順番の違和感と悪
最近入社したり、なんだりでバタバタしていて久々の執筆になった。
少し前のハイライトに友人がマルチに加入したということがあった、聞いた当初はモヤモヤ心配したのだが、今や軌道にも載っているらしく、良かったと胸を撫で下ろしている。
なぜ日本人はマルチや芋づるのビジネスが嫌いなのだろう。
私自身、友人の加入を聞いたときはもやっとして「あなたの信頼が広告費なのよ。」とだけ告げた。
でも違法では無いし、某スキンケア商品のところはニューヨーク証券にも上場している。
信頼する女性にそういうビジネスってどう思う?と聞いたときは「なぜあんなに根っこのないビジネスをするのか私にはわからない」と返された。
でも、コロナになって生活に苦しむ人を見ると、正直稼げるなら、嘘をつかない商売なら、やっていいじゃ無いかと私は思う。
それでも私を含め日本人は芋づるに抵抗がある。
なぜか。
これが気になりすぎて、マルチについて調べたり割と時間を割いてしまった。
一個の仮説として順番の違和感では無いかと考えた。
これまで日本人は昔のご近所さんの例でいうと、
「近所さんと仲良くなる>取れすぎた野菜をおすそ分け>そのひとのお店から何か買う」
のように「仲良くなる>与えたくなる>お返ししたくなる」の順番であったにもかかわらず、芋づるの場合は
「買ってほしい>仲良くなる>その人にも稼げるノウハウを与える」
の順番である。
他にも、今はそんなことないかもしれないけど昔の人は体の相性を見てから付き合うなんて、ふしだらだと考えた人も多かったと思う。
これも「仲良くなる>付き合う>交わる」から
「交わる>仲良くなる>付き合う」への順番の変更への抵抗なきがする。
お金と性は似ていると思う。どちらも強く人を惹きつけるテーマで、そのものには綺麗も汚いもないのに、受け取る人の解釈によってそれは、みっともないとか、美しいとか、大成功とか言われる。
他にも、SNS向けに、楽しそうな写真を撮るために楽しむ。これもちょっとおかしいなって感覚生まれるんじゃないだろうか。
ほしい。
を最初に持ち出すことに抵抗があるのだろうか。
じゃあほしいが先に来るのは悪なんだろうか。
稼ぎたい、交わりたい、認められたい、
結びに、「中立」を恋しく思う老年のような意見をそっと大事に思いながら、この世の波にうまく乗れることを祈る。
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