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「あの旗ゆれるそのもとで」製作秘話

名曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」を超える曲を

 和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」は誰に聞いても名曲だと言います。
 私は和田アキ子がレコード大賞歌唱賞を受賞したときのことを覚えています。
 高橋圭三が『あの鐘…』と言った瞬間、頭が真っ白になった和田アキ子は横にいたジュリー(沢田研二)の腕を掴み一緒にステージまで行き、歌った。歌っている最中に感動のあまり流した涙でメイクが落ち、「黒い涙」が流れた。和田の号泣ぶりと、介添人みたいについていた沢田研二の「なんでオレここにいるのか」的なうろたえた優しい姿は忘れらない。

 私がだれより尊敬するジャズ&ブルースシンガーである和田アキ子にもう一度レコード大賞歌唱賞を獲得してもらいたい。そして、もう一度黒い涙を流してほしい。
 そういう思いで「あの旗ゆれるそのもとで」を作りました。
 実はこの曲「歌の下手な僕にできること」という歌詞で作ったのですが、これを聞いた友人が「これは歌の上手い人ができることではないのか」というコンゲン的な問いを私に呈しました。そこで歌の下手だった私は自分が卑屈になっていただけだと、はたと我に返り、そうだ、この曲は歌の一番上手い和田アキ子に歌ってもらおう。和田アキ子にふさわしい歌にしようと思って練り直しました。
 和田アキ子がテレビで歌って、世の中の弱っているひとたちを応援する歌のバージョンと、平和を願う歌のバージョンをつくりました。平和バージョンは反戦ソングととらえられるといろいろややこしいので、和田アキ子のコンサートだけで歌ってもらえるように歌詞を編集しました。自分でも思いますが、すごい妄想です。

「あの鐘を鳴らすのはあなた」は何がいいのか?

 それにしても「あの鐘を鳴らすのはあなた」は曲もいいけど、歌詞がいい。とくにタイトルの「あの鐘」「あなた」がよいのだと思います。作曲は「青春時代」の森田公一。作詞は、あの阿久悠先生なのです。
 さすが阿久悠先生、歌詞が深い。

 この曲が一世を風靡した1970年代、ベトナム戦争は末期を迎えていました。
 「あの鐘を鳴らすのはあなた」のあの鐘とは何のことか?
 この曲の歌詞にはベトナム戦争への反戦メッセージが込められているといううわさが立ちました。当時、特定の思想への傾倒を敬遠するNHKのことを考え、同曲でレコ大最優秀歌唱賞を受賞した1972年の「第23回NHK紅白歌合戦」では、和田アキ子サイドはそれを配慮してこのうたを歌わなかったといいます。
 昔、阿久悠先生の息子さんが、お父さんに『あの鐘を鳴らすのはあなた』の『あなた』の意味について聞いたら、阿久さんは『未来感だね』とおっしゃったらしい。

○阿久悠、あの名曲の歌詞「あなた」に込めた意味
J-WAVEニュース2017年10月13日 16:46
https://news.j-wave.fm/news/2017/10/post-4325.html

 wikiによると曲ができたのは次のような経過らしい。

 この曲は、和田の所属事務所・ホリプロダクション(現・ホリプロ)の社長(当時)の堀威夫が、日本レコード大賞の歌唱賞を取るのにふさわしい曲を、ということで作詞家の阿久悠に作詞を依頼した。堀は「ケ・サラ」(ホセ・フェリシアーノ版が日本でヒット)のようなイメージの曲をと頼んだが、阿久は「人生」という語り口はどうかと思い、時代と孤独をテーマに作詞した。そして、みごと和田は第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。現在も多くの世代から支持されており、自他共に認める彼女の代表曲となる。
サビの歌詞に登場する「砂漠」は東京のことを指している。また、タイトルにある「あなた」にはモデルがいるわけではなく、和田が今まで出逢ってきた人達全てとの意味を込めて阿久が書いた言葉である。
https://www.wikiwand.com/ja/%E3%81%82%E3%81%AE%E9%90%98%E3%82%92%E9%B3%B4%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F

「あの鐘」とはどの鐘か?

 しかし、wikiを読んでも「あの鐘」がどの鐘かはわかりません。

 私が思うにこの曲はこのタイトルだけで名曲に仕上がっています。それも「あの鐘」という人々のイマジネーションをかき立てる象徴性によってみんなの脳の中にあるイメージを浮かばせます。
 私が「あの鐘」から連想するのは「長崎の鐘」です。
 「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。
 これは永井隆が『長崎の鐘』として随筆を書いています。

 内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いている。永井は、この時妻を亡くした。また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%81%AE%E9%90%98

 この随筆をもとに、サトウハチローが作詞し、古関裕而が作曲した歌謡曲が発売されて大ヒットし、1950年には松竹により映画化されました。
曲は藤山一郎が1949年にコロムビアレコードからシングルレコードが発売されました。
その後曲は空前のヒット曲となり、藤山は1951年放送のNHK『第1回NHK紅白歌合戦』で歌唱し、白組トリおよび大トリを務めた。紅白ではその後も1964年・第15回、1973年・第24回(特別出演)、1979年・第30回(特別出演、メドレーの2曲目で歌唱)の3回歌唱されのです。

○長崎の鐘 藤山一郎 昭和の歌

 やっぱ「あの鐘」と言えばこれでしょ。
 でも、「あの鐘を鳴らすのはあなた」は2015年からJR西日本大阪環状線の天王寺駅の発車メロディにも採用されていて、それは同駅の近くにある四天王寺が除夜の鐘で知られていることにちなんでいるとか。
 除夜の鐘もあるんだ。
 ああ、地方の消防団員にとって「あの鐘」は間違いなく、火事を知らせる半鐘でしょう。
 もしかしたら、どっかの競輪場では、車券を握りしめるおっさんにとって、最終周を告げる打鐘が「あの鐘」なのかもしれません。

「鐘」は戦争にも使われていた

 しかし、鐘が平和の象徴だなんて思ってちゃダメ。
 日本の戦国期の戦闘に鐘は使われていたのです。
 戦闘で命令伝達の方法として「あらかじめ決められた、鐘・太鼓・法螺貝などの音や、旗などによって命令を伝えた」とか。
 また、「音による伝達手段の道具としてよく使われたのは、法螺貝と鐘と太鼓であった。この三つは、城と城との連絡のときや、城外にいる家臣たちに城から連絡するときなどに使われた。また、実際の合戦の場において号令のかわりにも使われていた」。
『クロニック戦国全史』(池上裕子〔ほか〕編集 講談社 1995)

 そうなのです。鐘もまた武器のひとつだったのです。

象徴性としての「鐘」

 鐘は「平和」の象徴だと言われます。
 でも、それはこじつけに過ぎないのがわかる。しかし、そのこじつけには「力」があります。平和の象徴だと言われれば、みんながひれ伏すほどの「力」があるのです。
 たぶん「太鼓」にもその象徴性がある。いや両義性というべきか。
 かわいそうなのは「法螺貝」です。
 どうひいき目に見積もっても「平和」の象徴だと思われない運命(さだめ)にある。「ホラを吹く」とか「ホラ話」というのは、自分の都合のよいようにずいぶん盛ったことの例えで使われます。

あの「太鼓」を叩くのはあなた

 では、「あの鐘」に代わりうる象徴性をもったものは何か?
太鼓を鐘の代替にすることは可能なのでしょうか?
 「あの太鼓を叩くのはあなた」
 ではどうか?
 ん?なんだ? 風神雷神か? ってことになるかもしれません。
 みんな、「えっ、どの太鼓?」ってとまどうでしょう。
 関西人なら「関西京都今村組」の太鼓か?
 いや、ほとんどのひとが今なら「太鼓の達人」の太鼓ってことになるでしょう。

 でも、「太鼓の達人」が平和の象徴とは言えないでしょう。太鼓なんて鳩もびっくりするし。


「あの旗」を振るのはあなた? 持つのはあなた?

 では、「あの旗」はどうか?
 あの旗とくれば、「振る」「持つ」「揺らす」などが浮かびます。
 そうなると「あなた」はくどい。
 「振る」「持つ」では詩情に欠ける。
 ここは「揺らす」しかない。
 「揺らす」とすると「そのもとで」くらいが落ち着きがいいし、イメージが膨らむ。
 「そのもとで」っってどこ?
 「あの旗」と合わせていろいろ思います。
 「アノハタ」ってくると音的には「アオハタ」か「アカハタ」ですよね。
 「アオハタ」ってジャムもあるけど、国連の旗も青旗。
 「アカハタ」は間違いなく、共産党や組合関係の旗。
 まず、このあたりが勘違いしてくれます。
 でも歌詞も読みようによっては、「家族のために戦っているのは今もこれからもかわりははしない」ってところに共感する人は国旗、つまり「日の丸」だと思うかもしれない。
 いいぞ!装甲車って。
 もっと身近な所ではJリーグの旗でしょう。サンフレッチェ広島の旗も青い。いやどこの旗でもいいんだけど。

 ってことで、和田アキ子さんに歌ってもらう楽曲はこうやってできました。
 あっ、曲は大学のときに、ビアガーデンのバイトをしていて、酔っ払った帰りにバスのなかで思いついたフレーズから今回完成させたってことです。30数年を経てできた曲ってことかな。いい曲だと思うけど。

 で、歌詞はこちら↓

あの旗ゆれるそのもとで


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