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知らないものを、究めしもの、その美しさに蝉は鳴く。

 ここ数ヶ月、自分のことをジーッと見ていた。詳しく言うと、自分のことを見ているというよりも、自分が「何を」見ているかをジーッと見ていたのだ。自分はなにに興味があるのか、癖になってるもの、気づいたら見てしまうもの、とにかくそれを観察していた。もちろん自分が一番興味があるものは自分自身である事は間違いないのだが。それは置いといて、だ。

 まず、よく見てしまうものはなにか。つまりはついつい目に入ってしまうものだ。1つは「面白いもの」だろう。それは間違いない。しかし「面白い」というのは言葉としては曖昧であり、いくつもの層になっていて、自分が面白いと思うものとはなんだろうという新しい疑問が出てしまう。もっと言葉を噛み砕かなければならない。
 次に浮かんだのが、「エロいもの」これはもう本能的なものであり、間違いなく見てしまう。もう答えが出てしまったと言ってもいい。エロいものはついつい見てしまうし、探してしまう。しかしこれは自分がというより、おちんちんが見ている、おちんちん殿が見てしまっているといっても過言ではないので、まだなにか答えとしてピントがボケているような気がする。
 ちなみにここで「面白いもの」と「エロいもの」2つを想像の中で目の前に置いて戦わせてみた。『プライベートで女装した、友達の親父のパンチラ』と、『ギャルのパンチラ』。電車で目の前に2人が座っていたら俺はどちらを見てしまうだろうか。いや、選べない。どちらもみてしまうだろう。その為に神様は我に目を2つ付けてくださったのだろう。右目も左目も大事だ、どちらかなんて選べやしない。そもそも、この時代に、友達の親父が女装していて笑えるのかどうかもわからなくなってきた。
 いや、待て。「面白いもの」には笑えるという意味以外にももうひとつ、「interesting」の方の意味の面白いものも存在しているはずだ。今度は頭の中で、目の前に『ワンピースとハンターハンターの最新話が載った週刊少年ジャンプ』と『ギャルのパンティー』を置いてみた。俺はどちらを手に取るだろう。いや、選べない。むしろ「2つともおくれー!」と両手を掲げて叫ぶだろう。その為に神様は我に手を2つ付けて、ドラゴンボールを7つ作ったのだ。神龍も物語の後半では願い事を3つまで叶えてくれるようになっていたし、ひとつになんて選べない。少年ジャンプというバイブルで育った俺からしたら努力・友情・勝利=ギャルのパンティーという方程式すら成り立つ。

 話を戻そう。ついついみてしまうものだ。「面白いもの」「エロいもの」から、もう少し言葉を掘り下げてみよう。
 ひとつは「知らないもの」ではないだろうか、と思った。知らないものには「知りたい」という欲求がでてくる。見たことのないもの、知らないものは、絶対見てしまう。「なんだろう」のものに興味があることがわかった。
 もうひとつは、「美しいもの」だ。美しい人、美しい広告、美しい自然、言うまでもなく目を奪われてしまう。美しいと思った時は目だけでなく口すら開いてしまう。たぶん穴という穴が開いているのかもしれない。
 「知らない」ものがアタマの欲求ならば、「美しいもの」はココロの欲求のような、そんな感覚。この2つを究めたい。「究める」とは、“ものごとをどこまでも明らかにする。”という意味だそうだ。究めていくと極まるのか、究極とはそういうことなのか、究極、アルティメット。ブルーアイズアルティメットドラゴンというわけだ。

 俺はこの欲求、癖のようなものを意識的にして行く事で、いずれ自分の武器になるだろうと確信した。その感覚を信じてこれに名前をつける事にした。
 知を究め、美を究める。
 そう、その名も「知究美(ちくび)」だ。俺は知究美(ちくび)することをもっと意識することで高みへ行けると確信した。もっともっと知究美(ちくび)をしたいし、自分も知究美(ちくび)のような存在で在りたい。
 これを読んでいる人は、勘が鋭い人達だとお見受けするので、奇しくも知究美が乳首と語呂が同じになってしまっていることに気づいたであろう。その乳首も正に美しいものである。そして他人のその乳首の姿形は普通では見ることはできない。そう、我々の知らないものである。YouTubeでも乳首は男女ともNGだし、週刊少年ジャンプでも昔と違い、お色気漫画でさえ乳首はうまく隠されている。それを拝めるには単行本を買うしかない。その知らない突先を究めたい、ものごとをどこまでも明らかにしたい、この目で見なければと男たちはブルーアイズがレッドアイズになるまで血眼で躍起になっているわけである。
 「乳首」こそ知究美の真髄なのである。

 しかし、今はその知らないもの、美しいものを、スマートフォンで究めた気になっている人らが多い。知らないことをスマホで調べて知った気になり、美しいものを画像として見るだけで感じた気になっている。そんなの知究美(ちくび)じゃない。スマホの中に閉じこもることで、実は自分が知究美の外にいることに気づいてない。そんな外道のような行為を「知究美外(ちくびげ)」と言う。処理し忘れた乳首毛のように汚く伸びきってしまっている知究美外(ちくびげ)たちが多い。もちろん、知究美外にもニーズがあることも知ってはいるが、俺は是非あなた方には、無駄な知究美外は断って、そのままの知究美(ちくび)を見せて欲しいと、そう願っている。

 そして、知究美(ちくび)していったその先で俺はどうするかだ。漫才師なのだからしゃべる事で昇華していくだろう。つまりは知究美を口にしていくことが目的だ。俺が知究美を口にすることで相手が気持ちよく笑い声を上げてくれたらそんな嬉しいことはない。舌がうまくまわらず、知究美を口にする途中で噛んでしまう場合もあるかもしれない。それすらも面白がって大きな笑い声をあげてくれたらそれはそれで嬉しい。しかし、俺は自分の舌を上手くまわして笑わしていきたいと、いかしたいと思っている。


 そういえば、乳首はなんで2つ付いてるんだろう。また知らないものが増えた。漫才師もコンビが多い。トリオもいるがやはりコンビは多い。乳首は漫才コンビのようなものなのだろう。上手の乳首と下手の乳首が面白い会話をしているように見えて来た。乳首と乳首でセンターマイクを挟んでいる。そうか、僕たちは1人で漫才師を胸に刻んでいるんだ。ということはコンビだと思っていた我々は、本当はカルテットだったのだ。トリオは実はセクステットで、カルテットは実はオクテットだったのだ。
 俺はなにを言っているんだ。違う。乳首じゃなくて知究美の話だ。気付いたら乳首の魔力に吸い込まれている。こちらが吸うはずの乳首に逆に吸い込まれてしまっていた。
 知究美だ。知究美。知究美は俺だけのものじゃなくて、全ての人にあると思う。それぞれの知らないもの、美しいと思うものがあるはず。人それぞれといえば乳首も人それぞれ違う色や形をしている。二つとして同じ乳首はない。なんであんな様々な乳首があるんだろう。孫を目に入れても痛くないとおじいちゃんは言うけれど、俺も乳首は目に入れても痛くないと思っている。実際に目に入れても痛くないのだ。きっと乳首と眼球は同じ固さをしているに違いない。しかし、眼球と違って乳首は刺激によって固さを変える。だから目に入れてる間に痛くなってくるかもしれない。そう、乳首は徐々に姿を変えるのだ。同じ人の乳首でも1分1秒と変化し、その乳首はすでにさっきの乳首ではないと言える。まるで川の流れのように乳首は流れて姿を変えていく。乳首の川。母乳の川。乳の川。だから天の川は英語でミルキーウェイというのだろうか。そうか、乳首は銀河だったのか。僕らはこの銀河系、乳首系の中で生きているちっぽけな存在なのだ。乳首の周りをぐるぐると公転し、乳輪のように世界を形づくる歯車なのだ。そう思えてくると自分の胸にあるこれに宇宙の真理がある気がし

 違う違う、まただ。俺は何をいっているんだ。
 俺は乳首の話がしたいんだよ。


 読んでくれて、ありがとうございます。

 ちくわは漢字で「竹輪」と書くんだけど、「乳輪」も、ちくわと読んじゃってもいいんじゃないのかな?そしたらちくわを食べる時、みんながもっとハッピーになると思うんだ。
 ちなみに俺は1人でおでんを頂くとき、おでんの汁を最後、ちくわをストローのようにして吸うのが好きなんだ。そしたら十中八九、舌を火傷するんだ。たぶん、そういうことだと思うんだよね。

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