執筆者紹介①(渡邊佑)

合同会社Coaching4Uの渡邊です。

なかなかNOTEを更新出来て居らず誠に申し訳ありません。
長い目で・・・とも言っていられないので、
どこかで一気にアップロードできればと考えております。
もうしばしお待ちください。

本日は、本NOTEの執筆者(共同研究者)の自己紹介をさせて頂ければと思います。

このNOTEの主題「心本主義経営」というコンセプトについては、
現在、

合同会社Coaching4U 代表 渡邊 佑

および

ブランドデザイン研究所主宰
株式会社SKYPHLOSOPHY会長の松下 一功 氏

の2名でその体系化および精緻化を行なっています。

後者の松下一功氏の自己紹介は、
この記事に続けてご自身で行っていただきますので、
私、渡邊佑について【過去・現在・未来】の3つの時間軸で自己紹介をさせて頂きます。
あまりかっこいい自己紹介では無いですがご容赦ください。

プロフィール写真

【過去(〜学生時代)】
1986年4月26日、千葉県市川市生まれ。
3人兄弟の末っ子です(8歳上の姉、6歳上の兄)。

<小学生>
とある理由あり、家庭が「教育熱心な家庭」だった為、
姉・兄共に中学受験をしており、私も「当然そういうものだ」との思いの下、
小学3年生の時から中学受験の勉強にチャレンジ。
当時自動車の無かった我が家では、父が自転車の後ろに乗せて塾の送り迎えをしてくれていました。
そして、塾の成績が芳しく無い時などは、往復の自転車で、父は必ず、
「お前はやれば出来るんだ」と励まし続けてくれていました。
今考えれば、僕自身の「自己肯定感」の源泉はここにあったのでは無いかと確信しています。

<中学生>
野球に憧れて、早稲田実業に入学。
奇跡的に一度エースの座を獲得するも(小学生では素人)、怪我や元々の素質もあったのか、
後半は芳しく無い選手生活を送る。
そんな時、野球部の顧問の先生から、「家で使わないギターがある」ということで、
「YAMAHA L 15」(名器)を譲り受け、音楽を始める。
丁度、「Do As Infinity」というバンドに出会いはまっていたこともあり、
DoAsの曲を弾きまくる。

<高校生>
高校では、野球は続けず、音楽活動に専念。
「小室哲哉の出身校だから、学校で音楽活動できるだろう」くらいの軽い気持ちでいたら、「軽音楽活動」をしている部活がないことが発覚。
「軽音楽同好会」設立に向けて動きだし、音楽室の先生に交渉に行ったところ、
「軽音楽というのは”軽い音楽”でしょう。信用のおけない生徒に音楽室は貸し出せない」的なことを言われる。
どうやら、私は「逆境に燃えるタイプ」らしく、「音楽室に毎日通い続けて、説得してやる!」という謎の決意をし、
毎日音楽室に通い、先生に部室を貸してくれるお願いをし続ける。
結果、熱意が通じたのか2年目には同好会開設。今でも残る同好会となっているようです。

ご存知の方もいると思いますが、”音楽活動”って結構お金がかかります。
スタジオ代、機材費、ライブ費等々・・・お小遣いの範囲で足りるはずもありません。

そこで高校一年生から始めたのが”ミスタードーナツ”でのアルバイトでした。
部活上がりだったこともあり、「渡邊君は元気があっていいねぇ!」と褒めて頂いてました。
※ちなみに今の奥様は、この時出会った4歳年上の先輩です。

<大学生>
高校2年生から続けていたバンドが大学二年生で、所謂”音楽性・方向性の不一致”というやつで解散。
エネルギーのやり場が無くなった私は、学業もほどほどに(ちなみに心理学を専攻)ひたすらバイトに専念。

丁度そのタイミング前後で、当時のミスドの店長に学生側の”ショップリーダー”を任せられました。

その時の店主の言葉が今の僕の人生を変えたと行っても過言ではないです。
それは、
「リーダーは”作業”ではなく”仕事”をしろ」
ということです。

曰く、
作業とは、「”猿でも出来る”」、つまり”受動的”に物事をやること、
仕事とは、「自分がやりたいことを、実現すること」、つまり”能動的”に事を成すこと、であると当時の店主は言っていました。

「仕事ってただ、言われた事をやってお金をもらう事じゃないんだ・・・」
と、何かこう雷に打たれたような気持ちになった私は、様々な改善活動・改革活動を試行錯誤し始めました。

中にはうまくいかなかった事、人間的未成熟が故の失敗なども多数ありましたが、
その中のいくつかは上手くいき、
「仕事への気持ち・態度を変えるだけで、こんなにも仕事が楽しく、かつ成果が出るものか!!」
と驚いたのを今でも鮮明に覚えています。

学生時代のアルバイトで、お店の改善・改革活動をすすめていた私は、
気づけばお店の「損益計算書」等を見ながら、店主とお店の改善について語るようなレベルになっていました。
そして「なんか、”経営”って面白いな」と思っていました。

私が就職活動をしていたのが、2007・8年。
新聞では某大手メーカーなどが諸外国に企業に国際競争で負けている様子が伝えられるようになっていました。

その時に、何を思ったのか「うーん、なんか自分がいる国が元気じゃないのは嫌だな。人生一回しかないから、”日本を元気にする”そんな生き方をしたいな」
なんていう志を持つに至りました(当時、たまたま吉田松陰の本を読み始めたりした影響もあったのかもしれません)
※国粋主義者とか右とかそういう思想ではなく、シンプルに上記の発想に至りました。

「経営って面白い」
「日本を元気にしたい」

この二つの思いが、必然的に導き出した職業が、現在も一部生業にしている「経営コンサルタント」という仕事だったのです。

「日本を元気にしたい」→「日本を元気にするためにその大半を占める中小企業を元気にしたい」→「中小企業を元気にする経営コンサルティング会社に入りたい」

そんなシンプルなロジックで、結果的に導かれた会社が、前職で在籍していた、
京セラグループ KCCSマネジメントコンサルティング(株)でした。

【現在(社会人〜今日)】
こうして、京セラグループのコンサルティング会社に入社することになった私でしたが、
この会社で何をしていたかというと、
京セラの経営手法である「アメーバ経営」という経営手法を他の会社に導入し、組織を活性化、優良企業へと導くという仕事をしていました。

「アメーバ経営」については、また別途のタイミングで詳しくご紹介できればと考えておりますが、
JALが破綻した際に、京セラ名誉会長である稲盛和夫氏が導入し、驚くほどの短期間でV字回復に導いたことでもよく知られている手法で、
KDDI等でも導入されています。一言で言えば「全員参加で経営をする」事を促す経営の仕組みです。

「経営的観点から日本を元気にしたい」と考えていた私にはこの上なくピッタリ感のある経営手法で、また同時に「フィロソフィ」と言われる稲盛さんの経験値から磨き上げられた経営哲学を日々学ぶことができる、
そんな学びと刺激の毎日でした。

お陰様で、社内での出世(?あまり興味はないのですが)はスピーディに実現でき、当時では社内最年少でコンサルティングのプロジェクトのリーダーを任せていただいたりもしており非常に充実していました。

しかしながら、あくまで「経営的観点から日本を元気にしたい」というのが当時の私の志
その為の手段は、「アメーバ経営」以外にも柔軟に取り入れていく、というのスタンスでした。
在籍中、早稲田のビジネススクールに通いMBAを取得したりもしました。

そんな中、これまた運命的な出会いを遂げたのが現在中心に据えている「認知科学をベースとしたコーチング」でした。
私のコーチングの師匠の一人、ルー・タイスの代表作「アファメーション」を読んだ時には、再び雷が落ちたような衝撃を感じました。

「稲盛さんが語っている内容が、言っている事は一緒だけど科学的、かつシンプルに語られている・・・」

当時から、そして今も稲盛さんの経営哲学を明文化した「京セラフィロソフィ」には共感しかありませんが、
「伝える」という観点から考えるとどうしても受け手によっては「宗教っぽい」と捉えられ、
せっかくの素晴らしい内容を受け取ってもらえない、という場面が度々ありました。

そこで、まずコーチングの基礎的な理論を通じてマインド(脳と心)の仕組みを知って頂いてから、
フィロソフィを伝える、という順番に変えたところ、自身のフィロソフィの理解がより進んだこともありますが、
確実に相手に伝わる伝わり方が変わり、自律・自導的にみんなが元気になっていく。そんな場面が増えてきました。

そしていつしか、
「このルー・タイスのコーチングの考え方と、稲盛さんの考え方を融合・統合させて経営の在り方・原理原則を進化させたい」
という、聞く人が聞けば大変”おこがましい”とも捉えられてしまいそうな大胆な発想を抱くようになりました。

しかしながら、「京セラ」というフィールドに身を置く限りは、
社内からも「京セラの型」を求められますし、そして何よりお客様も「京セラ・稲盛さんのやり方を学びたい」という事を一番求めておられます。

そこで、自然な思考の流れの中で、
「今自分が一番やりたいこと、一番世の中の為になれることは何か?」と自身に問いかけて出てきた答えが、”独立して会社を創る”ということでした。

そんな経緯があり、2016年4月に独立、「合同会社Coaching4U」を創業し現在に至ります。

【未来】
当社のコーポレートスローガンは、”マインドひとつで、世界を変える”。

そして経営理念(≒コーポレートゴール)は、
”世界中の人と組織のエフィカシーとエスティームを高め、自己実現の笑顔溢れる世界を創造する”です。

このスローガンや理念をベースに、現在の組織開発、人財開発の事業に加えて様々な事業を展開して行きます。

対象が”世界中の人と組織”なので、際限はありませんが、
まずは目前の日本の企業、特に中小企業を元気にしたいと考えています。

その前提として、
”人と組織のポテンシャルを引き出し幸福を実現する”為の”原理原則(プリンシプル)”を創り上げ、磨き続けて行きたいと考えています。

私が、まだまだ若輩者でありながら、
”心本主義経営”を創り上げようとする最大の動機はここにあります。

”真の優良企業の創出と、そこに集う全ての人の幸せを創造する”
これは、私が独立前に所属していた京セラのコンサル会社の理念ですが、
”心本主義経営”の創造を通じて、まさにやりたい事、目指したいことはこの理念の通りです。

少々長くなりましたが、
多少時間はかかると思いますが、徐々にこの”心本主義経営”の全体像を披露していければと考えておりますので、
何卒よろしくお願いいたします。

文責:渡邊 佑

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