首都封鎖日記(仮) 26日目

この前、「感染症の哲学」というオンラインイベントに参加した。中国では人間らしく生活するのに必要なのは、「衣食住行」と言われている。自由に移動できることはどうやら人間にとってとても重要なことであるらしい。今、身体を伴った移動を制限されたこの状況を哲学者たちは危惧しているみたいだ。
そもそも「移動する」というのは、どういうことなんだろうか。身体を伴わない移動、はありえないのだろうか。いや、ありえると思うし、今オンライン上で人々が動いているのはその状態に近づいている気がする。それでも身体ごと移動し直にその場に立ち人に会う方が重要なのかしら。今はまだオンライン上では、なんだか色んな機微が省力されてしまって簡素で味気ない。でももっとリアルに近い、脳を直接つないでアクセスするような世界になったとしたら。世界の境目が溶けてわからなくなったらもうどっちでもいいと思うんだろうか。

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