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ハンガーストライキから1年 〜県民投票の全県実施のために賭けたもの〜(上)

沖縄・宜野湾市役所前でハンガーストライキをやって1年が経った。

まさかその翌年は、大学院に修士論文を出して、ひと段落しているとは思ってもみなかった。

当時を振り返って、私自身のみならず、私の行動を見守ってくださった多くの方々が、この出来事、そして県民投票のことを忘れないために少し書いてみようと思う。

昨年2019年の今頃起きていた出来事を、少しでも多くの方に知ってもらい、沖縄県民投票を経てもなお続く辺野古米軍基地建設のための埋め立てについて、少しでも考えてもらえたら嬉しい。

ハンスト前・中・後を、上・中・下の三段階にわけて、当時の様子を書き綴っていく。

県民投票を終えてから今日まで、50カ所以上で県民投票に関する講演をさせてもらったが、ハンストについても触れていた。話しながら、自分で考えても「あのとき、オレよくやったよな…」と、感傷に浸っていた。

190629徳島

ハンストは、沖縄県民投票の実施を拒否し、住民の投票権を奪おうとしていた5市長に対する強い抗議の意を示すために取った究極の手段だった。

ハンストを決断したのは、1月11日の深夜、日付をまたいで12日になるくらいの、母親との会話からだった。

当時、宜野湾市、沖縄市、うるま市、石垣市、宮古島市の5市の住民は、2月24日に予定されていた県民投票で投票ができないことになっており、私も母もその一人だった。これは、県民投票条例で市町村での県民投票実施事務が規定されているにもかかわらず、市長らが県民投票にかかる予算を執行しないことによって生じていた事態だった。

投票権が奪われ憤っていた母は、「どうにかならないの?」と毎日のように私に尋ねていた。彼女の周りの人々もそのような話をしているとも言っていた。

もちろん、私が代表を務めていた「辺野古」県民投票の会としても、石垣市議会や宜野湾市議会などで県民投票への反対決議が可決され出した後、2018年12月初旬から、それらの市の議員や議長、市長に会って、態度を変えるよう説得を試みていた。12月中旬に宮古島市長を皮切りに、市長らが正式に態度表明をしてからは沖縄県知事や副知事らもそのような取り組みを行っていた。法律の解釈を統括している総務省は、このような事態を条例に基づく自治の問題として一蹴しており、沖縄の自治が試された出来事だったのだ。

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一方、私は1月頭に沖縄県側から、実施予定となっていた2月24日までに条例改正をして、全県で投票を行う場合を想定したスケジュールを聞かされていた。そのタイムリミットは1月の3週目、つまり15日からはじまる週だった。条例改正への具体的なプロセスは、与党間の調整、与野党間での調整、市長らへの意向確認、条例改正のための臨時議会の開会という流れで、その後に、県が県民投票に使用する投票用紙を発注・印刷、各市町村の選挙管理委員会に配布することや、5市が投票所の入場券を発注・印刷し、投票資格を有する住民に送付することになっていた。これらの手続きに40日はかかるという見通しだった。

説得をしてもなかなか態度を変えない市長らに対して、それまで県民投票を進めてきた私自身も切羽詰まっていた。沖縄の有権者の約三分の一、32万にものぼる県民が投票できないとなると、県民投票自体の意義が疑われ、絶対に悔しい思いをするだろうということも想像がついていた。

このような経緯や状況の中で、母親に言ったのが「ハンストしようかな」の一言だった。

私のこの言葉に、母はあまり驚かず、止めようとはしなかった。

肝がすわっているのか、鈍感なのか、楽観的なのかよくわからないが、いま振り返ると、息子がハンストするときに止めない母親で良かったなと思う。

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これを受けて、当時県民投票で一緒に動いていた同世代のLINEグループにも、「15日からハンストしようと思う」という相談を持ちかけた。私の覚悟を汲んでか、みんなサポートすると言ってくれていた。このような同世代からの支えは、とても大きかった。

中でも目を引いたのは、そのグループに入っている一人から、「これ参考にして」と送られてきたファスティング(断食)という健康法が書かれたサイトのリンクだった。
そこには食事制限をして、徐々に断食状態に入っていくこと、断食を終えた後はだし汁を飲んで胃を慣らして、豆、おかゆと食べる物を通常状態に戻していく手順が書かれていた。ハンストを思いついたときは、毎日たらふくご飯を食べ、前日は焼肉にでも行って蓄えてからハンストに臨むもんだろうと思っていた私は、「なにこれ、きつくね」としんどさを覚えた。実際にハンストをやる前が結構しんどかった。

LINEグループ

決断した翌朝から徐々にご飯を食べる量を減らしていき、前日14日に口にしたのはムーチー(月桃の葉で包んだお餅)2つだけだった。

食べようと思えば食べられるのに、ハンストへの調整のためになるべく食べないというのは自分との闘いで、精神的にかなりきつかったのを覚えている。

お腹が空くと人間はイライラする。
13日に県民投票の会の副代表を務めていた安里さんにハンストの相談をしたときは、「他の手段があるんじゃないか」と言われたことに対し、「じゃあ何をしたらいいんですか!」と強く言い返してしまった。

その他の会のメンバーにも、「15日から市役所前でハンストをしようと思います。『若者にこんなことをさせて』と、批判の矛先がみなさんに向くかもしれないが、これは私の一存で決めたことで、了解してほしい」という旨を電話で伝えていた。「そうか…」と言葉に詰まる方々が多く、「応援にいく」とも表明してくれた。これまで条例制定の署名集めと条例制定、参加拒否をする市長らへの説得やアピール行動をともにしてきた会の方々から比較的スムーズに了解を得られたことも、ハンストに向けた一つの支えとなった。

この了解の下に、マスコミに15日の午前8時から宜野湾市役所前でハンスト実施するプレスリリースを出した。

那覇で会った“本土紙”の記者は、「そんなんで変わるとは思えない」「他紙が報じるなど大きな動きになったら自分も市役所前に取材に行く」と悲観的な意見を伝えられていた。

私は、「変わるか変わらないかなんて分かるはずがないやっし。こっちはハンストに賭けるしかしかないばーよ。絶対に変えてみせたい」と心の中で強く思っていた。

県議会で条例が制定されたにもかかわらず、一部の市長が実施を拒否していたことで沖縄全県での県民投票ができない事態になっていたことに対して、私は11日の深夜にハンストを決意し、食事制限をしていきながら、母や同世代、会のメンバーらの了解を得て、15日の朝からハンストを始めることとなる。(上)

(2枚目[宜野湾市長との面談]の写真は普久原朝日撮影)

以下、追記
安里さんより:会の副代表として反対したのは、まずは元山への心配。そして、個人と組織の関係、つまり万が一の際の責任の所在、さらにハンストという自分に対する暴力を相手に示して訴える手法に対する躊躇があった。

以上、読者が誤解を招かないよう、本人の言葉を付け加えます。

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