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神社やお寺は共同体感覚を育てる

神社の本を書いてベストセラーになると、第2弾のおはなしが当然ながら来ました。

各地で講演会をすると、似たような質問が多かったので、そこにお応えする回答を書けばいいかなと思っていましたが、イザ書いてみると、やはり自分なりの「発見」をお伝えしたくなりました。

その発見とは、

神社参拝は「他者との間に共同体の感覚を育むよ」ということです。

▼ベストセラー第2弾
『成功している人は、どこの神社に行くのか?』

当時、アドラー心理学の本が非常にブームになっていました。そのアドラー心理学の最終目的が「共同体感覚」をもつことです。

「共同体感覚」、抽象的で分かるような分からないようなアイデアですね。

言葉の意味を申し上げると、

家庭や職場、コミュニティなど共同体の中で人と繋がっている感覚のことを指します。 一体感や所属感がまざった感覚ですね。人はこの共同体感覚を感じる時、幸福感を味わうとされます。八木個人は、幸福感というより安心感ととらえています。

この共同体感覚は、

「自己受容、他者信頼、他者貢献、所属感」

という四つの要素で構成されるとか。

だったら、神社仏閣への参拝で、確かに共同体感覚がはぐくまれることでしょう。

社会保障の世界で、

・自助

・公助

・共助

という枠組みがあります。

自分で何とかする自己責任の「自助」。

政府や自治体が対応する「公助」。

そして、その間に「共助」
というあいまいな領域があります。

人々がお互い助け合うことです。

「共助」は美しいアイデアですが、
本当に「共助」がおこなわれるのは、
「共同体感覚」
をもちあう人たちの間だけです。

神社や寺院という共に祈る場所があると、
共同体を構成する意識が育ちます。

もちろん、他の宗教施設でも
同じことでしょう。

ただ、共同体の外の人たちへの
攻撃意識や否定的意識が
強まると、その共同体は
カルトと呼ばれてしまいます。

所属する共同体の外部に対しても
調和や連携の意図をもつことが大事で、

濃い共同体感覚
薄い共同体感覚

と濃度に差はあれど、究極は
「全て」に対して共同体感覚を
もつことがゴールになります。

神社や寺院、お地蔵さんは
こうした共同体感覚をもつことに
プラスの働きがあることは、
学術的な調査分析でも示されています。

私の著書でも調査結果をご紹介しています。
▼例えば下記の本
『しくじりをした人は、なぜ神社に行くと大成功するのか?』(サンマーク出版)

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