父との思い出。
小学生の頃のこと。わたしの両親は働いていたので放課後は自由に遊び、母親が帰るまでは家で1人で過ごす時間が長かった。
友達と遊んだり、児童館に行ったりして17時頃帰宅すると、いつもダイニングテーブルの上に菓子パン1つと新聞広告の裏に書かれた短い手紙が置かれていた。
わたしが夕飯までにお腹をすかせることを心配して、夜勤前に父が置いて行ってくれていたのだ。
「今日はマリオで新しいステージをクリアしました。」
「おやつです。食べてください。」
置き手紙の内容はこんな感じ。
なんてことない、平凡なものだったと思う。
父と交換ノートをしていたときは、手紙ではなくノートが置かれていた(当時流行りましたよね、交換ノート)。
おやつと言えばクッキーとか、チョコとか、ポテトチップスなんかが定番だが、わたしのおやつはとにかく毎日、菓子パンだった。
上にモンブランのようなペーストが乗っていて、中に生クリームとマロンクリームが入ったマロンパンは特にお気に入りだった。
さっさと宿題を終わらせ、教育テレビを観ながら菓子パンとコーヒー牛乳をぺろりと平らげる。至福のときだ。
一人の時間を過ごすことが、寂しいことではなく贅沢なことなのだと思えた。
わたしの父は、昼過ぎから夜中まで仕事で帰ってこなかったので、父と会えるのは朝と週末だけだった。
どの家庭でもそうだと思うが、朝は慌ただしい。ゆっくり話をする時間はもちろんなく、朝が弱いわたしは出発30分前に起きてパンを口に詰め込みバタバタと出て行っていた。
毎日ほとんど会話のない父。
でも、わたしにとって父は遠い存在ではなく、すぐそばにいるように感じられていたように思う。
そしてそれは、家に帰ると菓子パンと手紙が置いてあったことと無関係ではなかったと思う。
家に帰ってテーブルの上を見ると、いつも父が出迎えてくれているような気がしていた。
そんな父が、1月にこの世を去った。
4月に癌が発覚し、8か月ほどの闘病生活の末、静かに息を引きとった。
あれほど仕事人間だった父だが、病気になってからもやっぱり仕事をしていた。亡くなる2週間前まで、立つのも座るのもやっとな状態でも仕事をしていた。
そして、とても穏やかになった。身体が痛くて辛いはずなのに。自分がどうなってしまうか怖くないはずないのに。
最後まで家族の心配をしていた父。
早起きの得意な父は、病気になってからは早朝からよく身辺整理をしていた。
亡くなって1か月ほど経った頃、棚から父が手紙などを保管していた桐の箱が出てきた。
中には、父が大切な人たちからもらった手紙と、弟の書いた作文。そして、奥の方からわたしとやり取りしていた交換ノートが3冊入っていた。
病気の父が小学生のわたしとの思い出を大切にしまっていてくれたことを思うと、今も涙が止まらない。
父は、久しぶりに実家に帰ったら、嬉しそうに「近所に美味しいケーキ屋があるんだ。買ってこようか?」と言っていた。
父のなかのわたしは、今でも甘いものばかり食べているイメージなのだろう。
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