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NVC(非暴力コミュニケーション)との出会い

2015年に私がエンカレッジスクールで働いていた時に、生徒が非常にささいなことで暴力事件を起こした。友達に新しく席替えをした座席表を「見せて」って言ったのにその子が見ているところだからと見せてくれなかったということが理由だった。

最初その話を聞いた時に非常に驚いた。「なんで、座席表を見せてくれないからといって殴るんだろう?」って。我慢できないような侮辱されるようなことがあった、とかなら私にも分かるけれど、その時の私には「座席表を見せてくれないから殴った」というのは理解しがたかった。

私はその時学年に入っていたので、その子の指導に関わることになった。でも、何を言ったら良いんだろう?何をその子に指導したら良いんだろう?

だって、その子も「人を殴ってはいけない」なんてことは分かっているはず。「座席表を見せてくれなかったからってそんなことは怒るようなことじゃない」ということだって知っているはず。でも、その時そんな考えは全部ふっとんで、ムカついたから殴ってしまうのだとしたら、どうやってサポートしたらこの子を助けることができるんだろう、と悩む。

思えば私自身は感情のコントロールができなくて困ったことってあまりなかった。昔から家の外では泣かない子だったし、怒って何かを言ってしまうということもなかった。怒りが自分の中にあったとしても「これは本当に相手が悪いのか?私が悪いんじゃないか?」と考え始めると怒りを表すことができず半日ぐらいしてから「あれは、やっぱりどう考えても相手の言っていることがおかしかったな」と思った時にはもう目の前に相手はいなくて、言うタイミングを逃す、という感じだった。(ネガティブな感情を人前でほとんど出さなかったので、高校生の時に友人から「じんさんは人間じゃないのかと思った」と言われたこともあった。)

なので感情をコントロールできなかったものが何かのトレーニングや変化によってできるようになったという経験は私自身に関していうとあまりなかったので、生徒に対してどういう風に教えたらいいのか分からなかった。

そこでSNSで「感情とのつきあい方をどう教えたら良いんでしょうか?誰か良い方法知っていますか?」と呼びかけた。

そうしたら、前の学校の生徒の一人が「先生、NVC(非暴力コミュニケーション)って知っていますか?」って声をかけてくれた。その子は明治学院大学の生徒で、辻信一先生の授業でソーヤー海くんが来てくれてNVCのワークショップをやってくれて非常に面白かったという。その後、若者向けのNVCの合宿にも参加してとても良いと感じたそうで「先生もソーヤー海くんのワークショップにぜひ参加してみて下さい」と言う。

NVCって初めて聞いた。私は早速NVC『NVCー人と人との関係にいのちを吹き込む法ー』の本を買った。

読んでみるととっても面白い。どんな感情にもその奥にはその人が大切にしている「ニーズ」があるという。ここでの「ニーズ」とはイキイキした命のエネルギーで、すべての人にとって大切なもの。(例えば「尊重」「愛」「スペース」「休息」「自由」などなど)感情には良いも悪いもなくて、ただ「ニーズが満たされているか」「ニーズが満たされていないか」ということがそこにはある。怒っている人も別の見方をすれば「ニーズが満たされなくてニーズを満たそうと一生懸命求めている人」になる。ニーズに着目して、ニーズを通してだったらわかりあえないと思っている相手とも「それは確かに大事だね」という感覚でつながることができる。へー、世界が変わるようで面白いなぁ、と思う。

本から印象深い一節も紹介

「感情のコントロールに必要なことは「自分は理解されている」という感覚。「自分は理解されていない=大切にされていない」ということを感じた時に人は感情がコントロールできなくなる。
 そのためには何が必要かというと、自分自身を知ること。自分自身が何を求めていて(自分自身の欲求のどのようなものが満たされていなくて)、自分自身がどのように感じているか、ということを知ること。
 自分自身の行動や考え、感情への責任を意識せずに誰かのせいにしているかぎりはコミュニケーションはうまくいかない。人生に選択肢が無くて「仕方がないからやらされている」と思っていれば、幸福になるのは困難になる。自分の感情に自分で責任をもつことが大切。人のやることがわたしたちの感情を刺激することはあっても、それは原因ではない。どう考えるのかは自分しだいだから、自分が何を求めていて、何が満たされていないと感じているか、相手は何を求めているのかということに焦点を当てれば怒りはおさまっていく。
 威嚇するような発言の裏には、自分が必要としていることを満たしてくれと強く望んでいる人がいるだけである。それを意識して相手からのメッセージを受けとめれば、相手から非人間的に扱われたという思いを抱かずにすむ。
 自分が本当に必要としているものを自分が重視しなければ他の人も重視してくれない。自分が何を必要としているのかを自覚することが大切。あいての要求に合わせて「いい子」「いい人」でいようとすればするほどうつ状態になる。自分が求めているものがはっきりしてそれを伝えることができれば、相手からそれを受け取る可能性は高くなる。でも、自分が何を求めているのか意識していないことがよくある。
 どうやったら自分自身と向き合うことができるのか。そのためには「共感」が必要である。「何かをいったとき、誰かがそれに真摯に耳を傾け、なんの決めつけもせず、責任を背負いこもうともせず、肩に押し込もうとせずに聞いてくれたら、実にいい気分になる」と心理学者のロジャースは言う。アドバイスをするのではなく、自分の話を始めてしまうのではなく、相手の話を聴き、相手の感情によりそうこと。人の感情と、必要としていることに耳を傾けられれば、暴力を回避することができる。共感を生み出すのはいまここにいる能力である。」

ソーヤー海くんについても調べてみた。共生革命家?パーマカルチャー?頭がパーマかけているみたいなのと関係あるのかな~。


ソーヤー海くんのワークショップもちょうど1か月後に開かれることになっている!これは良い、参加してみよう、ということで早速申し込んで葉山で開かれたワークショップに参加した。

最初は皆で動いて、出会った人と「ここに来た理由」を話した。そして2人組で「ちょっと嫌だったこと」をそれぞれ2分話した。話を2分間聞いた後、相手にそのまま相手から聞こえたことを返した。何かの感想や、正しい間違っているや、アドバイスを加えることなしにただ相手の話を聞いたまま返した。

すると相手から返してもらった時に嬉しい感じがした。「自分の話を受け取ってもらった」感じがした。私たちは相手の大変だった話を聞いた時に「何かその人をなぐさめてあげないと」とか「アドバイスをしないと」と思ってしまうけど、逆にそういうことをされた方が「自分の話を聞いてもらっていない」って感じるものなんだな、と思った。そういうことをされた時って自分の話をそのまま受け取ってもらっていない感じとか自分のいる位置を勝手に変えられようとしている感じがするな、と思った。

何の「優れたアドバイス」がなくても、そこにいてそのまま聴いてくれるだけで十分なんだな、と思いました。(でも、そのことが分かっても、相手の大変な話を聞くと「なんか言わなきゃ」というエネルギーが湧いてくるものだな。なかなかしんどい相手と一緒になってそこに留まるということは難しいものだな、ということも後々思い知ります。自分が大変な時にも相手はなかなかそこに一緒に留まってくれないものだな、ということも後で実感。)

そしてみんなで輪になって「共感的でないコミュニケーション」というのをやってみました。何か悩んでいる人に対してみんなが一言ずつ声をかけていくんですが、それぞれの人が紙を引いていてそれに合わせて声をかけます。例えば「道徳を押しつける」というカードを引いたら「それはこうすべきだよ!」と言ったり。そのカードの中には「自分の話にすりかえる」「もっと大変な人の話を持ち出す」「アドバイスをする」「相手がそれをやって理由について説明する」「同情する」などがあった。相談する役の人がいて、みんなが一言ずつ声をかけていったのだけれど、面白かったのが「同情する」のカードの人が「かわいそうに」と声をかけたのだけれど「同情されるのが一番嫌だった」と相談する役の人が言っていたこと。相手のためと思って相手に声をかけていても、実は相手を嫌な気持ちにさせていることもあるかもしれない。

そして、輪になってニーズとフィーリングのカードを広げた。(フィーリングとニーズについては以下のリストを見てみてください)

3人組で「ネガティブな気持ちが起こった時の話」を順番に話す。1人の人が話した後に、その時その人の中にあっただろう気持ちを推測しながら「こんな気持ちですか?」と疑問形で渡す。(疑問形なことはポイント。相手に「違う」という余地を残しておくこと。間違えてもOK。)それに対してもらう人は返事をしたりうなずいたりしないでただ受け取る。しばらくすると自分で「こんな気持ちもあったかな」というカードを残りから選ぶ。見てると自分が思ってもいなかったような感情のカードを選んでいたりする。「こういう時はこういう気持ちになる」って勝手に推測しているだけじゃわかんないこともあるもんだなーと思う。

そしてその中から自分が大事だと思う感情のカードを3つ選ぶ。3つ選んでしばらく味わう。

その後で、次はその感情とつながるニーズのカードを選んでいってまた相手に「あなたにとって〇〇が大事ですか?」と聞きながら渡す。これまた疑問形で、返事は特にしなくていい。(その人の中で吟味できるように)受け取る人が自分の中で自由に受け取れるように、渡す人はあまり長く説明しないで短い説明で渡す。そしてまた自分自身でニーズを選んだものを加えて、その中から3つを選んで味わう。

そうやってやり取りをしていると、「あぁ。自分にはこれが大事だったんだな」ということがわかってじんわり満たされる感じがある。そして「これでしたか?」と聞かれながら味わう時間を持つと、自分の話を聞いてもらっている感じ、受け止めてもらっている感じがある。そして、相手のニーズを推測して、相手に渡して、その人がその人にとって大切なものとつながっている場面に立ち会うと、自分自身の心が満たされる感じがある。不思議。

そして、「4つの耳」というワークもやった。NVCではよく「キリンとジャッカル」という表現がされるのだけれど、キリンは世界一心臓が大きな動物で、大きなハートの象徴。そしてジャッカルは自分の大事なニーズを守るため、相手から攻撃されたと感じたら相手に噛みつくことの象徴。キリンとジャカル、NVCについてもっと知るにはヨラムのTEDを見ると良いかも。

「4つの耳」のワークでは相手から酷いことを言われた言葉(相手からのジャッカル)を聞いて、相手に攻撃し返そうと言い返す言葉(自分のジャッカル)をまず取り上げる。例えば、私だったら生徒に「先生の授業はつまらない」と言われたら「あなたの学ぶ姿勢の問題でしょ!」ととっさに出てくる言葉がジャッカルの言葉。

それに対して、キリンの耳を傾けて、そのジャッカルの奥には何がいるのかを聞いてみる。まずは自分の内側にある大切なものをみんなで見つめていく。さっきの例で言えば「傷ついて悲しみと怒りを感じている。それは尊重されることや、受け入れられることや、生徒への貢献や成長が私にとって大事だから」というのがキリンの言葉。大事なのはまず自分に共感する事。自分に共感しないで相手を理解しよう相手に共感しようとすることは酸欠の状態で相手に酸素ボンベをつけようとするのと同じような事。まずは自分に共感。そうじゃないと自分が苦しくなるし、エネルギーがなくなってしまう。

自分自身に対して(他のメンバーの力も借りながら)キリンの耳で聴いてキリンの言葉をかけた後で、今度は自分を攻撃するような言葉を言った相手の奥にある大事なものにつながってみる。相手の攻撃的な声をキリンの耳で聴く。そうすると苛立ちとかもどかしさがあって、その奥には「理解したいのに理解できない」「自分が置いてきぼりにされて尊重されていない感じがする」「成長が感じられない」などの満たされていないニーズがあるのかもしれない。

相手のやっていることや言っていることそのものに着目して「正しい/間違っている」と言う代わりに、ネガティブな言葉の裏にはその人の大事なニーズがあることを見ることができれば「無敵の世界(敵がいない世界)」になる。海くんは昔は怒っている人を見るのが怖くて嫌だったけれど、今では「この人の満たされていないニーズはなんだろう!?」と思うとワクワクすると言っていた。そういう見方で世界を見るのって面白い。

そんな風にしてNVCに出会いました。その日にやったワークを生徒と一緒にやってみたこともありました。(生徒にまず「感情ってどんなものがある?」と聞いてカードを作るところから。)でも、NVCをやっていって思うのはどんなやり方で何をやるかということよりも、どういう風に世界を見て、どういう風に世界を聞いて、どんな言葉を自分の中で選ぶかってことなんだな、と思いました。テクニックとか手法というよりも、自分が世界とどう向き合うかというスタンスなんだな、と思います。相手の声を聴くことにもっと耳を傾けるってことなのかな。そして、まず自分自身の声を。

その後私はマインドフルネスと出会って、どちらかというと軸足をマインドフルネスに置いて活動していましたが、NVCに関わる人たちの中で「本当に素敵だな」って人たちがやっぱりいたり、トレーナーのワークショップに参加すると心に深く沁みるような経験があったりで何となく関り続けてきました。

この前NVCのグローバルフェスに参加して二極化する世界の中でつながりを作ろうとし続けるコミュニティの中にいることはとても意味があることだな、と改めて感じました。そしてマインドフルネスを深めたからこそもう一度NVCに戻った時に見えてくるものもあって、面白いな、と感じています。(身体の中に何が起こっているかということを立ち止まって感じる力がないと、自分に共感するのが難しい)今立ち止まっている時期にもう一度鍛えてみたい気がしています。

目の前に見えているものじゃなくて、その奥にある、自分と相手が本当に大切にしているものを見る力を。

ちなみにNVCを活用したコミュニケーションがそのエンカレッジスクールで自分でできたな、と思ったのは生徒に1年間の最後の感想を書いてもらった時に「先生の授業がキライです」と書かれているのを読んで「最後にこんなことを書くなんて失礼だ!」と怒る代わりに「この子の満たされていないニーズはなんだろう?」と好奇心を持ってその子に尋ねることができたこと。よく聴いてみると、私が授業中に寝ている子を起こすからそこで授業の流れが止まってしまって分からなくなってしまうのが嫌だったということだった。「他の先生は寝ている子がいても注意しないで進んでくれるのに」と言われたけれど、それに対しても「注意するのは生徒のためを思ってでしょ!」と言う代わりに「そうか、寝ている子を注意することで自分が分からなくなることで、自分が大事にされていないような感じがしたのかな?起きて頑張っている子じゃなくて、寝ている子の方を優先している感じがして嫌だった?」と聴くことができたこと。その結果その子は「聴いてもらえて嬉しかった」と最後は言っていました。まあ、いつもいつもそういう風に聴けるわけではないですが、相手のネガティブな感情を「私のせいだ」とか「それはあなたが悪いんでしょ」とか思う代わりに「この人の満たされていないニーズは何だろう?」と見れるようになったのは大きな変化だったな、と思います。

次回はマインドフルネスとの出会いについてお話したいと思います。


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