おそらく伝えきれない『スローシャッター』の感想など
いよいよ明日(1月15日)、札幌の書店にて、田所敦嗣さん著『スローシャッター』出版記念イベントが開催となる。田所さんはもちろん、一緒に登壇される田中泰延さんも上田豪さんも、ツイッター上で毎日一方的にお見かけしている。一方的に親しみを感じてはいるが、直接お目にかかるのはほぼ初めてで(田中さんは2019年に帯広で一度だけお見かけ)である。
たぶん緊張してご本人の前では何も言えなくなってしまうので、予め『スローシャッター』の感想を用意しておこう。
○デジタルに置き換えられない仕事
印象的な記述がふたつある。そのうちのひとつがこちら。
何気ない会話のようだが、この言葉に反して、おそらく『スローシャッター』で描かれるのは「デジタル技術では置き換えられない仕事」ばかりなように思えてならない。
冒頭に、田所さんの基本的な姿勢が上司の姿を通じて示唆されている。
生きものを相手にしていること、臨機応変に工夫を重ねること、人間同士が関わり合ってできあがるもの、マニュアルに書かれない微妙だけど確かにある感覚。そんな想いやプライドが、全編を通じて感じられる。知らず自分の経験を重ね、琴線に触れてくるモノがあった。泣いてなんかいない。
○言葉の向こうにある会話
もうひとつ、象徴的に感じた一文がこちら。
本書からビンビンに感じるこの姿が大きな魅力である。観光目的では他人とそこまで一生懸命に理解し合う必然性はない。生活のかかった仕事の相手だからこそ、互いに努力する関係性が生まれる。そして、言葉の向こうにある真意を誠実に理解しあおうとする姿が、なにより田所さんの人柄なのだろうと想像している。
実際に、言葉だけでは十分な意思疎通が難しい場面ばかりだ。
我々は同じ言語で不自由なく会話している場合でも、その実、気持ちが全く通じていないというようなことを、いつも経験している。
一方『スローシャッター』では、言葉だけでは通じ合えない相手との、言葉以上に心が通い合ったように感じられる数々の瞬間が描かれる。
これらは、言葉に不自由さがあるからこそ生まれるものかもしれず、読んでいる私の心に響いてくる。
表面的な言葉が飛び交う現代社会で、えーと、難しいことを書こうとするとうまくいかない。とにかく、誠実な異者との邂逅なのである。
言葉が自由に通じないことは「孤独」を生む。その「孤独」の先に生まれる言葉を越えた関係性は、田中泰延さんが『会って、話すこと。』で記した「風景」のひとつなのではないだろうか。
『会って、話すこと。』が理論編であるとするならば、『スローシャッター』は素晴らしい実践編なのだ。ああ、なんとかそれっぽい感想になったではないか。
田所さんが感服する田中さんの「人柄」の一端を、イベントでは感じてみたい。
それにしても、楽しみが大きすぎるほど、いざ時が近づくと緊張して回避したい気持ちが出てくるのはなぜなのだろう。行けたら行く、くらいで構えている方が楽で良い。
行けたら行きます。