見出し画像

まとめ:デビアスとダイヤモンド産業について

まとめシリーズ。

今回は、デビアスとダイヤモンド産業について。

まず、デビアスを知るために、「デビアスの歴史とダイヤモンド産業」についてまとめてみました。

ドイツ系ユダヤ人のオッペンハイマーは、1917年、金生産のアングロ・アメリカン社を設立し、その後、コンソリデイテッド・ダイヤモンド・マインズ社(CDM)を設立し、ダイヤモンド業界に進出しました。そして、1926年のデビアス社の役員になり、1930年にはデビアス社の会長になります。このオッペンハオマーにより、ダイヤモンド生産業者を支配する機構が創り上げられることになります。

古代、唯一のダイヤモンドの産地はインドでした。川の流域などで見られる漂砂鉱床は、ダイヤモンドを含む源岩が風化、浸食され、川の流れに運ばれて堆積したものです。ダイヤモンドの比重が重いため、川の流れの途中で川底の砂礫層の中に堆積します。ものによっては、海岸の砂礫層や沿岸の海底に堆積します。当時、ダイヤモンドのほとんどが人海戦術による採鉱にすぎませんでした。

ちなみに、ダイヤモンドの母岩であるキンバーライトやランプロアイトは地下100m~1kmでパイプ状に鉱床を形成しています。このようなパイプ鉱床の現場では、近代的な大規模な施設を建設し採掘しています。キンバーライトやランプライトに占めるダイヤモンドの含有率は濃密で巨額の投資に見合うからです。

さて、1730年代になって、ブラジルが産地として登場します。ブラジル産のダイヤモンドは、それまで細々と産出していたインドに比較して膨大な量がありました。これが契機になって、ダイヤモンド加工工場がアムステルダムやアントワープに始めて設立されます。家内工業から産業への黎明になります。これらの貿易、加工、販売の全てがユダヤ人の手によってなされていました。

しかし、ブラジル産ダイヤモンドは、1860年代には枯渇し始めます。そのとき、南アフリカで新しい大鉱脈が発見されます。1899年から1902年にかけて起きたボーア戦争は、ボーア人が支配する共和国での黒人開放と、英国系外国人居住者の地位確保が主な理由とされていますが、英国の真の目的は、南アフリカで発見されたキンバレーのダイヤモンド鉱山とトランスバールの金を経済的に支配することであったとも言われています。

アフリカ南部のダイヤモンドの埋蔵量は、膨大で、1870年代にわずか10万カラットであったものが、1913年には600万カラットになりました。しかし、このような過剰生産は、ダイヤモンドの価格を非常に不安定にしました。

セシル・ローズは、ユダヤ系の資本であるロスチャイルドの後ろ盾で、デビアス鉱山会社(De Beers Consolidated Mines)を設立し、1988年にキンバリー鉱山を合併します。その後、ウェッセルトン(Wesselton)、ヤーガースフオンテイン(Jagersfontein)などの鉱山群を買収し、19世紀末にが当時の生産地の9割を支配するようになります。

しかし、セシル・ローズが死去した1902年には、プレミア鉱山が発見され、ナミビアの巨大な漂砂鉱床が発見され、デビアス社の支配は低下していきます。

ドイツ系ユダヤ人のオッペンハイマーは、1917年、金生産のアングロ・アメリカン社を設立し、その後、コンソリデイテッド・ダイヤモンド・マインズ社(CDM)を設立し、ダイヤモンド業界に進出しました。そして、1926年のデビアス社の役員になり、1930年にはデビアス社の会長になります。このオッペンハオマーにより、ダイヤモンド生産業者を支配する機構が創り上げられることになります。

セシル・ローズ氏によって設立された、デビアスは、オッペンハイマー氏に引き継がれていきます。オッペンハイマー氏が確立したデビアス機構の仕組みとは、一体どのようなものであったのか述べることにしましょう。

1.デビアスの機構の主要三部門

デビアスは、基本的に次の三つの部門で成り立っています。1)ダイヤモンド・プロジューサーズ・アソシエーション(Diamond Producers Assosiation)DPAは、生産者連合を形成し、生産調整を行いました。

2)ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー(Diamond Trading Company)DTCは、その生産物を一括して買い上げ、分類作業を行います。

3)セントラル・セリング・オーガニゼーション(Central Selling Organization)CSOは、分類されたダイヤモンドを一手に販売します。

このシステムにより、生産調整を行い、その生産実績に応じた価格を決定し、販売で得た利益をプールすることにより、生産調整に不可欠な資金を得るという仕組みを確立しました。


ダイヤモンド原石は、CSOが行う「サイト」によって販売されます。このサイトに参加できる資格をもつ業者を「サイトホルダー」と言います。サイトホルダーは事前にCSOに自社の要求をダイヤモンドの種類別に提出しますが、それはあくまで買い手側の要望であって、その要求が満たされると決まったわけではありません。

各サイトホルダーは、CSOからダイヤモンド原石の入ったパーセル(袋)を受け取り、その中身を確認した後、買うか、買わないかを判断します。そのパーセルの中のダイヤモンドを選別し、自分の気に入ったものだけを買うことは許されません。勿論、気に入らなければ、買うことを拒否することは出来ますが、次のサイトには呼ばれないことがあり得ますので、殆ど買うことになってしまいます。業者にとってデビアスから原石の供給がストップすることはまさに会社の死活問題になります。

このように、デビアス社は、鉱山からの原石を独占し、サイトという巧妙な販売スタイルを確立することにより、ダイヤモンドの流通と価格を自在にコントロールすることに成功するわけです。

価格をコントロールできる体制を確立した後、デビアスは、あの世界的に有名なキャンペーン「ダイヤモンドは永遠の輝き」を展開、ダイヤモンドエンゲージ(婚約)リングの市場を作り上げていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?