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ハンガーストライキから1年 〜全県実施のために賭けたもの〜(中①)

「広がりと出会い」
※「上・中・下」で書く予定でしたが、ハンスト中のエピソードが長くなってしまったので、中をさらに分けてお送りすることにします。

ハンスト初日、1月15日の朝は6時すぎに起きて"最後の朝食"となるおかゆをすすり、水と紙とボードを持って、朝7時過ぎに、家から宜野湾市役所前に向かった。

母の表情は心配そうにも見えたが、引き止めずに私を送り出してくれた。

「ハンガーストライキ 〜市長に県民投票の参加を求めます〜」と印刷した紙を、前日100 均で買い集めたボードに貼り付けて、通りを行き交う人や車がわかるようにとプラカードを作った。

1月と言えど日中は20度にもなる沖縄は、ピシッとした格好で始めようと選んだ長袖長ズボンで作業するには汗む陽気だった。

プラカードを作り終えると、出勤する市役所の職員の方々に、ハンストの告知と理解を求める紙を配った。

すでに数社のマスコミも駆けつけて撮影していたので、何だろうという感じで受け取ってくれる職員が多かったが、100枚ほど用意していた紙は、ほぼなくなっていた。

午前8時から、4社ほどの県内外のマスコミが囲む中で、今から5市長が県民投票をやるというか、ドクターストップがかかるまで、水だけを摂るハンガーストライキを行いますという宣言を行った。

ただ、そのとき診てくれるお医者さんはおらず、実質ドクターストップはかからない状態でのスタートだった。
(ある人はお医者さんにハンストをしている若者がいるから診てほしいと伝えたところ、「すぐにやめさせなさい」と言われたそうで、そりゃそうだよなと私は思った。)お医者さんは会のメンバーの伝手で、2日目から来てくれることになった。

おそらく午前10時頃から沖縄県内のテレビで私がハンストをしたというニュースが流れ始めたのだろう。

「いま近くの病院の定期検診に行ったら待合室のテレビで流れていて…」という方が何人か市役所前にいらっしゃった。

以後、テレビをみて、様子をみにきたという方々が入れ替わり立ち替わり、訪れるようになる。
市役所前では各市長に実施を求める請願署名も集めていた。

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何もあげられないからと水の差し入れが続々と届く中で、ハンストの意味を知らなかったのか、パンの差し入れを待って来たおばさんもいた。

「これ、ハンガーストライキなんですけど…」

「いいから。あげるから」

「いや、食べられないんですけど」

「なんで、食べなさい」

それは宜野湾市内にある美味しいパン屋さんのパンで、甘く香ばしい香りがまさに「飯テロ」だった。

「じゃあ、手伝っているスタッフにあげましょうね」と言って受け取って、その方は満足そうに帰っていかれた。
ハンストって知られていないんだとも思ったけど、何かしたいという思いはでーじ嬉しかった。

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それ以外にも夜までにアイマスク、カイロ、ランプ、テントなど工夫をこらした差し入れも続々と届いた。

水とプラカードだけではじめたハンストは、物置き場かと思われるほど、たくさんの物資であふれていた。

水の種類も、アルプスの天然水・いろはす・クリスタルカイザー・Volvic・Evian・FIJI・水素水など、こんなにも種類があるのかと思うほどたくさん届いた。

何が美味しいか飲み比べてみようと思ったけど、味はよくわからなかった。

中学生、高校生、大学生、子連れの方、作業着を着た方、スーツを着た方、車椅子の方、杖をついた方、いろんな方が市役所前を訪れたけど、私の親にあたる年齢の方々が一番多かったように思う。

「がんばってって言いたいけど、それを言ってしまったらまだやってってことになるし、なんて言葉をかけたらいいのか…」と涙ぐむ人。

「こんなことをさせてしまって申し訳ない」と頭を垂れる人。

私自身も悩みながらも、しかし覚悟を持ってやった行動で、多くの方々が胸を痛めている姿を見るのは正直辛かった。
でも市長たちは県民投票をやると言っていないし、やめるわけにはいけないと、葛藤を抱きながらも、訪問してくださった方々とできるだけ話しをしようと対応にあたっていた。

無論、ボランティアスタッフの支えがなければこのような対応も適わなかった。彼・彼女らは仕事・バイト終わりや、大学の授業の合間の時間に、ほぼ24時間体制で入れ替わり立ち替わり市役所前に来て、訪れた人の対応や署名集めを手伝ってくれていた。改めて、心から御礼を言いたい。

訪問者の中でも一番嬉しかったのは、高校の野球部の同級生と、中学校の先輩が来たことだった。
中高生だった頃は自分自身も、まさか“政治のことに”かかわっているなんて、ましてや県民投票なんてやるなんて思ってもいない。

そんな自分を知っている人が、いまの“変わった私”を気にかけてわざわざ仕事の合間・終わりに足を運んだのには驚いた。市役所前でそんなに長くは話せなかったけど、見ていてくれたことが分かって感慨深かった。

夜は届けてもらったテントを宜野湾市役所前に張って、寝袋を敷いて寝た。

何も食べていないからハミガキをした方がいいのかどうかわからなかったけど、一応することにした。

ハンスト(断食)のペースなんて知らないけど、炎天下の下で過ごしたこともあって、結構疲労感が溜まっていたことを覚えている。

それでも、自分の言葉で発信しようとnoteやTwitterで逐次、ハンストの現場の様子や心境を発信していた。

市長の態度だけではなく、自分の身体もこれからどうなるんだろうという不安の中で、私は眠りに落ちていった。

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ハンスト寝る



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