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NVCトレーナーホルヘの話 その②

2016年1月名古屋でのNVCトレーナーホルヘ・ルビオ氏のNVCWS 2日目 より。以下はホルヘの言葉です。今見ても宝物みたいな美しい言葉がたくさんある。

自分の中に恐れがあって「昨日は良かったから今日はそんなによくできないんじゃないか」と考えてしまう。内側のジャッカルの声が聞こえる。そんな時には「フグ」になって自己共感をする。自分自身の内側に入る。

自分のvivencia は常に変わり続ける。天気が変わり続けるように。2分前に話していたことはもう昨日の新聞のようなもの。内なる環境はとてもダイナミック。

自分が海藻だとイメージして。3メートルぐらいあってゆらゆら揺れる長い海藻だと。海流を感じ取って。呼吸のメカニズムを感じて。何かが常に動いていることを感じて。命があなた自身になることを。

その瞬間に自分が存在している、ということがとても大切。私たちは時々NVCマシーンになってしまうことがある。自分自身のリアクションを無視して聞くことを続けてしまう。自分自身のvivenciaに繊細にならないと。話を聞いていて嵐や天候の変化を自分の中に感じる時、痛みを感じる時、見て欲しい何かが自分の中にある。それを無視したら共感的に聞くことができなくなってしまう。

共感的に聞こうとする時、相手が自分の深いところに入っていこうとするのにしたがって、自分は一歩下がるようにしている。それはその人が自分自身で踊れるスペースを作るため。どんどん近づいていって、前のめりで「君のことを捕まえたぞ」というのでは共感的リスニングとは言えない。

夕日を眺める時や嵐を眺める時には前のめりで眺めたりしない。相手をただじっと見つめるためにそこにいるはず。共感的リスニングは一歩下がるエネルギーで、一歩踏み込むエネルギーではない。安全やサポートのためには踏み込むことこそ大切だと思っている人がいる。でもそうすると踊れるスペースがなくなってしまう。そういう人たちが思っていることは「助けたい」とか「支援したい」とか「貢献したい」とか「痛みを減らしたい」ということ。

でもそれは自分の中に嘆かれていない痛みがあるのかも。相手に対する好奇心から動いているのではない。自分が痛みを感じて、自分が痛くないように動いているのかも。「他の人を助けなきゃ」と思っているのは、そこに嘆かれていない痛みがある。共感的リスニングでは、相手の痛みを楽しむ。なぜならそこには美しいニーズがあるから。「助ける」となってしまうと、自分が苦しくなってしまう。

この共感的リスニングは、命に対する好奇心を満たすためのもの。私たちはみんなホモ・ゴシップス(ゴシップ好きの生き物)。それが癒しになるということは二次的な副産物で、自分を動かすのは、そして共感的リスニングのベースにあるのは純粋な好奇心。

自分は「永遠」というものについては知らない。自分が知っているのはvivenciaに触れたときの生き生きとしたエネルギー。それは、予想できないし、瞬間的なもの。それは産まれたばかりの赤ちゃんの顔のようなもの。一瞬一瞬変化していく。または死にゆく人の顔。両方ともとても貴重なもの。だから自分にとって永遠が存在するとしたら、予想することのできない変わり続けるこの流れ。

私たちはNVCを20年学んでいても、よく間違いを犯してしまう。たとえば「チョコレートが好きなんだ。」というと「でもチョコレートは身体に悪いんだよ。」と答えてしまったり、「怖いんだ。」というと「怖がってはダメだ。」と言って、怖がってはいけない理由をいくつも教えようとしたりしてしまう。頼んでもいない教育やミニレクチャーをしてくれる人がいっぱいいる。

そういう経験をした人は、自分は誰にも理解されないと思って話さなくなってしまう。人々はある人に対して「タバコを吸えばガンになる」とか悲劇的な予想を教えてくれる。

アドバイスは愛だ。でもお願いだからそれについて黙ることを学んでほしい。もし私に変わってほしいと願うなら、まずありのままの自分を愛してほしい。自分がバカなことをやることで満たされている美しいニーズとまずつながってほしい。なんの理由もなくそんなことはしない。そのニーズとつながってくれれば、もしかしたら自分は変わろうとするかもしれない。
頼んでもいないアドバイスをあげた時、あるいは相手を変えようとしたら、大事なものを失ってしまう。

相手の話を聞いていると「ああ、思い出した!」と言って、話の道筋を変えてしまう人がいる。何を考えているのか。それは自分のこと。自分が一番好きだから、だから自分の話をしてしまう。

例えばある女の子が「今日の登校の時に電車で大変だったんだ。」という話をお母さんにしようとすると、お母さんが「私が娘の時なんか裸足で学校に行ってたいへんだったんだからね。あんたなんかそれに比べればましよ。」という話をしてしまう。自分の話を聞いてほしい自分を見てほしいというニーズが出てきて「私の苦しみの方があなたのより良いわよ」と苦しみのコンテストをしてしまう。

NVCがうまくいっている時にはこういう風に進む。
①相手のニーズについていく。「あなたのニーズはこれなんでしょ」とニーズを宣言したり、指図するのではなく。
②あなたのニーズは◯◯なのかな?と聞く。なるべく短く。
③間違えるのは良いこと。期末試験ではない。間違えていたらクラッカーを鳴らしてお祝いすれば良い。あなたが間違っていれば、相手が教えてくれる。ありのままで、間違えることもある。でもその人とともにあろうとしている自分を伝えればいい。
④自分が中断されることを許す。相手が途中でこちらの話を遮って「そうじゃない、こうなんだ!」と言ってくれれば、分かりやすいし時間の短縮になる。
⑤「あなたの話を聞こうとしている」という態度を伝えようとしつづけること。
⑥「あなたの気持ち分かります。」と簡単に言わない。それよりも自分が「あなたはこういうことを必要としていたの?」と具体的に確認する。
⑦静けさがある。相手のプロセスが進んでいくのを待つことが大切。一つ短い質問をしたら、待つことが大切。その人は自分の中のvivenciaと向き合っているから。
⑧自分が話を聞いていて痛みを感じたら、自分の痛みをよく見つめる。
⑨正直であること。自分が話を聞き続けられないと思ったら正直に伝えることも大切。そうじゃないと自分も辛くなるし、相手にとっても辛くなる。正直であることがより喜びを生み出す。

相手のニーズとつながろうとして「あなたの大切にしていることは◯◯なの?」と聞くと、より相手を怒らせてしまうことがある。相手からもっと攻撃をされてしまう。

それでくじけてしまう人が多くいる。でも、その相手が本当に思っていることは多くの場合「ありがとう。私のことを理解しようとしてくれて。でももっと近づいてほしいから、ここをさらないで。」ということ。その人たちは怒る以外に気持ちを伝える方法を知らない。

相手が怒っているとそのメッセージを受け取るのは困難だ。相手から矢を放たれているようなもの。でも、実はその矢はよく見れば花なのだ。全ての矢は暗号化された花。矢に「お前は花になれ」と命じることはできない。そうすれば新たな矢が飛んでくる。人は怒鳴られれば怒鳴り返してしまう。大切なのは誠意を持つことと「自分は知らない」ということをわかっていること。「何も知らない」ということがエネルギーになる。

継続して聞こうとしつづけること。それが氷を溶かす太陽になる。完璧な共感なんてない。プロの完璧な共感よりも、素人が手作りで作った共感の方が良い。

自分は日本に、そして名古屋に呼んでもらって、命を救ってもらったように感じる。時には「もうワークショップをやりたくない。」と思うこともある。でもここではたくさんの光を感じて感謝している。自分にとって大きな世界を開いてくれた。

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