2022年12月26日〜2023年5月25日


好きなアイドルの退所報道が出た。
3日前の話だ。今もまだ、その報道以降、本人達の顔は見ていないし、声も聞いていない。もちろん、なんの言葉も聞かせてもらっていない。
それに対して文句を言うつもりは毛頭無い。1日目の夜は本人達からなんのアクションもないことが不安でただただ泣いたが、今では本人達からなんのアクションもないことで逆に「事実」にならずに済むので、救われている気すらしてきた。

人生で落ち込んだな〜と思う出来事は大学をやむを得ず中退した時と、5年付き合った恋人と別れて同棲を解消した時と、上京して上司とうまく行かず体調を崩した時くらいだと思う。
正直その時ですら、まあ完全に立ち直るまで年単位かかったにせよ、一日中泣いたり一睡もできない日が続くことはなかった。
それほどにわたしは彼らにひどく依存していたらしい。もしかするとこの重すぎる愛が彼らの足枷になっていたのかもしれないと、ふと思った。大きい会場でコンサートをしているところが見たい、デビューしてほしい、ずっとアイドルでいてほしい。それが彼らにとって「重荷」だったのかもしれないと、勝手だったなとつい自分を責めてしまう。

「火のないところに煙は立たない」という。
もしこれがただの週刊誌によるでっちあげだったとしても、彼らにそんな気持ちが少しもなかったわけではないのかもしれない。少しでも確実にそこにあったから、煙をたどってあることもないことも、世間の人間から見て「面白く」なるように書かれてしまったのか。
たとえば本当は記事にあるような事実は一切なかったとしても、彼らは発言も許されず、肩身も狭くなって、本当にそういう選択をせざるを得ない状況になってしまったりしないか。
今は何も事実を知らない状態でこれを書いているから、どうとでも書いておこう。
事実になってしまったら、それが答えになってしまって、それ以外なくなってしまうから。

言葉というものはひとを救うし、ひとを絶望に突き落とす。
わたしは言葉を後者のような使い方をする人間には絶対になりたくない。
あの記事を書いた人間も、誰かのことを愛していたり、愛されているはずだ。
仕事とはいえあんなふうな記事を書いている人間が、私を傷つける言葉を羅列したその人間が、今頃大切な人には愛の言葉を投げることができているであろうことが、腹立たしくて仕方ない。
ただ、それを信じる自分も情けない。受け入れる準備をしなければと頭のどこかで思っている。
「そんなわけない」は「絶対ないわけではない」ことを知っているからだ。永遠も絶対もこの世には存在しない。それを知っているからだ。
私の頭の中にも確実に「煙が立っていた」んだなと思った。心のどこかで、「いつかこうなる日が遅かれ早かれくる」と思っていたのかもしれない。だから私はいま、「そんなのありえない嘘に決まってる」と言えない。情けない。

人の気持ちは変わる。
環境、年齢、経験、他にもいろんな要素で人は成長する。成長がいずれ「変化」をもたらすことはごく自然なことだ。
そうすると熱や勢いだけで生きていくことがほんの少し難しくなる。
周りの視線が気になったり、今まで聞こえなかった声が急にダイレクトに聞こえてくるようになることもある。
そして人の興味はいろんな方向を向いて、いつしか夢見ていた方向がはじめとは真逆になっていることだってある。それはダメなことなんかじゃないし、もちろん裏切りなんかでもない。ただ、その心の移り変わりは本人にしか分からず、経過として追うことのできない周囲の他人は、その「将来」の画や考えに考え抜いて切り取られた「答え」だけを急に目の前にポンと置かれて、戸惑ってしまうんだとおもう。今の私はまさにそういう気持ち。
衝動的に彼宛にファンレターを書いてしまった。みたことないくらい元気のないへろへろの文字で、「そんな事実ないよ、そんなこと考えてもないよ〜ってことだったら笑ってください。」と書いて出した。
読んでもらえるか分からないけど、困った顔でかなしそうに笑う自担が想像できてしまって、そんな内容の手紙を出したことをちょっと後悔した。アイドルを困らせるファンなんて1番良くない。

2023年が始まるのが怖い。
幸い仕事柄年末年始は忙しく、仕事中に泣きそうになることもなくなった。でも触れられないようにうまく話題をかわすのも慣れてきた。時間は悲しみを癒すという。時間に救われる機会はたくさんあった。それはわかる。
でも今はこう思う。時間のバカ。いつも通りの生活ができる自分のバカ。ふざけるな。大丈夫になんか絶対なるな。

メンバーの定期更新のブログ。
勝手な憶測だがどこか元気がないように見えてしまう。いらぬ心配。憶測でものを言うオタクにはならないという自分の中にあった誓いはこんなふうにいとも簡単に覆される。所詮自分もそんなもん。
念押しのように2023年の話をしてくれる自担たち。わたしは彼らを「嘘つき」と言いたくないんだ。どうか、嘘にならないでくれよ。本当のことは知りたい、いや、でもやっぱり知りたくない。

去年出られなくて本人たちが悔しがっていたカウントダウンコンサート。初めてもらった自分たちのグループ名のロゴが背中に入った衣装を着て、名前をテロップに出してもらってステージに7人が揃って立っていた。夢を叶えていた。私の夢の一つでもあった。
同じグループを好きな友人と4人で通話しながら見た。彼らを視認した瞬間、全員が声を上げて泣いた。
ジャニーズに所属している7人がちゃんと2023年になってもそこにいた。
日付が変わったタイミングで公式サイトの宣材写真が最新のものに我がグループも変わっていた。それだけで安心できた。やっぱりあの記事は全部嘘。これからも彼らはここでアイドルでいてくれるに違いない。そう思いながら泣きすぎて重くなった瞼をそのまま閉じて眠りについた。久しぶりによく眠れた気がした。

翌朝、公式発表というものではないが、事務所の社長が先日の記事は「概ね事実」だと明かしたという旨の記事が出た。夜中に感じた安堵からの地獄を見た。何をしていても涙が止まらない。そのことしか考えられない。でも私はなぜ泣いているんだろう。何が悲しいのか、何がさみしいのか、あんまりよく分からない。
ふと、「ジャニーズじゃない彼らを好きと言えるか分からないからそれが怖くて泣いている」気がしてきた。勝手な話すぎる。ジャニーズだから好きなのか、好きだとおもったアイドルがジャニーズ所属だったのか。本来そんなことはどうだっていいはずなのに。あんなに好きだと思っているし、好きだと言っているのに、薄情な自分が嫌になった。

年始最初のメンバーのブログ。
なにかがあからさまにおかしい。違和感。年末年始の度重なる退所報道に引っ張られた自分がそう思ってしまうだけなのか。いや、多分違う。私だって彼らを好きになってから毎日だてに見てきていないし、そうでなくてもあまりにあからさまだった。
火曜と金曜の更新日に1人ずつ年始のブログの順番が回ってくる。更新されるたびに絶望に突き落とされる。
去年までのブログを見てきた人であれば誰でも違和感を感じる文面。絵文字もなく、スクロールするまでもない長さ。全員が全員、そうなっていた。そういうブログを書く思惑が私には分からなかった。たくさん考えたけど今でもよく分からない。SNSには人の数ほどいろんな憶測があった。本当のことは誰も教えてもらっていないのに。何かをどこかを悪く言うことでしか気持ちが保てなかった。アイドルを応援するのってこんなにしんどかったかな。

メンタル底辺のこのタイミングで、異動が決まった。将来的に経験してみたいと思っていたところへの異動だった。これは純粋に嬉しい。
けど、仕事を頑張る力を彼らにもらっていた私は急に不安になった。彼らのいない世界で私は何かを頑張ったり、つらいときに立ち上がることができるのだろうか。彼らが頑張っていると思えば大体のことは乗り越えられたから。

定期的に猛烈に落ち込んで泣く日が増えた。自分がなんで泣いてるのか、考えるのはやめた。いいことない。涙が出るからそのままにしているだけだと思うことにする。

1日のうちで躁と鬱が交互にジェットコースターみたいにやってくるようになった。
この決断はおそらく彼らが考えて選んだもので、それは決して後ろ向きなものではないんだろうなというのがなんだか見えてきたような気がするからだ。
とすれば、この状況を悲しんでいる私はファン失格なのではないか。私はどうして悲しいんだろうか。彼らはあんなに前向きに見えるのに。
これから先の未来を想像してみる。もしまた会える日が来たら、今よりもっと楽しいことが待っているかもしれない。失うものも多いとは思うけど、それよりももっとたくさんの喜びとか、笑顔とか、そういうものがもらえるかもしれない。
そういう未来はきっと悪くない。
でもそういう未来がくるとは限らない。
二度と会えなくなるかもしれない。見えないところに行ってしまうかもしれない。
私はまだ、これからどうするのか、本人たちからはなにも聞いていない。1月が終わる。

彼らの声で聞こえてこない白黒のブログを見るのにももう慣れた。人間の慣れって怖い。
核心に触れるようなことを書いていませんように。悲しい気持ちにならなくて済みますように。あんなに楽しみにしていたブログを開く前にそんなことを願うようになってしまった。

去年の9月に発表された自担の舞台が始まった。
私はこの舞台をとても楽しみにしていた。でも、顔を見た瞬間に泣いてしまいそうで嫌だった。
流すならそりゃあ、感動や、喜びの涙がいい。
でも私が流すであろう涙はそうではないのが自分で分かっている。
当日、私は座席についてすぐたまらず泣いてしまった。始まる前に泣いておこうと思った。
こんなふうに舞台に立つ彼を観られることはしばらくなくなるのかもしれないと思うと。


大阪での単独コンサートに行った。今の名前で会えるのは最後かもしれない、そう思いながら行った。私にこのアイドルを教えてくれた恩人と2人で入った。彼女は一度も泣かなかった。
向こうもこちらも、その話に触れないようにしている、なんだかそういう妙な空気で私はそれが怖かった。向こうもこちらも聞き分けが良いなぁと思った。こちらはいくらでも疑問を投げかけられるし、向こうだって誤解を解いたり言及できる場所だったのに、だれもそれをやらなかった。できなかった。
コンサートは心から楽しむことができた。涙よりは笑顔が溢れた。セトリは確かに、「ああ最後なんだろうな」と思わざるを得ないような、「ベストアルバム」みたいなセトリだった。最終回じゃんかあんなの、と思った。
でもやっぱりステージで楽しそうに歌って踊っている彼らを見ていたら「この人たちがやめるわけなくない?」と思ってしまう。わざわざやめる意味がわからない。やめる人たちに見えなくて頭が混乱した。
でも唯一、今までのコンサートでやったことのない曲を聴いた時に、ああ、もうこの人たちは先に行ってしまったんだなと思った。初めてちゃんと、言葉ではなかったけど本人たちの気持ちが聞けた気がした。
私が悲しんでいた日々は、彼らにとっては決してネガティブな日々ではなかったようだった。
不思議と、その感覚の違いに関して置いて行かれていた気分にはならなかった。知らなかった時の方がよっぽど置いてけぼりの気分だったから。
ほしくてほしくてたまらなかったグループ名が印字されたペンライト越しに、たくさん努力していまの居場所を手に入れた7人が見えてたまらない気分になった。あと何度このペンライト越しの彼らが見られるんだろうか。

ブログの文章が少しずつ彼らの声で再生されるようになってきた。いいぞ。
絵文字を使われるようになったり写真もあがっている。よかった。お仕事の話や番宣がまだある。嬉しい。まだしばらくは顔が見られるはず。

他のグループの子たちの活躍を見る。こんなことを思いたくはないが、「ああいいなぁ」と思ってしまう。
私は年末からずっと生殺しのような状態で丸4ヶ月を黙って過ごしている。新しい番組、ドラマ、コンサートが決まるグループと、数々の番組卒業、メディア露出の減少、雑誌のページ数、さよならを彷彿とさせるインタビューテーマで日々なにかを失い、過去の思い出を引っ張り出していくしかない私。なにが違うのか。わからない。
ただ最後のその時がいつなのかを想像して、さよならの準備をしている。どうしてこうなってしまったのか。

火曜と金曜のブログ更新。
大体20時にアップすることが多かった彼らだから、20時になると祈るようにサイトを開く。
「ちゃんと更新されていますように」

2023年5月25日をもって、自担が退所することが決まった。
「やめちゃうんだね、大丈夫?」という好奇心だけで私に連絡を入れてくるひとたちの神経が理解できなかった。大体、大丈夫なことがあると思うのか。「言わない」を選択できない想像力が乏しい人間にはなりたくないとさらに強く感じる。

今回の退所について、いろんな意見を見かけた。
「全員で、だからいいじゃん」「発表されただけいいじゃん」、残されるひとがいるグループも、発表されず静かにジャニーズを去ったひともいる。ただ、誰よりもよくて、とか、誰よりもマシとか、そういうのは本当にくだらない。そして大概が、それを経験した人ではなく、外野で見ている無関係な人間がそれを言うんだ。

好きなアイドルがこのあとどうなるかわからない状態に悲しむ人間にかける言葉ではない。
さよならの前の悲しい気持ちにどっちが良いとか、そんなもんは存在しない。天秤にかけるものではない。

今回の退所は「卒業」と表現された。
「人生楽しんで」という社長からのコメントで、一気にどん底に突き落とされたような気持ちになった。
本来であれば転職や卒業は前向きなことが多くて、その場合において上司からの「楽しんで」の言葉が未来へ歩んでいく人への餞になるのは理解できる。

7人はジャニーズでいることをとても大切に考えていた7人だった。
将来の夢に「一生ジャニーズでいること」を挙げるくらいだった。
本当のことも、どんなニュアンスで退所までが決まっていったのかも分からない。けど、「人生を賭けてジャニーズでいた人たち」に、「ジャニーズでいることだけが全てではない」と、上司にアドバイスされる、ということを想像してみる。
一体どれほどの絶望を感じただろうか。

本人達からはじめて発表された退所に関するコメントからは、これで終わりではない感をそこはかとなく感じられる。
しかし今までを懐かしんだり、ジャニーズでいてあんなことをするのが見たかったとか、そういうことをファンが考えることは自由だと思う。だって今日まで応援してきたんだから。

今回の彼らの決断について、かなしいさみしいと泣くことも、前向きそうだから私も前向きに応援するよ!も、どちらも間違ってない。逆を言えば、正解もない。
ただ、自分の考えを押し付けることだけは間違っていると思う。前向きな人が悲しんでいる人に、「それは本人達に失礼だよ」なんてことを言うのは間違っているし、悲しんでいる人が前向きな人に「なんでそんなに前向きでいられるの?」と言うことは絶対に間違っている。
メンバーがブログで以前話をしていた、「何を言わないかが品性」という言葉を、いまふと思い出している。
思うことはもちろん自由。ただ、それをわざわざ口に出すかどうかは今後もよく考えて発言するようにしたい。

本来アイドルとファンの関係として、ファン側が要望を出すのは悪いことではないとは思うのだが、基本的には「アイドルが提供してくるものを受け取る」のがファンだと私は考えている。
アイドルが見せたいもの、表現したいもの、挑戦したいものを実体化したものを披露されて、それを嗜むのがファンだと思っている。
もちろん私にも感情や感覚があるので、「おや?」と思うこともあるが、そう思った時は離れどきなんだとおもう。「おや?」と思ったときに、それをアイドルのせいにしない、ということを肝に銘じて生きるようにしたいと思う。

今の私は正直、先の自分がどうしているのかがまだ見えてこない。
でもそれでもいいと思っている。

大好きなアイドルを応援していた2年間の自分は本当に楽しそうだった。
本当に楽しかった。それは事実なので多分いまはそう思えるだけで十分だと思う。

コンサートが決まるたびに大喜びしたな。
アクスタ、初めて出た時本当に嬉しくて、その日から今日まで毎日カバンに入れて持ち歩いて、手放した日なんてなかった。
個人うちわ、欲しかったな。
横浜アリーナのステージに立ってる7人に会いたかったな。
欲しくてたまらなかったグループ名も、オリ曲も、衣装も、全部なかったことになるのかな。
青いペンライトの向こうにいる彼は世界で1番かっこよかったな。

思うことはたくさんあるし、私はまだどうしても前向きな気持ちにはなれずにいる。
けど、これだけは大きい声で言いたい。

出会えてよかった。
好きになれてよかった。
私の目の前に現れてくれてありがとう。

今日が終わる。
いつも通りのこと。
今日が明日に変わるだけのこと。
いつも通りのこと。

今日で全てが一度終わる。
ああ、こんな感じか、なんて他人事のように今思っている。

明日のことは何もわからない。
それでも明日からも生きていくしかない。
なんて残酷な世界なんだろう。でも、なんて愛おしいんだろう。

また朝が来る。
きっと朝が来る。

おやすみ。

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