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ターニングポイント

「ターニングポイント」
基mottサークルの限定グループで行われたグループワークでのテーマです。
これまでの人生の中でのターニングポイントについてを語り合いました。
やはりそこには「人」との出会いがきっかとなっていることが多いようです。
誰かに影響される・誰かに言われる・誰かと過ごす
自分以外の人生観や価値観を知ることで、人は人生の舵を大きく切り、これまで見た事のない世界へと進み始めていくらしい。

他人が起点 

「変わった人」つまり「変人」というものに人生ではそうそう出会うものではない気もする。が、皆様はなかなかの変人に出会っているようです。
「何!この人、おかしいの?」という人に出会い(出会ってしまい)、驚き(衝撃)と共にターニングポイントがやってくる。

・真面目一筋だったのに、希望校にいけずに渋々行った学校で出会った、クラスでも群を抜いておかしな彼女。
・あの時、あの人に言われたあの言葉で、えーーーっ!そんな風に思っていいんだって思えた。
・どこを探してもこんな変人には一生合わないと思うくらいの変人と友達になった。

出会いとは不思議なものですね。
しかし、私は思うのです、そんな変人と友達になったり、出会ったあなたもなかなかのもんなんじゃないかと。
だってね、変だわ〜って思ったら近づかないですよね、普通。
「変=面白い」というあなたの方程式もいかがなもんかと。

でも、そこがやっぱり重要で、変人たちは、自分が閉じこもってしまっている「枠」を良い意味でぶち破ってくれることで、広い世界を知ったり、光が差し込んだり、風通しがよくなたりするのでしょうね。

行動が起点

みんなが「人が起点」という中で、それはもちろんそうだよね、と思いながらも違うことを言ってみたくなる天邪鬼な私は、ターニングポイントはいつも「行動にある」と言ってみました。
だってさ〜、誰かに出会うのも、その人と話すのも、仲良くなるのも、それを選んでるのは自分だよね。
例え、絶対ありえない状況だったとしても、どこかで何かを選択したのは自分でしかないじゃないか〜。
私が常々思うのが、「あの時、今の人生を選んだ自分よ、よくやったぞ!!でかした!!」ということ。
もし、今がうまくいってないとしたら、あの時に行動しなかったからだったり、本当にやりたい方を選ばなかったからという感じがするんですよね。
ターニングポイントって運命みたいに思いがちだけど、実は自分がギアチェンジしたり、ルートを変更したタイミングということもあるんじゃないかな。
私は、誰かに変えられたんじゃない、自分で変わることを選んだんだ!!と思うとちょっとだけ自分を誇らしく思ったりするのです。

動かない女

そんなことを言いながらですよ、実は誰よりも初動の遅さ、腰の重たさ、フットワークの悪さを兼ね備えた私は、本当に動きません。
いや、リアルに横になってポテチ食ってテレビ見てるわけではなく、脳内がそんな感じということです。
まぁ、確かにリアルごろごろもしてますが、テレビじゃなくてNetflixだもんね!!ポテチじゃなくてお煎餅ですからね!とかはどうでもいいことです。

私はよくフットワークが軽そうに見られるのですが、実はそれが本当に苦手なんです。
やりたくても、やれないなんてこともよくあるし、人嫌いの人見知りは、アウェイには行きたくないとか、言い訳だらけでちっとも行動しないんです。

でも、突然思いつきでドドドーンと突き進んだりもするので、その振り幅はかなりあります。
それこそ、やれば必ずと言っていいほどターニングポイントとなるような変化が訪れます。

だからね、動かないんですよ〜っていう人は、普段全然動かなくても、大きくドドんっと動くことで、それがターニングポイントに直結するってことは多いのではないかしらね、なんて思います。

で、ターニングポイントって?

つまるところ、ターニングポイントって何なのか。人生の岐路。分かれ道、方向転換、転機とかいいますが、そんなに大きいポイントは人生においてそうはないのは確かだ。
とはいえ、この先、あと何年あるか分からない人生だけど、それはまた訪れて来るんだろうと思います。

でもね、ターニングポイントって、なんだかとてもとても大きな出来事だと考えてしまいがちだけれど、本当にそうかな。
もちろん、大きな変化というか、変わりどきのことを言っているのだから、人生においてはなかなかの大きな出来事として思い出されるだろうと思う。

ただ、ふとした日常にもアハ体験のようなターニングポイントがゴロゴロしているのではないかな。
わたしの、このほんの数日をとっても、そんなアハってポイントがやっぱりあって。
そこを見逃さぬように、ちゃんと見つめることでそれはちょっとしたターニングポイントに生まれ変わってたりもする。

ターニングポイント「だった」わけじゃなく「とする」なんだと思う

て、どういうことかと言うと、人はターニングポイントがまるで神様が授けたように、運命や魔法のように感じてしまうのだけど、そんなわけはなくて。
誰かに出会うにしても
その言葉で目が覚めたにしても
すごいことが起こったとしても
そこから何かを感じたのは自分自身で、そこから何かが変わったとしたら、自分が変わることを選んでいて、その出来事に対して
「ここをターニングポイントとする」
と決めたのもやっぱり自分なのではないかな。

そりゃあ、それも運命といえば運命だけど、神様だってそんなにヒマじゃあない。あっちにもそっちにもトラップ仕掛けてなんていられないだろう。

その出来事を人生のターニングポイントにしたのは、それに気がついたのは自分自身。だから、いつもちゃんと自分の心の中とか、頭の中とかに聞き耳立てて、自分が何かに反応しているのに気がついてあげることって大切だなぁと思うのです。
そんな何でもない日常にターニングポイントは転がっているに違いない。
ターニングポイントは明日やってくるかもしれない。


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