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【酒井隆史さんインタビュー後編】新型コロナ災禍/新型コロナ危機と気候変動危機/同じ資本主義の矛盾と限界示す

 今回の新型コロナの世界的危機は、気候変動と同じく資本主義の矛盾の表れです。危機を能動的に乗り越えるため、第三世界でも欧米でも、休業補償などのコロナ対策とともに資本主義体制の変革を求める大胆な提言や実践が現れています。


 リーマンショック後の世界は、過剰な観光業と再開発で資本主義を延命させました。しかし、コロナ不況が直撃して真っ先に凋落したのは、それらの産業です。また軍事費も世界中で上がる一方でしたが、コロナ渦の中で戦争をしている場合ではないし、軍隊は気候変動やパンデミックの抑止や治療には何の役にも立ちません。今、不要不急な産業や組織も明確になったのです。私たちの世界観を変える時です。


 世界の人々の日常を変えた「緊急事態宣言」の状況をみていると、奇妙なねじれに気がつきます。それが典型的にあらわれているのが、ブラジルのネオリベラルの極北ともいえる大統領ボルソナロです。コロナウイルスの感染状況のなか、大都市の州知事たちは自宅隔離政策を発令し、商店の閉鎖、交通の閉鎖、宗教イベントへの参加の禁止などを決めました。それに対し、ボルソナロは不服従を呼びかけます。地方官僚や地方政治家による「緊急事態の政治」に対し、毛沢東ばりに不服従と抵抗を呼びかけたのです。


 ふつう、緊急事態の政治と強権の連携をイメージしますが、ここでは逆転しているのです。


 スローガンは「ブラジルは止まらない」ですが、大阪の人間としては、維新の「成長を止めるな」を想起します。大阪のみならず日本の為政者の本音を、ボルソナロがいってくれているともいえるでしょう。日本が今回の対策に消極的である理由は、「経済を止めるな」という論理にあるのです。


 このような極右ネオリベラリズムの論理をとっていたのは、ブラジルと日本だけではなく、ほかにもイギリスとアメリカがあります。しかし、イギリスは当初の消極的な対策を撤回します。皮肉なことにボリス・ジョンソン首相はみずから感染し、状況の深刻さにトランプも方針を転換せざるをえませんでした。


 日本はこの「経済を止めるな」の論理と、感染の現実や世界の動向との狭間で、蛇行しています。同じネオリベラルであっても、非常事態宣言を発して以降も、日本は責任の所在があいまい、検査体制も保障も不徹底、日常と緊急事態の境界を曖昧にしたまま、状況を悪化させているのです。


感染リスク階級的問題に


 「この危機はわれわれの危機ではない」というオルタグローバリゼーションのスローガンがあります。これは、金融危機を社会の危機と全体化して、破綻したはずの銀行などに膨大な公金がつぎこまれる事態への批判です。危機が一般化されるとき、そして主語に「人類」がくるときは、警戒すべきなのです。


 しかし、今回、実際にこの危機は、わたしたちにとって現実のものです。たとえばニューヨークでの感染率が富裕地区と貧困地区で鮮やかな対照をみせたように、たとえ一国の首相が感染しようが、気候変動と同様にパンデミックの問題も階級的問題であり、それは容易に人類の問題へと普遍化できないということです。


 ボルソナロのような反応が現れるのも、その非対称性をあらわしています。つまり、富裕層ではない側にこそ真の危機が現れるということです。前回も述べましたが、この危機の条件を作っているのが現在の経済体制です。削減された医療体制からも明らかです。したがって、経済・利潤衝動を停止させるしかありません。すると富裕層は犠牲になるため、利潤衝動を自発的に手放すことはありません。彼らの利潤衝動をやめさせるのは、民衆の力しかありません。今の日本の曖昧な非常事態状況は、民衆側の地力の弱さを反映しています。


非常事態宣言下必要なものが明確に



 非常事態宣言下で、医療、福祉、物流など行政が休業を要請しない職種があげられています。それは、いわば世界の基本的維持に必要な仕事です。
 それは、低賃金、不安定、劣悪な条件のリストでもあります。この事態は、この世界をだれが支え、だれが維持し、だれなしではありえないかを浮き彫りにしました。投機家はもちろん、政治家ですらも必要なのか怪しい。彼らはときに邪魔をしています。このような世界の基盤にかかわる人々は、いわば危機の前線に立ち、危険にさらされながら、この世界を維持しています。そして、こうした人々が自己隔離した富裕層やエリートに奉仕させられる、といった不気味な状況も浮上してきています。


 (前号8面に掲載された)インドの「人民国際会議」の声明など、第三世界からの社会主義の要求は、この危機を資本主義ではなく社会主義へと転化しようとする努力です。「災害を資本主義の強化に利用されるのではなく、災害から社会主義への道を作ろう」というわけです。


 マクロ・ミクロなレベルで、世界中で、この危機から資本主義システムの維持不可能性をあぶりだし、可能性の地平の拡大へと転化しようとする努力がみられます。わたしたちの医療は、セキュリティはどうあるべきか。だれかのために犠牲にさせられるのではなく、民衆による、民衆のための真のケアはいかにしたら可能なのか。今回の出来事は、世界史的な意味でその岐路に私たちが立っていることを明らかにしているのです。

(おわり)

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