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村上浩康監督、待望の新作『あなたのおみとり』公開決定!

 いよいよ村上浩康監督の新作『あなたのおみとり』が9月から公開が決まりました。勝手に村上浩康監督作品のファンを自認している身としては、とても嬉しいニュースです。そこで前作『たまねこ、たまびと』公開前に引き続き、解禁された情報をもとに、どんな作品になるのか、観客として心の準備をするために文章でまとめました。またまた妄想の域を出ないかもしれませんが、おつきあいいただければと思います。

異色の題材

 長編としては7作目となる本作は、末期ガンの実父と、その世話をする実母をみつめたドキュメンタリーだそうです。ここまでのフィルモグラフィを眺めるとやはり村上監督にとっては異色の題材かもしれません。

<村上浩康監督 長編フィルモグラフィ>
『流 ながれ』(2012)
『小さな学校』(2012)
『無名碑 MONUMENT』(2016)
『東京干潟』(2019)
『蟹の惑星』(2019)
『たまねこ、たまびと』(2022)

 特に村上監督の名を世に知らしめた一連の多摩川を描いたドキュメンタリーとは違う世界を描いているといえます。

えっ、もう新作が?

 さらに前作公開から2年足らずという短いインターバルも異例ですね。前作の『たまねこ、たまびと』ももうできちゃったの?という驚きがありましたが、今回はさらに短いです。
 また『無名碑 MONUMENT』や『東京干潟』では、今日はこんな撮影をして、というのがX(旧Twitter)で発信されていて、それとともに完成までに時間を私たち受け手側も共有できたところがありました。しかし今回はそれはなく(御尊父が亡くなられたことは発信されていました)、そういった意味でも異例だったといえます。

つながるテーマ「生命」「生きる」

 ただ「生命」や「生きる」という点については、大きなテーマとして村上監督の作品群に共通していることです。それは自然であったり、環境であったり、人間であったりするわけですが、描かれる対象へのまなざしは村上監督作品の大きな特徴です。さらに村上監督と言えば「おじいさん」。以前お話しさせていただいた時に「(描く対象が)なぜかおじいさんになってしまう」と笑いながらおっしゃっていたことがありましたが、今回は実のお父様ということで、そのあたりがどうなるのかやはり興味深いですね。

『10年後のまなざし』という作品

 多摩川を描いた3作品には『無名碑 MONUMENT』というプロトタイプがあったということをこちらで述べさせていただきましたが、実は本作にも、結果的に関連作品として重要な位置づけになるのではと思われる作品があります。それが2021年に発表されたオムニバスドキュメンタリー『10年後のまなざし』です。4本のうちの1本を村上浩康監督が担当されています。お正月の朝、義父が散歩しながら朝日を眺めにいく様子が描かれているのですが、これがもう素晴らしいの一言でした。何かが起きるわけではないのですが、何より凜とした佇まいの映像と監督との会話。それが雄弁に私たちに語りかけてくる監督のスタイル(ねっ、いかにも監督作品らしいでしょ!)が凝縮されていて、見事でした。はたしてこの作品と、『あなたのおみとり』とには何かつながりがあるか、気になるところです。

間口の広いテーマ

 今回も上映はポレポレ東中野がメインとなります。ポレポレといえば数々の秀作を上映していますが、中には大ロングランを達成するような興行的な成功を収めている作品があります。実は今回はそういう意味で、一番間口がひろい題材と言える気がするのです。東海テレビ製作の『人生フルーツ』のように、多くのお客様が村上作品を鑑賞していただけるといいなと願っています。

身内が撮影対象であることの必要性

 一番気になっていることはここです。村上監督の作品は、撮影対象と監督自身のコミュニケーションの記録でもあるわけですが、本作にはその関係性に「家族」という別な意味が含まれることになります。しかし身内に対してカメラを回すという手法はいろんな意味で、ドキュメンタリー映像作家にとっては「鬼門」だと私は考えるからです。

 森達也監督は「そもそもメディアは人を傷つける。特に現実の一部を切り取るドキュメンタリーは。」と、その加害姓について自覚的である必要性を何度も述べています。わかりやすい例(ただしレベルは限りなく低い)をあげるならば、大家族の石田さんを描いた某民放の番組。視聴率を得るためのネタとして自分たちが格好の餌食とされるわけですから、そりゃ子どもたちはイヤでイヤで仕方がなかったと思います。そこに思いが至らなかった(かどうかは何とも言えませんが、少なくとも週刊文春のインタビューを読むと本当に絶望的な気持ちになります)ご両親についても、それを番組の題材として選んだ方も、そしてそれを日常のエンタメにしてしまう視聴者もみんな「加害者」だと言えます。しかし。それでも「家族」をテーマに、そんなスタイルで描く価値がある時が存在するのも、また事実なのです。先人たちの作品の中にはヤン・ヨンヒの『ディア・ピョンヤン』や信友直子の『ぼけますから、よろしくお願いします。』のような家族の視点でしか撮れなかったドキュメンタリーの秀作がいっぱいあることが証明しています。つまり問われるのは何を描くためにするのか、そして身内にやる覚悟があるのか?ということなのでしょう。きっとここで私が述べたことは監督なら百も承知のハズでしょう。村上監督がカメラを回そうと思ったキッカケは何かあったのか、何を描こうとしたのか。そのあたりについて、さっそく公開された公式サイトに、監督の文章が書かれていました。

 はっと思うことがいっぱい書いてありました。そしてどうもいわゆるお涙頂戴な世界にはなっていないことも察することができました。何より、村上監督ならではの視点でみつめた世界はどうなっているのだろうという興味が湧いてきました。このあたりについては作品をみた後も、監督にお話を伺いたいところです。

何度も使えない製作手法

 もうひとつ「鬼門」だと考える理由があります。実は前述のヤン・ヨンヒと信友直子の作品を挙げたのは理由があって、それぞれの監督のフィルモグラフィの中でふりかえってみると、いかにそれが難しいかもわかるのです。前者の続編『~おかえりお母さん~』は個人的には蛇足としか思えなかったですし、後者はフィクションという手法にシフトした『かぞくのくに』の方がはるかに説得力をもってしまったという皮肉な現象が起きました。その後にドキュメントに戻った『スープとイデオロギー』のカオスぶりは嫌いではないのですが、そう何度も使える手ではないことをはっきりとさせてしまったといえます。つまり映像作家として後戻りはできないところに歩みを進めてしまったのではないか、という不安のことです。でもそれと同時に、どんな作品になっているかという期待感も私の中に生まれてくるのです。あの『東京干潟』『蟹の惑星』という秀作の後、私の予想をはるかに凌駕する傑作になった『たまねこ、たまびと』をみた時の驚きが味わえると嬉しいなと思っています。

待ち遠しい公開日

 監督はいつも「まず映画としておもしろい作品を作りたい」とおっしゃっています。フィクション、ノンフィクション問わずに、古今東西の映像作家たち(その中には、村上監督が敬愛する小津安二郎、大島渚、清水宏も含まれています)が向き合ってきた家族という題材で、どんな作品を作り上げたのか。
 最後に。いつもながらポスターのアートワークが素晴らしいですね。「今日も一日、がんばりました」というコピーもいいですし、何よりタイトルがいいと思います。そしてここには、何かとても深い思いが込められているような気がしてなりません。

公開を心待ちにしています。

作品公式サイト

じんけしが書いた村上監督についての文章です。
村上浩康監督『無名碑 MONUMENT』のこと
私の感想『東京干潟』
私の感想『蟹の惑星』
ドキュメントを生きる -村上浩康監督のこと-
私の感想『たまねこ、たまびと』


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