『熱源』ゆかりの対雁に行ってみた
小説『熱源』主人公のひとりヤヨマネクフたちの描写は、石狩川沿いの対雁から始まる。樺太から移住させられたアイヌ集落があり、和人からの差別がおそらく日常的にあったのであろう。
対雁は現在の江別市にある。この春の異動で隣町に来た。最近になって出歩きやすくなってきたので、ほかの観光地には目もくれずここに訪れてみた。
向かったのは「史跡 対雁番屋・駅逓跡」。江別駅から車で10分くらい、工場エリアの端に公園として維持管理されている。
樺太アイヌの移住、悲惨なコレラ禍は『熱源』のなかでもそのまま語られている。キサラスイを看取るヤヨマネクフを思い出して胸が熱くなる。
公園は「榎本公園」と名付けられていた。榎本武揚がこの一帯の農地経営を指示したからというのが理由らしい。
公園の中心には榎本武揚。台座が五稜郭を連想、そこまでやるか。
住宅街から離れているからか、日曜にもかかわらず人気はなかった。
開基100年碑
これらの碑は昭和45〜46年に作られたようである。冒頭の「史跡」説明板は平成2年の記載。
公園内には木々が繁っている。
この木々たちはヤヨマネクフたちの頃からあったのだろうか。
文字は歴史を全て語るものではない。文字の隙間から感じられるものに敏感でいたいと思った。
公園の奥の木にカラスの巣があるようで、近づいたら威嚇された。カラスも榎本武揚の威光を借りるのか。
これから行かれる方、ご注意ください。
その後、石狩川の河川敷へ。
広い河川敷にはサッカー場などが整備されている。その奥の川が見たくて、安全そうなところを探して河岸へ近づいてみる。
『熱源』の彼らはここで生活の糧を得ていたのだろうと思いを馳せる。今回は初夏のさわやかな好天であったが、この辺りは高い山がなく風が強い。冬には雪が吹き付け厳しさが増すだろう。
なお、河岸に近づくのはお勧めしない。レジャー向きの川ではない。そうでなくても泳げないので恐怖。
漁はどうやって行っていたのだろう。近く、開拓記念館に行ってみよう。
『熱源』読むべし。