設のプールなら問題ないらしい。これ、性の商品化の問題じゃないよね。

キツい人:有償無償問わず、未成年を性の対象として大人が眼差し、かつ実際にセクハラ、レイプなどの性加害が起きている現状は、青少年が幸福に成長し人生を謳歌できる社会とは思えない。成人男性が欲望のままに他者を食い物にすできる社会ってどうよ?とゆう論点はいかがですか?

じんたろ:論理の飛躍がありすぎるように思います。グラビアアイドルという職業の女性を撮影することが、どうして成人男性が欲望のままに他者を食い物にすることになるのでしょうか。もしグラビアアイドルの水着を撮ることが、成人男性が欲望のままに他者を食い物にすることになるのなら、犯罪類型として刑法の構成要件を定めるべきでしょう。

キツい人:犯罪でなければなにしてもよい、未成年の水着撮影会になんら問題ない、と言うのであれば、あなたの学校法人主催で女生徒の水着撮影会を開催されたらいかがか?

じんたろ:論理がむちゃくちゃですね。水着撮影会は、近代麻雀が読者のために企画したものです。主催者はそれがグラビアもある媒体の編集方針に合致していると思ったから企画した。さて、これが成人男性の欲望のままに他者を食い物にするという解釈になるのでしょうか? 学校法人が水着撮影会をする目的で思いつくのは芸術大学の写真学科くらいです。
そういう理屈であるなら、水着グラビアを載せている近代麻雀は、性の商品化として追放すべきなのでしょうかね。

ユルい人:その事件についてよく知らないで、参加して、すみませんでした。このことですか?

じんたろ:そうです。

ユルい人:しかし、お金を取って、水着のグラドルを撮影する会って、性の商品化ではないんですか??

キツい人:金を取る取らないにかかわらず、子どもを性の対象視すること自体がおぞましい。
企画の意図はともあれ、法的に問題ないなら学校法人が未成年の水着撮影会を主催してもなんら問題ないことになるので、例として挙げたまでです。社会人入学希望者を増やす、男子学生を増やすなど、学校法人として同企画を実施するのは一定の経営上の合理性はあると思いますが、あなたの学園がこの種のイベントをしない理由は何でしょう。何も問題がないのであれば生徒学生、保護者、からのクレームにも胸を張って反論されるのでしょう。
ちなみに吉岡里帆さんは、水着でのグラビア撮影には抵抗があるそうで、そおゆう不見識な卒業生に、なんら問題ないねん、と説得されるのでしょうねえ?成人だからより一層無問題なのでしょうか。芸能人なら性的に消費されることは甘受すべきなのでしょうか。

ユルい人:未成年は仰る通り、ダメだと思いますね。芸能界で成功したいからと、よく考えないで、水着やヌードの写真わ撮らせたりするのも、喜多川氏の犠牲になるのも、基本的に同じ構図だと思えます。

キツい人:年端もいかない子供が大人にグルーミングされてデジタルタトゥーをネットに残されることを本人の自由意志、自己決定権として擁護する主張は断じて認め難い。宮台真司がブルセラを少女の性の自己決定と屁理屈こいて擁護したのは忘れてないし、刺されたのは当然やろ同情の余地無いわ、と思っています。

じんたろ:宮台教授傷害事件を賛美する人がいます。さらには、安倍首相の銃撃事件を賛美する人がいます。人の殺傷よりも自分の好みや主義を上位に置く。これはどういうことなのでしょうか。オウム真理教の描いた世界とあまり変わらないようにも思えます。

じんたろ:この世の中で貨幣で交換されるものはすべて「商品」となります。マルクスが指摘したことだけど、誰が考えてもわかることです。労働が商品になるのではなく、労働力という商品を貨幣と交換しているから「商品」なのです。グラビアアイドルの場合も同じです。近代麻雀に雇われて、労働力を売っているのです。撮影者がお金を払うかどうかはあまり関係ありません。「商品化」が問題なのではなく、交換される「商品」は、今の社会で交換されるべきものなのかどうかということなのです。
ユルい人は、そういうものが交換されない「品行方正」な社会を望まない。むしろ交換されるべきだと思っている。キツい人は違う。誰かの自由は、ほかの誰かにとっては自由を抑圧しているように思える。

じんたろ:吉岡里帆のこの記事は興味深いと思います。芸能界で「誰かに染められる」ということを拒否しない自分なら、水着になることを望む人たちに応えたいと思った。

それは有名になるための方法でもある。マリリン・モンローは、そういう欲望の渦巻く世界があることは知っている。だから、自分はそういう欲望を利用して稼いだと言っています。

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/vanity-fair-marilyn-monroe-never-a-victim

セクシュアリティの問題に境界を設けるのは難しい。
イスラム世界のように女性の肌を露出することを拒否させる文化もあります。それがいいなら法律でそうすべきでしょう。
人の欲望がなければ、世界は存在できない。
共産党の女性議員やフェミニズムの人たちが、どうして自分の好みの問題を「性の商品化」だと禁止される倫理のように言うのかよくわかりません。自分が嫌いな欲望を自覚するだけでもいいのではないかとも思います。
基本的には本人が同意すればいい。その本人の自由意志や成長を歪めない社会を作ることが大事なのだと思います。

キツい人:暴力による被害者は、言論や政策活動によるものであれその当人の過去の加害は問われない、という論理でしょうか?暴力の賛美をした覚えはありませんが、因果応報はあり得ると考えています。それを暴力賛美と捉えるのは加害責任を無化しいたずらに殉教者扱いすることになるでしょう。それはおかしいんちゃう?と申し上げています。
そう、性とりわけ未成年の性を貨幣と交換する、極端な例は売春だけど、判断力が未熟な未成年の性をそういった対象にすることは許されないということだろうと思っています。

じんたろ:売春も児童ポルノも法律で禁止されています。国家として、倫理的に認めないと決めているのです。ただ、それを破った責めは殺人よりはかるい。

キツい人:一生背負う十字架を負わせた罪に対する量刑としてどうあるべきか。無罪判決が続いた不同意性交が犯罪とされたように、国民的な議論の中で今後の変化は当然ありうるでしょう。
未成年を性の対象とする行為を、死刑とするのは過重としても、個人的には求刑には去勢が相当ではないか、と考えています。

じんたろ:ウケる~(^0^)

キツい人:じょしおおせいかっ!

ユルい人:その撮影が、ヌード撮影だった場合、性的なサービスを行う場合でも、同様なんでしょうか? 数年前にサウジアラビアからの男子学生がいたんですが、皆さんもご存知のように、親の決めた婚姻しか認められず、許可なく付き合った場合には公開鞭打ちされるから、性交どころか異性とキスや手を握ったことさえなく、20前後の男性は欲求不満が溜まりまくり危ない状態になってると聞きました。それはもう大変だと。もちろん品行方正の基準が違いますが、私はそんな社会はごめん被ります。

じんたろ:日本の場合、ヌード撮影だと取り締まる法律のレベルが上がります。公然わいせつ罪(刑法174条)、軽犯罪法などにより周りの環境、相手の同意によっては罰せられます。

ユルい人:いや、法律の問題ではなく、性の商品化ではないかと聞いているのです。

じんたろ:性の商品化ではなく、セクシュアリティを重視する労働力が貨幣によって交換されているのですね。それはホステスによって、あるいは売春婦によって同意を得ている労働です。法律的にはアウトのこともありますが。

じんたろ:イスラム圏の人権に対する考え方は、欧米や日本とは違います。でも、それで成り立っている世界もあるということです。アフガニスタンの女性に教育をすべきかどうかの決着がまたついていません。
イスラムの考えでは、女性はアッラーによって創造された高貴なものです。西洋文明にまだ汚染されて織らず、恩寵のもとで男性と区別すべきものです。
だから、肌を隠し、西洋文明に染められる教育なども施さないという考えです。

ユルい人:という理屈をつけ、女性を囲い込み、従属させているだけのようにも感じますがね。羊30匹、牛10頭でなら、嫁にやってもいいって‼️笑えます。まさに商品じゃないですか!

じんたろ:それは無神論的な、西洋文明からの視点です。アッラーのもとに出来上がっている世界ではそう見ないのです。

ユルい人:わかりますよ。私は正にそういう人達と直に接しているのですから。以前、『悪魔の書』が問題になり、イスラム圏で著者に死刑判決が出た時、イスラム圏の学生は、日本で出会えたら、「先生、僕が殺します!」って嬉しそうに言ってきたので、話題にしてたフィンランド人牧師とデンマークの女性に、話題にするなって注意したことがあります。うちらの現場では、民族と宗教は論じるなという鉄則がありますから。

じんたろ:イスラム圏の人たちにとって女性の「性の商品化」という見方と、フェミニズムの人たちにとって女性の「性の商品化」という見方はある視点からは似ているのです。
それは、ひとつの神、ひとつの主義が創った世界という視点です。多様性は許されません。
それがアッラーなのか、虐げられた女性の保護主義なのかの違いくらいでしょう。

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