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【無料で読めます】薫る銭湯、金春湯(品川区)の話

この物語はフィクションで実在の人物(特にお客さま)とは全く関係ありません。私があまりに銭湯、サウナが好きなので勝手に書いたお話です。5分で読めます。
銭湯は実在しますが個人の感想に尽きます。銭湯の方に依頼された訳でもありません。銭湯の方にご指摘、お叱りを受ければすぐに削除、訂正します。

【最後まで無料で読めますがもし気に入っていただけたら投げ銭歓迎してます】

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タイトル:『ラッキー17』

わたし(25)
会社員メーカー(丸の内)勤務の場合

 階段を数段のぼると靴箱。鼻から脳を刺激する独特の香り。

 これは湯を沸かす機械の香り?沢山の人のシャンプーやボディソープが、隣のコインランドリーみたいにぐるんって混ざった香り?他では感じたことが無い、ここの匂い。私は、つま先の色が少し剥げてきた残念なパンプスの収納先を探す。

―17番

 7番、だと何だか“いかにも”って感じがするし少しくらい、げんを担いだっていいじゃない。私を圧迫していた足がやっと解放される。同時に左小指に貼った、靴擦れ防止のバンドエイドを見てゲンナリする。
 今日は上司から『大事な話がある』と言われていたから、背筋を伸ばしたくて。舐められたくなくて。“ちゃんと話を聞きますよ”って見られたくて。ここぞ、っていう日は入社した数年前に銀座の松屋で勧められたパンプスをずっと履き続けている。未だに靴擦れは治らない。

***

 私の17番の靴札は受付でおやすみ。

 Paypayで770円の画面を見せて、サウナマットが入った袋をもらう。今日は“キリン”。

―今日はキリンだ

袋に書かれた動物の選び方のセンスにいつもクスっとして、暖簾をくぐる。

***

 鳴り響く“カコーン”。突き抜ける高い天井。黄色い桶。小さめの遠慮がちな椅子。ホールド感を主張する大き目の椅子。

今日はその主張を受け入れて、大き目の椅子と桶を手に取って、カランを目指す。

 ダイソーで買った小分けのボトルに入ってるシャンプーとトリートメントは、ミルボン。

『長くてサラサラした髪が好きだ』

 そういう彼氏の為に美容院でお勧めされた、本体価格お値段1つのボトル2,000円也。一方そのころ、ボディーソープは乾燥肌でも使えるソフラン。こちらはマツキヨでお値段1つのボトルで400円也。

 備え付けてある、シャンプーとボディーソープは“私たちがいるのに”って顔をいつもする。

―だって、仕方ないじゃない

 400円で体を流して、ホーチンミン駐在から一時帰国してきた同僚からのお土産を手に取る。ベトナムの謎のオイル。『ベトナムの化粧品は合わない』って言われながら渡されたオイル。

私はベトナム語は読めない。iPhoneも手元にないから検索もできない。

―インスタ用のお礼写真とるの忘れちゃった

 けれど“髪の毛になんだか良い”って、気合で読んだ事にして、髪の毛に毛先を中心に髪の毛に塗り込んでオイルが滴らないように、湿らせたタオルでターバン。

***

 真ん中の広い浴槽の特に左側、ジェットバスのない静かな領域が丁度いい。41度を示す温度計。多分、少し左側はぬるめ。

 私は浴槽のふちに腕を重ねて、うつ伏せみたいに足を伸ばしてゆらゆら。視界を占めるのは汚れ一つなく並べられている綺麗な青いタイル。今年同棲を始めた家のお風呂のゴムパッキンはこんなに綺麗じゃない。

―もう結婚、だから

***

 点字ブロックを足でなぞって行く先は、また香る世界。木の香り。甘い香り。優しさに溢れた香り。暖色系の明かりで、テレビも音楽も無い音のない世界。

 2段ある中の1段目、入口から少し離れた、左側ががベストポイント。ちょっと広めなのが良い。綺麗なサウナマットを広げて、12分時計を確認。温度計は90度を指す。

―今は6を指してるから、12くらいまでかな

 サウナマットの上で体育座りをしながら、“彼に何て話そう”とか、“12分時計って何で12分なんだろう”とか、“どこのサウナでも同じ時計ってことはこの時計屋さん、かなりいい商売してるのでは”とか“いっそのことお洒落12分時計の商売始めてみる?”とか、それが結局“ああ、まあいいや”って。

 ぐるぐる超高速回転していた、私の脳みその速度は遅くなる。

 じんわり。じんわり。プシュウ。

 1セット目はいつもそう。堰を切ったように突然汗が大噴出。ふわっと私を助けるみたいに、冷気と一緒に頭に白いタオルを巻いている女性がやってきた。彼女は二段目の入口のそばに腰をかけて、目を閉じる。

―いつもは一段目なのに。それにいつも一緒の人が居ない

 この小さな空間の中で、白いタオルの女性といつも一緒の女性は、とても楽しそうだった。会話が多い訳じゃない。少ない言葉で交わす友情みたいなものが、いつも会えるその関係性みたいなものが、私は羨ましかった。

 少し気になったけれど、サウナは適度な温度と、適度なタイミングと、適度な距離感が大切。ぐっと気になる気持ちを抑えて、私は席を立つ。

***

 左奥の立ちシャワーで、足首から太もも、腕、顔、そして上半身を流す。毛穴がきゅっと引き締まるような感覚が水風呂への期待感を誘う。

 水風呂は18度。そばにある小さい桶で足を流して、誰も入ってこないのを確認して邪魔にならないよう、手足を目一杯広げて首まですっぽり。ちょうど良い冷たさが、全身を包む。

―まだ。上がる?いや、もう少し。まだ。もう少し

 私と私が喧嘩した結果、水風呂は終了。タオルで全身を軽くふいて目の前の“整いスポット”に腰をかけてゆっくり目を閉じる。

―くる、くる、くる

しばらくして、それは来る。

 もう一人の自分が抜けていくのを瞼の中で見る。疲れている日ほど、憑きものが抜けていくみたいに、もう一人の私が抜ける時間は速い。

 憑き物の皮が他の人に移らないように、私が腰かけていた場所をお湯で流す。

***

 私がサウナに入るのが3回目を迎える頃、赤いタオルを頭に巻いた別の女性も一緒に入るタイミングが重なった。少し恰幅のいいおしゃべりな人だ。

 白いタオルの女性はじっと、さっきと同じ位置で目を閉じている。何かを耐えているような、待っているような、受け入れているよう。

 白いタオルの女性の隣に、赤いタオルの女性は腰かけた。

「今日はお一人なの?」
「そう」

 赤いタオルの女性の質問に、白いいタオルの女性は短く答えた。まるで『もうこれ以上聞かないで』というみたいに。それでも赤いタオルの女性は諦めなかった。

「あら、そうだ。旦那の都合でお引越しされたんですってね。寂しくなったわねぇ。いつも一緒にいらしてたもの」
「そうね」
「どこに移られたのかしら。嫌ね、これからこの年で住むところ変えるなんて。私だったら嫌よ。生活がここにあるんだもの」
 赤いタオルの女性の好奇心と主張は止まらない。白いタオルの女性は、制した。

「仕方ないのよ」

―仕方ないのよ

 赤いタオルの女性は気まずくなったのか、ぶつぶつ言いながら席を立った。

 サウナの熱さが打つ心臓の音と、心のざわめきが打つ音が急上昇するのが、確かに聞こえた。

 今日上司から言い渡された転勤の話が、ベトナムのオイルが髪の毛に染み込むくらい、じんわりじんわり私を侵食する。

***

『4月からアイルランド駐在になるから。内々で伝えておこうと思って』
『私がですか?』
『嬉しそうじゃないな』
『アイルランド…』
『まだ伝えるのは早いと思ったんだけど、準備とか引継ぎも時間かかるだろうから』
『でも…』
『GAFA、アイルランドにあるの知ってるだろ。取引が増えてて若手が足りないんだよ』
『でも私よりもっと優秀な人がいるんじゃ…』
『何言ってるんだよ、東南アジアより良いだろ。“女で”その年で行ける機会なかなかないぞ?せっかく推薦したんだから期待してる』

***

 またやってくる静寂と平穏。白いタオルの女性と私の空間。

「フィンランドなの」
「え?」

 知らない人にサウナで声をかけられるのは初めてで、それが、白いタオルの女性で、アイルランドに私は転勤で、その上にサウナの聖地“フィンランド”の登場で、私は動揺を隠せなかった。

「お引越し先。じゃぁ、一緒にサウナ入れるわねって」
「そうなんですか」
「楽しみが増えて、嬉しいの」

 ポツリ、ポツリと、滴る汗と同じペースで紡がれる言葉は、優しさに溢れていて急上昇したはずの心拍数は激しさを失って、穏やかさ取り戻すのを感じる。

「素敵ですね」
「ありがとう」

 そう言い残して、白いタオルの女性は姿を消した。

***

―キリンさん、今日もありがとう

 サウナマットを入れた袋を返すと、私のもとに戻ってきた“17番”の靴箱の札。

私はクラフトビールの支払いを済ませて、広がる畳の上に腰を下ろした。畳は気持ち良くてひんやりする。

 サラサラになった髪の毛。あったまった身体。染みるアルコール。じんわりクラフトビールの苦みが口の中に広がるのを感じて、思い切り足を放り投げた。目の前のテレビのお笑い番組に目をやる。私だけの“この時間”。

ゆっくり、ゆっくり、流れていく。この時間。

コートのポケットの中で、役割を待っていたiPhoneを取り出す。

 彼からのLINEが何件か来ていたけれどそれを無視して、“アイルランド”と検索、いや、“アイルランド フィンランド”で再検索。ついでにクラフトビールの写真を記念に収めて、瓶を返却。

***

 人間の臭覚は最も本能的らしい。けれど、慣れもあるらしい。来た時の靴箱で感じたあの独特な香りは私の脳を満たしたので、もうしない。

 17番の札を返してしまう前に、すり減った靴と私の現実を見つける前に、もう一度iPhoneを取り出した。

『アイルランド、フィンランドに1時間半くらいでいけるらしい』

クラフトビールの写真も一緒に添えて彼にLINEを送った。

17番の札に想いを込めて、私は薫る銭湯を後にした。

おしまい

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【銭湯データ※公式サイトより※】
金春湯

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■住所
東京都品川区大崎3-18-8

JR大崎駅から徒歩8分。
都営地下鉄戸越駅、東急戸越銀座駅からも徒歩8分。
専用駐車場はありませんが、徒歩30秒の所に コインパーキング があるそうです。

■営業時間
15:30 - 24:00
(最終入場 23:30)
定休日
2020年3月から火曜定休

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最後まで読んで頂いて、有難うございました。心からお礼申し上げます。感想頂けたらとても嬉しいです。

【他のお話も是非宜しくお願いします】
第二湯目
色気のある銭湯、改良湯(渋谷区)の話
 第三湯目
旅する銭湯、はすぬま温泉(大田区)の話
第四湯目
空が広い銭湯、宮城湯(品川区)の話
第五湯目
奏でる銭湯、妙法湯(豊島区)の話

独立した短編なので順を追わずでも、どのお話からでも読めます。

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