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しくじった後、神様と陰謀論者に分かれる


日本の神様が神話で
しくじりまくる理由を
現代心理学で解釈すると、
それが精神的成長の道です。

精神が成長するのですから、
神様になる道ともいえます。

※日本の多くの神様は、自身がしくじったことをご利益(使命)とします。例)神話の中で失恋する→恋愛の神様になる

ただし、あくまで統計ですから、
全員がそうなるわけではありません。

精神的に成長する原因は
過去を振り返り、物事を

・ありのままに
・受け容れたから

いわゆる「受容」です。

ようするに自己受容です。

自己受容により、精神を成長させる
自分軸が確立します。

しくじり

受容

自分軸

しかし、ありのままに
受容できない場合もある。

その受容できない例え話がイソップ寓話「すっぱい葡萄」のキツネさんでした。

ものすごく食べたいのに高い場所にあってどうしても入手できない葡萄を見て、きつねさんは言います。

「あの葡萄はすっぱいんだ」
(まずくて食えやしない)

これ、いわゆる陰謀論です。

あの葡萄はまずいという
真実をでっち上げるわけですね。

寓話なので
失敗したらかって
真実をでっち上げるなよ
という教訓です。

こう書くと、「ありのままに受容する”べき”なんですね」と受け取られるかもしれません。

可能ならそうした方がいいし、
また自然とそう”なる”ことが多い。

統計的な現実ですから、自然とそうなる人が多いわけです。

しかし、そうならなかった人を
否定するものではありません。

つまり
「入手できない葡萄=不味い」
と陰謀論に走ることもただの自然な反応で、
善いも悪いもありません。

そうなることもあるよねってことです。

「神様のしくじり」も色々あって
自責もあれば他責もあるし、
どうしようもない現実もある。

その自分には如何ともしがたい
何かで挫折することも、
しくじりに含めています。

ネガティブな経験全般が対象です。

そして、自責・他責・自然発生に関わらず

「ありのままに受容なんてできない現実」は存在します。

その受容できないことを、
無理矢理にでも受容しようとすると、
いわゆる
PTSD:心的外傷後ストレス障害
を発症することもあります。

基本、しくじり経験は辛いことなんです。

その辛いことが人間の成長に
つながるケースは多々あるけれども、

あの葡萄はすっぱいと陰謀論に走って
「心を守ること」もまた
人間という生き物の仕組みに存在する
英知なんですね。

そうして
心を守って守って
物事を受容可能なまでに癒されると、

そこでさらなる成長が起こり、
神様の道へとつながります。

少し早いか遅いかだけの違いで、
すべては時が解決するし、
早ければいいってものでも無い。

今世で受容できなくとも、
それはそれで仕方ないと思う次第です。

だいたい陰謀論が
あまりにはびこるとしたら、
それは個々人の問題というより、
社会全体の問題。

陰謀論の根っこを心理的に分析すると、
無視された(と感じた)
ネガティブな心情が鬼=祟り神になった
ということです。

その祟り神が巨大化
して問題なのだとしたら、

社会・政治は、
「どういう人たちの思いを
無視しているのか?」
を考えた方がいいわけですね。

すっぱい葡萄の主人公キツネが
陰謀論に走った原因は耐え難い空腹でした。

つまり、「貧困問題が隠れている」
と深読みもできるのです。

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