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ジョン・ベル氏の話

先週の金曜日にプラムヴィレッジ・マグノリア僧院のオンラインプラクティスに参加していたら、ジョン・ベル氏という在家のダルマティーチャー(長年プラクティスをして法灯を授かった方)のお話があって、素晴らしかったので皆さんにもシェアしたい。(英語ですが日本時間で金曜朝6時からのマグノリアのウィークリープラクティスに参加したい方はこちらから https://plumvillage.org/live-events/online-practice-with-magnolia-grove-monastery/)


彼が自分の友人たちと1つのアパートで上の階と下の階で住んでいた時にある晩、上の階から物音と「撃たないで!」という叫び声が聞こえた。ジョンは下着姿のままで裸足で上の階にかけ上がって扉を開けると、そこには上の階の住人の夫が妻に向かって銃口を向けていた。

ジョンはとっさに二人の間に入った。上半身裸で自分のお腹に向けて銃が向けられている状態だった。(ジョンはその無防備さも相手の警戒心を解くのに一役買ったのではないかと言っていた。)ジョンはその時ただ自分の呼吸と一緒にいた。

そしてその夫に向かって「君が動揺しているのは分かるよ。でも、本当はそんなことをしたくないんだろ?彼女を傷つけたいなんて本当は思っていないんだろ?」と言った。すると、彼は銃を降ろした。そして、ジョンの肩で涙を流した、ということだった。

それが可能になったのは、自分がプラクティスをしてきて、自分の中に静けさを養うことができたからという話をしてくれた。自分自身が坐る瞑想などを続けてきて、自分自身を癒すことができたから、とっさの条件反射で相手を思いやる言葉をかけられた。それが危機的な状況を助けてくれたという話をしてくれた。坐る瞑想なんてなんの役に立つのかと思うかもしれない。でも、自分の中の静けさや穏やかさを育むことができたからこそ、とっさの時に助けるなると感じたそうだ。

そしてその時、銃を手にしていた彼の痛みは自分の痛みであり、彼の怒りも暴力も、自分のものだと心から思っていた、という話もしてくれた。感情を安全に出せる場所があまり与えられず自分の感情と向き合うことができてこなかったのは自分も同じだった、と。彼に思いやりを込めた言葉をかけることができたのは、考えてやろうと思ってやったわけではなく長年のプラクティスのお陰だと思う、と言っていた。

さらにジョンは思いやりを育むために心に留めていることが4つあるという話をしてくれた。

1つは、誰かの不健全な種(怒りや暴力)が表に出ている時、不健全な部分ではなくその人の美しい部分を見るようにすること。アルコール依存症で酷いことを口にする人でも、そうではない時の良い部分を見るようにする。本当はその人の中に美しさがあることを思い出す。

2つ目は集中力を育んで自分自身が穏やかになるようにすること。呼吸に集中して心と頭の動きをゆっくりにするのは自分の心を静かにすることを助けてくれる。心が静かになれば真実が現れて、幸福な状態に戻ることができる。

3つ目は、お互いを切り離すことができないこと、インタービーイングであることを思い出すこと。私たちはみんな一人で生きていない。あなたを傷つけるものは私を傷つけるもの。誰かの傷はみんなの傷でもある。


4つ目は、自分自身の認識を疑ってみる事。「本当にそうなの?」と自分自身に聴く。「それって確かなの?他の見方もあるんじゃないの?」と。そうすることでより平和な解決方法を見つけることができる。悲劇的な瞬間を思いやりの瞬間に変えることができる。

そして覚えていてほしい。苦しみがある時「それは完璧ではなく、それは永遠には続かず、それは個人だけのものではない」ということを。そういう話をジョンはしてくれました。

彼は最後に自分自身が作ったバージョンの人種差別をテーマにした「私を本当の名前で呼んでください」を読んでくれました。彼の許可をもらったので、シェアしたいと思います。素晴らしいダルマティーチャーの話を自宅にいながら聴けるって、コロナにより色々制限もあるけれど、素晴らしい機会もいあっぱいあるなあ!


「私を本当の名前で呼んでください ジョン・ベル氏版」


僕は小さなジョニー ジャックの息子 
アルコール依存症のお父さんと闘っている
そして僕はお父さん 
家族を養うだけのお金がないことに 苦しむ 
だから飲む

私は妻のドロシー 父はロシア系ユダヤ人 
母はドイツの長老派 ヒトラーの時代に結婚した
そして私はその両親 
宗教の一線を超えたその子たちと縁を切った 
そのことが今も頭を離れない

私は移民のチリ人で義理の息子のフェルナンド 
ニューヨークの街で自転車に乗り
モロッコ人のタクシー運転手に罵られる
そして私はモロッコ人のタクシードライバー 
イスラムの我が家から遠く離れ
敵意に満ちたアメリカにいる 

私は奴隷として売られる囚われのアフリカ人 
道半ばで船が揺れて怖れて孤立している
そして私は奴隷船の船長ジョン・ニュートン 
道の途中で自分の過ちに気がつきアフリカに戻り 
人々を解放しイングランドに戻った 
そして牧師になり
「アメージング・グレース」などの讃美歌を作った

私は 黒人を解放するためにハーパーズ・フェリーを襲撃したジョン・ブラウンに銃を放ち処刑する隊員
そして私はジョン・ブラウン 処刑場に向かって歩き考えている
「ここは何て美しい世界なんだ これまで気がつかなかった」

私は若い黒人の男性 南の木に吊るされている 
白人女性を見ていたからと言われて
そして私は白人男性 彼がリンチされるのを外から見ている 
その暴力がひどく間違ったことだと まだ気がついていない


私はマイケル・ブラウン、フレディ・グレイ、タミール・ライス
そして私は彼らを撃った警察 
黒人を疑うように徹底的に訓練されている
そして私は彼らの両親 良い子供を育てようと最善を尽くした

私は美しい春の日に散歩を楽しむ黒人女性
そして私は彼女が近づいていく白人女性 
挨拶をするのに怯えて小さな娘をを自分に引き寄せた 
悪いと思いながら

私は得意気な白人ナショナリスト 
コロナに罹り今病院で苦しんでいる
そして私は黒人の医者 この有名な差別者を救おうとしている
誰かを傷つけることはしないと誓いを立てたから

私は熱心なバードウォッチャー 鳥たちを楽しんでいる
私は白人女性 バードウォッチャーを見て警察を呼んだ
彼は黒人で 私を怯えさせたから

私は白人の子どもの親  その子の命を救うため肝臓移植を選んだ
病院の待機室で黒人男性の横で落ち着かないで待っている
そして私はその黒人男性  肝臓を提供した
世界はバラバラだけど  深くつながっている

私たちは違うなんて言わないで  
だって私はあなたの中にいて  あなたは私の中にいるから
私たちは皆同じ無限の創造的なエネルギーの源からやってきた
人の意識を開いていくためにそれぞれ違った役割を果たすために
ある人は信じている 限りない過去の生で 
あなたは私のお母さん 恋人 私を苦しめた人 息子 
愛人 私を奴隷にした人 英雄 敵 精神的な先生
そして私はあなたのもの
私はあなたにお辞儀する 私は私達にお辞儀する
どうか私の本当の名前を呼んでください

(ジョン・ベル)

非常に胸に響きました。今度自分のバージョンも作ってみたいと思いましたし、みんなで作るワークをやってみたいな、と思いました。それをお互いに声に出して、自分に起こることを感じてまたその響きを言葉にしていく。それをできたら素敵だなと思いました。(どこか近いうちにやるつもりでいます。)

とても素敵なお話だったので、You tubeで他にもないか探してみるとリトリートの1場面の「Compassion」をテーマにしたトークが見つかりました。(その中で実際に「私を本当の名前で呼んでください」を作るワークもやっています。)


一番初めに彼が話してくれたストーリーがとても好きだったので、その話を最後にこちらにシェアしたいと思います。(映像で言うと6分ぐらいから始まります。)以下はジョン・ベル氏の話です。


コンパッションについてお話したいと思います。一つのストーリーがあります。ある夏の日にニューヨークの街を歩いていました。7・8歳の男の子が私の横を自転車で通り抜けていこうとしていました。ところが彼の自転車は倒れて、その子は転んでしまいました。彼は短いズボンをはいていて、膝から血がにじんでいました。

私は彼に近づいていきました。その男の子は痛みで顔をしかめていました。男の子なので泣かないように訓練されているんです。私は膝を折って彼に「痛かったでしょ?」と言いました。すると「うん、そうなんだよ~!」とその子は泣きました。「まだ痛いだろ?」と聞くと「そうなんだよ~!」と泣いて、その後「この人は一体誰なんだろう?」というようにこちらを見ました。私は見知らぬ通りすがりの人でした。彼が泣き止むと「それはまだ痛むの?痛かったんだろ?」と私は言いました。

しばらくそうしていると、彼は私に自分の身体にあるこれまでのその他の傷も一つ一つ全部見せてくれました。その子は私にそれらの傷を見せて、その時の話を全部聞かせてくれました。それまで彼は誰にもその話をするチャンスがなかったのです。私は耳を傾け続けていました。「それも痛かっただろ」と彼に言っていました。「そんなのを乗り越えてきたなんて君は本当に強いんだね」と。そして20分後彼は幸せそうに自転車に乗って去っていきました。

その子を見て私は「ああ、私たちはどれぐらいの傷を抱えているんだろう」と思いました。私たちが抱えている、十分に誰かに語ることができなかった傷です。自分がケアしてくることができなかった傷。十分に聴かれてこなかった痛みです。

この話を聞いてどんなことを感じましたか?あなたが聞こえたことはどんなことですか?

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