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大阪市廃止を否決 多様な闘いの総和で勝利 維新を増長させ続けた人々の「誤解」とは ATTAC関西グループ 喜多幡佳秀

自治体は経済成長の司令塔ではない

11月1日の住民投票で反対が多数になったことによって、大阪都構想はひとまず幕引きとなった。 安堵と、歓喜と、互いの労をねぎらう乾杯と、少しの休息が終わったら、この10年間の維新との闘いを振り返ろう。何がここまで維新をのさばらせる要因だったのか、闘いがどこまで来ているのか、今回の住民投票で何が変わるのか、次にどこへ進むべきなのか。活発な議論を交わしていこう。

 漫才師の西川のりお氏は、都構想を支持する理由として、次のように語っている(『毎日』10月23日付)。

 「漫才ブームの1980年代、…東京のテレビ局には『大阪の芸人にはかなわない』という空気があった。商売の世界でも、大阪には松下電器産業(現パナソニック)のような元気な会社がたくさんあった。しかし今は、在阪テレビ局ですら東京に迎合し、…企業は東京に流出し、大阪の電気街・日本橋やおもちゃ屋が集まる松屋町筋商店街は、関東資本の家電量販店に客を奪われた。都構想が正解とは言い切れないが、『何かしなければ』という気持ちからおおむね賛成だ。反対多数になれば、現状のまま…」。


 街頭宣伝でつっかかってくる都構想支持派の人でも、この種の言い方をする人が多かったという印象だ。大阪は府と市がいがみ合っているうちに東京に引き離され、横浜や名古屋にも追い抜かれている、という誤解だ。その誤解の上に、維新府政の下で「大阪が成長してきた」という誤解が重ねられる。そして「大阪の成長を止めるな」が維新の殺し文句となった。

 これは、自治体の役割や住民自治のあり方についての完全な誤解である。あたかも自治体が経済成長の司令塔であるかのような言説が横行し、企業経営の論理で「効率化」が究極まで貫徹されるようになった。そこでは、トップダウンの意思決定と反対意見の徹底的な排除が常態化した。
 残念ながら自治体の現場からそれに対する抵抗らしい抵抗は見られなかったし、議会はますます無力化していった。

破壊と排除に抗う 真の住民自治を

都構想が法定協で可決され、市議会・府議会で採択された9月当初の時点では、住民投票での否決は相当に困難だと思われた。しかし、9~10月のさまざまなグループや個人の闘いの総和で、奇跡的な勝利が実現した。
 奇跡を起こしたのは、もちろん主体的要因が大きい。それについては各グループの総括の中で詳しく語られるだろう。本稿では、客観的要因として次のことだけ指摘する。

 ①コロナ危機によって、インバウンド頼りの成長戦略の基盤が失われたこと、②維新の独裁的なやり方への反発あるいは危惧が広がっていること、③中央政治と地方政治の捻れ(公明・自民支持層でも反対が多数)。
 報道されている投票結果の分析を見る限り、前回との比較で注目されるのは20代の若い人たちで反対が多数になったことと、いわゆる無党派層で反対が6割を超えたことだろう。

 30代・40代のいわゆる「ロストジェネレーション」の間では、前回同様、賛成が反対をかなり上回っている。残念ながら、この世代に「大阪市を守れ」というメッセージは、彼ら・彼女らが今直面している問題に寄り添い、希望を感じさせることができなかったのだろう。

 主要5紙の論評は共通して、①大都市制度のあり方について、維新の問題提起と実績は評価できる、②しかし、維新のやり方に問題があった、③今後は、大都市制度のあり方について複数の選択肢を出して検討を進めるべき、と指摘している。いずれも自治体が経済成長の推進力となるべきという誤った前提に立って、財源と権力をどこに集中するべきかという議論だ。

 私たちが目指すべきなのはその真逆、開発主義とそれに伴う破壊と排除に抗して、住民の自治を取り戻すことである。

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